マリア・カンテミールの奏上  モスクワ 1728年

 左様でございます。ナターリヤ様の棺は、ペトロバウロフスキー大聖堂に安置されました。医師の見解では感染症でございますので、ご戴冠されたばかりの大切な御身で隣席されるには憚られると、メーンシコフ卿も仰っておりました。

 病のせいで容色見る影も無く、……短い間ではありますが、お側に仕えさせていただき、ナターリヤ様のご聡明さにどれほど救われたか知れません。


 私は、身近な方々を随分失ってしまいました。私に言葉を教えてくれた母も、学問の手解きをしてくれた父も、その父と共にお仕えしたピョートル一世陛下も、ナターリヤ様も、……私のただ一人の嬰児みどりごも。私の儚い身を憐れんで下さいますならば、宮廷を辞することをお許し下さい。サンクトペテルブルクに戻り、故国の教育と文化振興に役立てることをしたいと考えております。父が遺してくれた膨大な書籍がございますし、各国に親族や知人たちがおりますので、彼らが有用な情報を送ってきてくれるでしょう。


 書きたいのです。

 それが、切り刻まれた世界の中で、遠くのものとも、失われたものとも、未来のものとも、私を結びつけてくれるのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花容を刷く 田辺すみ @stanabe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ