12-4 義人人形の曜日

「それは素晴らしいです。でも、随分と費用がかかりそうですが。カルドロンも運ぶとなると大変そうです」


「この水車小屋に関しては、僕たちの退去後に不動産業者のスーレさんが買い取ってくれることになっているんだ。そのお金があることを考えれば、あとは今までの貯蓄で開店までは十分に間に合わせることができるよ。無論、開店してから相当頑張らなければならないのは当然なんだけどね」


「その辺はわたくしに是非お任せください。洒掃薪水 (さいそうしんすい) はメイドの本領です。人間ならば頑張って働き過ぎると疲れてしまいますが、義人人形は水と石炭さえ食べさせてもらえれば蒸気機関車のように突っ走ることができますから」


「そのへんは、あまり無理はしないでほしいかな。黄色い家では実際に無理をして賢者の石の力を使い切って死んだわけだし。僕はダイアリーのことが心配なんだよ」


「はい。その節はご心配をおかけしました」


 ダイアリーが丁寧に腰を折ってお辞儀をした。その時、ダイアリーのメイド服の開いた胸元から奥がのぞけてしまった。二つの乳房が作る深い谷間に小さく金色の輝き。十字架の首飾りだろう。


 柔らかさの無い作り物とはいえ、胸の谷間をのぞいてしまったことに罪悪感を覚え、マルトは顔を赤らめながら目を逸らした。鏡を見なくても、自分が赤面していることが自覚できてしまうほどに、顔が真夏のように熱い。


 目線をやった先が、テーブルの上に向いた。そこに置いてある赤い物を見たマルトは、持っていた契約書を置いて、代わりにそれを手に取った。ケルメス臙脂虫からとった色素で染められた赤いハンカチだった。端を握って、背筋を伸ばして立つダイアリーの方へと差し出す。


「ダイアリー。このハンカチのもう片方の端を握ってほしい」


「ご主人さま、それはご命令ですか?」


「いや、ダイアリー自身の意思で決めてほしい」


 ダイアリーは小首を傾げて一瞬考えた。


「申し訳ございませんが、それに関してはお断りさせていただきたいです」


 まるで、初めて会った時に「どちら様でしょうか?」と発言した時のような冷静で落ち着いたダイアリーの口調に、マルトの表情も凍った。ダイアリーの方もマルトのことを悪く思っていないはずだ、とマルトは考えていた。考えが甘かったのか、自惚れだったのか、勘違いだったのか。


「その代わり、ご主人さまには、こちらを握っていただきたいのです」


 ダイアリーはブラウスの襟元で結んでいる青紫色のリボンをするりと解いた。ダイアリーは長いリボンの片方の端を握って、手を高くかざす。リボンのもう片方の先端は、当然下に垂れて、マルトの目の前にあった。


「ダイアリー。これって……」


「わたくしは、自分の方から意思表示をしてみたかったのです。ドヴェルグ族の工人のカリエールさんに言われたことですが、時間を戻すことはできませんし、元の場所に戻ることもできないものです。ならば、前に進んでいくしかないではありませんか。ご主人さまは、不特定多数の人のために歌う吟遊詩人に戻る必要は無いと思われます。ただ、わたくし一人のためだけに歌っていただければ、それでいいです」


 マルトは、目の前に下がっているリボンの先端を握った。もう離さないように、強く。


 ワインは葡萄に戻れない。ならば、更に熟成する方向を目指せば良いのだ。


「でも、リボンを差し出すのが早すぎましたね。今日はお祭りでも何でもないので、ファランドウロが実施されることも無いですし」


「今から一番近いお祭りって、何だったっけ?」


「月がかわって風月 (ヴァントーズ) になれば、色々お祭りがあります。ダルレスではないですけど、マンドリュー・ラ・ナプールのミモザ祭りとか、マントンのレモン祭りとか。後半にはトゥレット・シュル・ルーのスミレ祭りもありましたね」


 ダイアリーの口から名前が挙がったのは、いずれも花、植物に関するお祭りだった。風月 (ヴァントーズ) は春と称するには早すぎるが、それでも温暖なプロヴェンキア地方ではあちらこちらで花が見られる。


「ダルレス以外ばかりだな。ダルレスではお祭りって無かったかな」


「そういえば、風月 (ヴァントーズ) の最初に、聖母のお潔めのお祭りがありましたね。これは特定の地方のお祭りではないので、当然ダルレスでもお祝いされるはずです」


「忘れていた。それがあったね」


 晴れやかな笑顔を浮かべながら、マルトは赤いハンカチをテーブルに置いた。その日はダイアリーの誕生日として覚えていた。聖母のお潔めの祭りの日でもあると改めて認識した。


「それよりもご主人さま、今の時間からなら、食事の準備をしましょう。久々ですので、わたくしが腕をふるいます」


「どうせなら日頃より豪華なごちそうにしてよ。ダイアリーが帰宅した記念だから。食材もそこそこは揃っているから」


「はい。それと、今まではご主人さまがお食事する際は、わたくしは見守るだけでしたが、今度からは一緒にテーブルについてお食事をさせていただいてもよろしいでしょうか? 今後はわたくしも石炭を食べることになりますので」


「ああ、そうだったね。君と一緒に食事を楽しめる」


 二人は微笑み合った。ダイアリーは室内に入り、早速食材の確認から料理の準備をする。


 入れ替わるようにマルトは外にでて、風を浴びた。


 まだ冷たい冬の風だ。だが、月が変われば、春を告げると言われるアーモンドの花が白く可憐に咲き始めるはずだ。枯れているように見える木が、暖かさの到来とともに一斉に開花するのだ。枯木が息を吹き返して花を咲かせることが奇跡だとしたら、春には毎年奇跡が起きていたのだ。


「今日は何曜日だったっけ」


 画家ヴァンサンは終わった自画像に『石曜日』という悲しい題名を付けていた。義人人形を象徴する石炭の曜日。だが、立場が違えば好みも違ってくる。


 ヴァンサンが憎んでいた石曜日を、マルトは好きだと思えた。





 完

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石曜日のメイドのダイアリー kanegon @1234aiueo

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