ラ・プリマヴェーラ

ミナガワハルカ

La Primavera

「『春』だね、ボッティチェリの」

 落ち着いたやわらかな声でそう言われ、私は絵筆を動かす手を止めて振り向いた。知らない男子生徒だった。

 戸惑いながら「はい」と答えると、彼は身をかがめ、書きかけの絵に顔を近づけた。少し遅れて、淡いレモンのような香りが私を包む。

「好きだな、俺も。いいよね」

 男子生徒はそう言ったあと、私に「きれいだ」と笑いかけた。

 その屈託のない振る舞いに私は面食らい、手を止めたまま、去っていく彼の姿を見送った。

 初めて見る顔だった。転校生だろうか。春。新学期。おそらくそうだろう。

 私自身、その一年前、この中学校に転校してきていた。いや、正確に言うと転校ではないが、小学校から中学校へ上がるタイミングで引っ越してきたのだ。ほとんど転校と同じだ。一緒に中学校へ上がるはずだった友達とは別れ、周りはすべて見知らぬ人ばかりとなった。そして、一年経っても私はまだ、なじめずにいた。

 学校にというよりも、この田舎に。


 私は東京で生まれ育った。

 幼少期の私は、理想的な家庭に生まれ育っていると信じていた。常に両親の愛を感じ、経済的に困窮することもなく、平和な日々だった。それは私にとって、絶対的な真実のはずだった。

 だがある日、その理想的な家庭は突然瓦解し、実はかりそめであったことが知れた。両親が離婚したのだ。私の周りに存在した幸福は、実は砂上に築かれた幻想だった。

 私は母に引き取られることになったが、離婚によって生活が苦しくなる母は、実家に戻るという選択をした。父は私を引き取る気はなかった。私には、母に従う以外の選択肢はなかった。

 東京を離れる最後の日、家具や荷物が運び出されてがらんとした部屋を見て、私は愕然とした。それまで生まれ育ってきたはずのマンションが、突然見たこともない場所に思われたのだ。

 今まで信じてきたものが瓦解し、宙に放り出された。

 私はそこを逃げ出した。


 母の地元、すなわちここ、O県のM市。私は幼い頃に数回訪れたことがあったが、あまり記憶はなかった。M市は、市というにはあまりに山深く、むしろ村と称したほうがふさわしいほどの田舎だった。

 人もまばらな駅前。暇そうにしているタクシーを見つけて乗り込むと、母は行き先を告げた。タクシーは寂しい街を抜け、田畑の間を走り、山あいに建つ古い家の前で私たちを降ろした。

 母が玄関の引き戸を開ける。扉は施錠などされておらず、がらがらと音を立てて動き、私たちを中へと招じ入れた。

 母が奥に向かって声を掛けるとすぐに返事があり、中から老夫婦が姿を見せた。私の祖父母だった。

「まあまあ、おかえり。遠いとっから、疲れたろう」

 母と私を出迎えてくれた祖父母は、そう言って歓迎してくれた。

「大きゅうなったなあ」

 久しぶりに会った私を見てそう言い、満面の笑みで喜んだ。

 祖父母はそれまで、広い家に二人きりで暮らしていた。娘と孫という新たな同居人を迎える二人の喜びは、今ならば容易に想像がつく。

 だが、それとは対照的に、母の表情はぎこちなかった。後で聞いたが、母はもともと、都会にあこがれて東京に出てきたのだそうだ。東京での都会的な生活を捨てこの家に戻ってくる母の心境。それも、今となれば察するに余りある。


 都会で育った私にとって、祖父母の家は、古民家と言って差し支えないほど古かった。畳敷きの部屋。板張りの廊下。どこも狭く、暗く、陰鬱で、嗅いだことのない古いにおいがした。

 トイレに行くため、ほとんど板かと思うような扉を開けた私は、思わず固まってしまった。和式の汲み取り式。私は幼い頃にこの家を訪れたとき、これを使ったのだろうか。まったく記憶になかった。

 態度に出さぬよう努めたつもりだったが、祖父母には伝わってしまったらしい。

「ごめんなあ、古い家じゃし、年寄しかおらんこうになあ」

 祖母の言葉は柔らかく、詫びる言葉には申し訳なさが真実あふれ、私は恐縮した。

 祖父はさっそく次の日、ホームセンターに出向いて洋式便座を購入し、取り付けてくれた。ただ、簡易に取り付けられる間に合わせのものだ。根本的な構造は変えようがない。二人のやさしさには感謝した。だが私は最後まで、そのトイレには慣れることがなかった。


 祖父母はとても良い人たちで、私はすぐに二人のことを好きになった。

 だが、祖父母の家は好きになれなかった。

 古い台所も、地面がむき出しの土間も、薪をくべて沸かすお風呂も、手をつかなければ昇り降りできないほど急で狭い階段も、なじめなかった。

 いや、家だけではない。近所の人たちは詮索好きで、デリカシーがなく、あつかましい。家人のいないときでも、平気で家に上がり込んでくる。

 そして、どこからでも入ってきて、どこにでもいる、虫。

 つまるところ私は、田舎というものが嫌だったのだ。

 母がそうであったのと、同じように。


 もともと美術に興味があり、絵を描くのが好きだった私は、入学後、美術部に入った。そして二年生の新学期、課題として有名絵画の模写を行うことになった。それぞれ好きな作品を模写し、その技法を学ぼうというのだ。他の子がゴッホやピカソ、モネ、ミュシャなどを選ぶ中、私が選んだのはボッティチェリの『春』だった。

 イタリアの画家サンドロ・ボッティチェリによるこの作品は、ルネサンスを代表する名画として有名すぎる作品だ。誰でも一度は目にしたことがあるだろう。その美しさはため息が出るほどだ。

 正直、私の画力では手に余るとは思った。それにオリジナルは、長辺が三メートルを超えるサイズに、極めて精緻かつ華やかに描かれた大作だ。それを半切りの画用紙に再現しようというのだから、もともとが無理な話だ。だがそれでも、できるところまでチャレンジしてみたかった。私は他の部員たちと同じように、図書室で借りた画集を横に据え、模写に取り掛かった。

 

 模写をすると、鑑賞するだけでは分からなかった凄さも分かってくる。

 正確なデッサンは均整の取れたプロポーションと自然なポージングを生み出し、緻密に計算された構図は絵画全体の調和を生んでいる。

 主題はギリシア神話。

 向かって右側、西風の神ゼピュロスが精霊ニュンペーのクローリスを連れ去ろうとしているのが、この物語の始まりだ。

 神話では、ゼピュロスはクローリスをさらい、力ずくで自分のものにしてしまう。このときクローリスの口から花々が溢れだし、彼女は春を告げる女神フローラに変わる。西風が春を呼ぶという自然現象を擬人化したものと言われている。この絵においては、逃げようとするクローリスのすぐ左に女神フローラを配置することで変身を表現している。

 一方、中央では春を象徴する美の女神、アフロディテがまっすぐにこちらを向き、鑑賞者の視線を受け止める。彼女の上には目隠しをされたエロースが飛び、その黄金の矢は、左側で春を謳歌し華やかに踊る三美神のうち、「慎み」を狙う。そしてその「慎み」が見つめているのは、杖で雨雲を追い払おうとするヘルメース。

 何と多くの寓意と示唆に富んでいることか。それ故にこの作品は、いくつもの解釈が可能で、「世界でもっとも言及され、議論の的となっている絵画作品の一つ」とも言われている。

 それだけではない。

 ボッティチェリがこの作品を描いた15世紀のフィレンツェでは、ネオ・プラトニズムという古代哲学が隆盛していた。その中の思想のひとつに、プラトニック・ラブがある。今ではこの言葉は、肉体の関係を伴わない性愛に関して使用されているが、当時はまったく異なる意味で使用されていた。

 私はそれを、「美」を求める行為を神聖視するものだと理解している。

 人間は万物のうちに美を求める。その行為が「ラブ」である。やがて人間は万物のうちにある美の真の姿イデアを愛することによって、結果的に神を愛し、最後は神の領域に近づいてゆけるのだというものだ。

 美のイデア。

 イデアという言葉を簡潔に説明することは不可能だが、この文脈では「純粋な存在」としても大きな誤りではないはずだ。

 つまり、あらゆる美しいものを愛することは、普遍的で純粋な存在としての「美そのもの」を愛することにつながり、そしてそれはやがて、神の領域というゴールへ至る手段なのだ。

 ボッティチェリがこの思想の影響下で『春』を書いたことは数々の記録から明らかなのだという。

 つまり『春』には、「美」そのもの美のイデアが描かれている。

 少なくともボッティチェリは描こうとした、はずだ。

 ならば私は、単に絵画の表面をなぞるのではなく、そのうちに込められた「美」そのもの美のイデアをも取り出して、移しかえねばならないのだ。そうでなければ、ほんとうにこの作品を模写したことにはならない。

 私は窓際にイーゼルを置き、日々ああでもないこうでもないと試行錯誤していた。

 彼が覗き込んだのは、そんな春の一幕だったのだ。


 小さな中学校だ。転校生の存在はすぐに広まる。やはり彼は転校生だった。私よりひとつ上、つまり三年生。

「東京から来たんじゃって」

 仲の良い友人が教えてくれた。東京という言葉に私はひっそりと息を呑んだ。

 最初の出会いは一瞬だったが、彼は私のことを覚えてくれていた。ある日、廊下ですれ違ったとき、私に気づいた彼が再度声を掛けてきたのだ。

「やあ。どう、進んでるかい」

 爽やかな笑顔で笑いかける彼。すぐに、『春』のことだとわかった。私はうなずいてから、勇気を出して尋ねてみた。

「あの、東京から来られたんですか」

 そうだよ、と答える彼に、私もそうなのだと伝えると、彼はとても喜んだ。予想通りだった。転校生の心情、特にその心細さは知悉ちしつしている。

 彼の話す言葉には、方言がなかった。当然と言えば当然だが、久しぶりに聞くその言葉が私にはとても心地よかった。まるで、澄み切った水に触れるような思いだった。あるいは、爽やかな西風に抱かれるような。


 彼は私と違って、すぐに周囲に打ち解け、あっという間に学校の人気者の一人になった。なにしろ、性格は快活で愛嬌があり、運動も得意。加えて長身で整った顔立ちときているのだから、人気者にならない訳がない。初対面の女子の顔を見ながら「きれいだ」と言ってのけられる軽さと、しかしそれがまったく気障きざに感じられない華やかさは、田舎の男子生徒には望むべくもない。周囲の女子たちはたちまち彼に熱を上げ始め、声をかけて近づく子、遠巻きに眺めて憧れる子、様々といった状況だった。そんな中にあって、私と彼は会うたびに言葉を交わすような、そんな日々が続いた。

 そんなある日のことだった。私は、ほんの偶然、彼が友達と話しているのを小耳に挟んでしまった。

「……ここへは、父の仕事の都合で来たんだ。でも、数年したら東京へ帰るから……」

 その瞬間、私の意識は一瞬にして現実世界を離れた。

 そして、彼との運命を確信してしまった。

 つまり、私は夢見てしまったのだ。彼がいつか私をこの田舎から救い出し、東京へ連れて行ってくれることを。

 そう、彼はゼピュロス。西風の化身。私は憐れなクローリス。

 彼は私をさらい、東京へ連れて行く。そこで私は、ゼピュロスに相応しい女神フローラへと化身する。田舎という陰鬱な冬を抜け出し、都会という華やかな春に舞う花びらが、私。


 だから、彼が卒業を間近に控えた早春、体育館の裏に呼び出され、告白をされたとき、私は天にも昇る気持ちだった。

 ずっと気になっていた、付き合ってほしい。そんな彼のシンプルな告白に、迷うことなく、はい、と答えた。

 そしてそれから私は、彼に、いつ東京に帰るのか尋ねた。

 私のその問いは、彼がこの先東京へ帰るという前提の上で、「いつ」帰るのかを聞いたものだった。彼は東京へ帰る。そして私も東京へ帰る。その計画を立てなければならないからだ。

 しかし、彼は私を安心させるようにやさしく微笑むと、思いもかけないことを言ったのだ。

「いや、大丈夫だよ。俺は東京へは戻らないから」

 その言葉に私は衝撃を受け、思わず呆然と彼を見つめた。

 彼はそんな私の様子に気づくこともなく、続ける。

「高校は市内の農業高校に合格したし、その先も、ずっとここにいようかなって、そう思ってる」

「……なぜ」

 私の口から漏れた言葉に、彼は頭を掻いた。

「俺、だんだん、ここが好きになってきてさ。なんか、ずっといてもいいかもって思うようになってきたんだ」

 彼の言葉に、私の胸に黒くどんよりとしたものがこごっていく。

 ……嫌。

「東京なんかよりずっと気楽でさ、みんないい人たちだし。自然も豊かで、空気もいいし。俺には合ってる気がするんだ」

 私の足元が崩れていく。

 ……嫌だ。

 それ以上続けないで。

 それ以上、美しい自分を汚さないで。

 思わず叫ぼうとする。

 ――壊さないで、私の理想を。

 だが、遅かった。

「俺、ここにずっと住もうと思う。将来はここで、農家になろうと思うんじゃ」

 彼は、最後を方言で締め括り、笑った。

 私は悟った。

 理想は現実世界には存在しない。理想はイデアという形でしか存在しえない。

 奇跡的に存在しえた「美」があったなら、それは速やかに美のイデアを抜き取り、固着させなければならない。

 現実に存在する理想など、いつ瓦解するかわからない。私の家庭と同じだ。

 もう、現実などたくさんだ。


 結局、彼は農業高校へ進学することはなかった。

 数日後、遺体で発見されたからだ。

 場所は農業用のため池。彼の帰りが遅いのを心配した両親が警察に通報し、捜索が行われ、翌未明になって、薄く氷の張った池に彼が浮いているのが発見されたのだ。一応警察による調査が行われたらしいが、結論は、暗い夜道で足を滑らせた事故。事故のあった夜は月がなかった。街灯のない田舎の道は、暗い。


 葬儀ではみんな泣いていた。

 私は一人、花に囲まれた美しい彼の遺影を見つめながら、陶然としていた。


 結局、私が画用紙に描こうとしていた『春』がどうなったのか、私はどうしても思い出せない。完成させたのか、途中で投げ出したのか。捨ててしまったのか、それともどこかにしまったまま、忘れてしまったのか。


 彼は死んでしまった。

 現実世界にあっては、彼という存在は永遠に失われてしまった。

 だが、私の中で、彼という存在は確かに残っている。

 いや、むしろ肉体を失い、生命プシュケーを失った彼は、余分なものが削ぎ落とされ、極めて純粋な存在となった。

 そう、それはまさしく美の絶対で永遠の実在イデア

 彼は今や純粋に美しさと同義であり、それを希求する私の思いは愛であって、私はついに、彼という存在とひとつになれたのだ。

 画用紙の上のまね事などではない、本物の、私だけの『春』。


 現に、あれからどれほどの歳月を経ようとも、彼は変わらず私の中にある。

 私がどれだけ歳を重ね、肉体と精神が老いようとも、彼が老いることはない。

 私の中の彼は美しいまま、あの頃と何ひとつ変わっていない。

 彼は未だに少年であり、西風である。

 それはこれからも、永遠に変わらない。

 私の『春』は。

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