これからも言わないこと
西しまこ
ずっと言えなかったこと
骨を拾う。
白い骨を二人一組になって骨壺に入れていく。
おかあさん。これが、おかあさんだなんて。
葬儀場の人が骨の説明をしてくれるのを、どこか遠いところで聞いていた。
「美奈子ちゃん、だいじょうぶ? 顔が青いわよ」
「だいじょうぶです」
「介護、大変だったでしょう? あなたはよく頑張ったわ。早紀ちゃんも靖くんもほとんど何もしなかったんでしょう」
「長女ですから」
わたしはおばさんの言葉に曖昧に笑う。
流れ作業みたいに滞りなく進む、葬儀。時短で初七日もいっしょに行うらしい。今の世の中、合理的にいかないといけないのだ。
ふと見ると、妹の早紀も弟の靖も目を真っ赤にして泣いていた。わたしも目をハンカチで抑えながらうつむいた。これで悲しんでいるように見えるはずだ。
親族で仕出し弁当を食べて、諸々を父に任せてようやく帰路に着く。わたしの娘たちは小学生だが、今日は随分おとなしくきちんとしていてほっとした。
「お疲れさま」
塩を撒き家に入り、それぞれお風呂に入って娘たちが眠りについたあと、夫がそう言った。
「うん」とわたしは頷いて、あたたかい緑茶を淹れた。
「大変だったね」
「そうでもなかったわ。施設に入っていたし」
「美奈子はよく頑張ったよ」
わたしはそれには応えず、ゆっくりとお茶を飲んだ。
まだわたしが二十代のとき、友だちの母親が亡くなってお通夜に行ったことがある。
「美奈子ちゃん……!」
友だちは大きな涙を流しながらわたしに抱きつき、「わたし、もうお母さんに何も教えてもらえない。これからいったいどうやって生きていけばいいの?」と言った。わたしは黙って、彼女の背中を撫でた。
そのとき、そうか、母親が亡くなるとこういうふうになるんだ、と思った。わたしには分からなかった。「お母さんに何も教えてもらえない」という言葉は実に印象的で、わたしの心の中に深く突き刺さった。
母親と特に折り合いが悪かったわけではない。
ただ、わたしは友だちのようには到底思えなかっただけだ。ずっと母親から逃げることを考えていたわたしには、母親がいないと生き方が分からない、という考え方は衝撃的だった。
母が施設に入ったとき、わたしはほっとした。もうこれで傷つけられずに済むと思って。痴呆が始まっていた母は、訪れるわたしのことを早紀だと思っていた。だからわたしはいつも早紀のふりをしていた。母は早紀にとても優しかった。こんな優しい言葉をかけてもらえるのかと思った。
母は冬に風邪をこじらせて、あっという間に病状が重くなり死んでしまった。
ほんとうにほっとした。
お通夜でもお葬式でも、ほんとうは泣けなかった。少しも悲しくなかった。むしろ清々しい気持ちでいっぱいだった。
愛せなかった。どうしても。愛したい気持ちはあっても、だけど愛せなかったんだ。
二階で愛しい娘たちが眠っている気配がする。深夜に緑茶をいっしょに飲む相手がいる。
それだけでいい。
夜の静かな気配が家中に満ちていて、わたしはふいに泣きたいような気持になった。
了
これからも言わないこと 西しまこ @nishi-shima
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