少女A
中学校は小学校の同級生と同じ学校に進みました。
狭い地域なので、昔からそうです。
この小学校出身者はあの中学校に上がるっていう具合で、イコールなので。
例外といえば親が転勤になるとか離婚するとか、別の中学の方が家から近かいとかそのくらいです。毎年小学校の卒業式で泣く生徒はほとんどいなかったですよ。
みんなにとっては何も寂しいことはないので。
無理にでも別の中学校に進むことはできたかもしれませんが、両親にそれを伝える言葉が見つかりませんでした。そうなれば電車に乗って通うことになりますから、お金を出す親としては納得のいく理由を求めてくるでしょう。
正直なことなんて言えないです。
半ば諦めもあったので、流れるまま進学しました。
諦めですか? 別の中学にいっても、結局は孤立するだろうなってことです。
だったらどこへ進もうが変わらないだろうって。それならまだ手口を知っている人達に虐げられる方がいいのかもなんてことも考えました。
入学すると案の定、別の小学校からきた人達も既にあったやり方に倣いました。
空気を察して、あいつにはこうしなければならない、という決まり事を守っているような感じでした。さっきも言いましたけど、中学に進んで何かが変わるなんて期待していなかったので、私もそれをすんなり受け入れました。
私はこうされなければならない、と。そして、もうそれでいい、と。
何故だか、男の先輩たちには少し優しくしてもらえていた気がします。
私の状況を知って不憫に思ったのか、それとも特別優しいわけではなかったのか。
私が優しさの基準を知らないから、先輩たちの何でもない普通の態度を優しいと感じていたのかもしれません。ただ明るく声をかけてくれるとか、笑顔を向けてくれる程度のことでしたし。いや、嬉しいよりも戸惑いの方が大きかったです。
だからどんな反応をすればいいかもわからなかったです。普通に話しかけてもらうなんて、私の日常ではありえないことでしたから。それに、ちょっと男の人が怖いと思う気持ちもあったので。特に年上の人。年上の男の人を目の前にするだけで、強い力で押さえつけられている気分になります。その人にたとえ優しい色合いがあっても。そうですね、猫を殺すよう命令されたあの時の気持ちに似ているかもしれません。
決して逆らえない無言の威圧を感じてしまいます。
ちなみに前の心理士は男の人だったので、私ほとんど何も喋っていないです。
だから先生が女の人でよかった。若くて美人だし、何でも話せます。
誰かと付き合ったことですか? ないですよ、あるわけない。はい、愛想よくしてくれた先輩たちにもそういう類のことは言われませんでした。恋愛なんて無縁です。
え、誰ですか? それ。……はい、あの人か。本名知らなかったです。
みんなエスさんってよんでいましたから。噂をする時、本人にばれないためにそんなあだ名が付いたのだと思います。エスってイニシャルがS・Sだからだったのか。
エスさんのニュースも見なかったし、そのことについての全校集会も行かなかったので名前はわからなかったです。
違います。悲しいからじゃなくて、嫌だったからです。
あの人のことは、聞きたくないし知りたくもなかったです。
今は、ちょっと時間が経ったので落ち着いています。
それよりも、エスさんと私は仲が良かったって、一体誰がそんなこと言ったのですか? お母さんですか?
そっか、お母さんにはそう見えていたのか。
私の家に来たことがあったからだと思います。招いたわけじゃありません。
勝手にやって来ました。中には入れていませんけど。
エスさんは、一学年上の先輩でした。話す相手がいなかった私でも、エスさんのことは入学してすぐに知りました。口々にみんなが噂していたからです。
エスさんは、すごく変わった人でした。遠慮をしないで言えば変質者です。
どんなところがですか? とにかく行動の全てです。
たとえば休み時間は机に座って、延々と生きたゴキブリや毛虫なんかをいじっていたそうです。最後は指で潰して殺し、机の中にしまっていたらしいです。あとは、よくティッシュを濡らして口の中で噛んでいて、時々それを学校の中ですれ違った人の顔に吐きつけるとか、階段の手すりを舌で舐めていたりしたそうです。
そんな具合だったから、入学当初のエスさんも、私と同じようにクラスで虐げられるような存在だったそうですが、窓ガラスを破って破片を片手に教室で暴れたりしたそうで、すぐに誰も関わらなくなったみたいです。
私とエスさんの関係は、ちょっと説明し難いです。
嫌な思いをしたことは確かですけど、クラスの人たちみたいに虐げようとするとは違う。何というか、一方的な好意みたいなものを向けられていたのかもしれないです。
エスさんのお気に入りの場所は蝙蝠山でした。
いや、正式名所ではないです。地元の人間が勝手につけた通称ですよ。
あの地域は周辺の人にしか通じないアダ名で呼ばれている所が多いのです。
あの山の由来は単純で、蝙蝠の巣があるからです。山の中腹の廃寺に岩肌が露出した部分があって、そこにある幾つもの裂け目の奥が蝙蝠の根城だそうです。
夕暮れになると夥しい数の蝙蝠がそこから溢れ、その一帯を飛び回るのです。
それは青黒くなった空から産み出ているように見えました。
夜の稚児だと思いました。
そんな虫唾の走る景色をエスさんはとても好んでいたのです。
どうして知っているのかって、みんな知っていますよ。
学校でいじっていたゴキブリや毛虫は彼らへのお土産だそうです。
だからエスさんが、立ち入り禁止の古びた寺に入り、裏手の崖から落ちた時、誰も不思議には思わなかった。やっぱりこんなことが起きてしまったか、という具合で処理されました。
私はエスさんが落ちてから、ある事に気付きました。
人を傷つける者には報いが必要だということです。
罪に大小はないのです。どんな罪にも罰があるべきなのです。
チュウくんに殺されたあの猫たちも、もしかしたらチュウくんに何か悪さをしたのかもしれません。だから報いを受けたのでは?
しかし私は何もされていないのに猫を殺した。だから迫害という罰が待っていたのかもしれない。私は猫になり、最初はクラスのみんなが、次にエスさんがチュウくんになったのです。
そして私は凄惨な生き地獄の中、遂に殺されました。
それまでの私が死んだと同時に罰は終わったのに、それ以降も私を傷つけてしまったがため、エスさんは猫になったのです。
未だに目覚めない彼は、今もまだ贖罪の最中なのでしょう。
この仕組みに気付いたあの日から、私の頭は軽くなりました。
脳みそを取り出して表面のぬめりを洗い流したみたいにスッキリして、とても清々しい気分になった。その頃から、もう人の目を見ることに勇気は必要なくなりました。それはそうですよ。
だって、私が猫だったのには理由があったわけですから。
生まれてから死ぬまでずっと猫じゃなきゃならないというのは誤解だったのです。
私だって、チュウくんになれるのです。
春は悪夢と共に 五十嵐文之丞 @ayanojo
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