12-3 ラマルティーヌ広場2番地

 ダイアリーは照れたような笑顔を浮かべた。賢者の石の力で人間になったヴァンサンとは違い、ダイアリーは体形こそ女性的になったが、あくまでも義人人形のままだ。それでも、工人の改造工事を経て性能が上昇したというか、人間的になったように思う。マルトの思い込みかもしれないが。


 黄色い家で賢者の石の残り二回の力を使い切ってしまったダイアリーは、動けなくなった。普通の義人人形ならば、また石炭と水を補給すれば動かすこともできるのだろうが、ダイアリーの場合はそもそも石炭を燃焼させる機構が最初から存在しない。いわばダイアリーは死んだのである。マルトは絶望した。


 大火傷を負ったマルトと、問題を起こした元凶人物のヴァンサンが人間として生き残り、本来は半永久的に死ぬことの無いはずの義人人形のダイアリーが死ぬなど、あり得ない理不尽だ。


 救いの手を差し伸べたのは、意外なことだが、人間として目覚めたヴァンサンだった。


「私の願いが叶ったのなら、ダイアリーさんの心臓をえぐり出す必要は無いな。それよりもむしろ、このまま復活できないというのは気の毒だ。自分も義人人形だったわけだし、彼女とは共感できるものがある」


 自分勝手な物言いではあるが、その気まぐれさがヴァンサンという人物でもあるのだろう。


 元はといえば、ヴァンサンという男の義人人形は、工人の気まぐれで生まれた。自分の作りたいものを作るというこだわりの人ではあるが、技術力は確かである。工人ならば、ダイアリーを復活させることができるのではないか、とヴァンサンは提案した。


 モンマジュールの旧修道院近くの洞窟にある工人の洞窟まで荷車でダイアリーを運ぶのを、ヴァンサンとポールも手伝ってくれた。彼ら画家二人の確執にマルトとダイアリーを巻き込んでしまったという負い目があったためだろう。二人ともクセの強すぎる個性的な人物で、彼らと人付き合いするのは難しいが、彼らは絵に対して真摯すぎて周囲に迷惑をかけることも辞さない画家であるだけで、基本的には悪人ではないのだ。


 洞窟にダイアリーを預けてから一カ月ほど。新年になって、雨月の下旬になってようやくダイアリーの改造工事が終わり、ダイアリーが帰ってきたのだった。


「おかえり。そして、僕を助けてくれてありがとう、ダイアリー」


 マルトは再びダイアリーを抱擁した。マルトの胸に当たる二つの膨らみは、柔らかさこそ無いが、確かな質感を主張している。


「いいえ、ご主人さま。メイドなのですから、ご主人さまを助けるのは当たり前です。わたくしの方こそ、もう動けなくなったというところ、改造工事でまた動けるようにしていただき、感謝の念にたえません。また、ご主人さまにお仕えできて、ダイアリーは幸せでございます」


 その言葉をもらえただけでも、マルトの胸はいっぱいになった。ダイアリーが復活して良かった。ダイアリーが自分のメイドになってくれて良かった。ダイアリーに出会えて良かった。そして、ダイアリーを愛することができて良かった。


「せっかく帰って来てくれたばかりで悪いんだけど、ダイアリー、仕事を頼めるかい」


「何でもお申し付けください。わたくしはご主人さまのメイドでございますので、仕事を頼まれることこそが、私の幸福でございます。洒掃薪水 (さいそうしんすい) はメイドの本領でございます」


 その言葉を聞いて、ダイアリーが帰還したことを喜ばしく実感する。ダイアリーと共に過ごす日常が戻って来たのだ。いや、元には戻れない。これから、新しい生活を始めよう。


「じゃあ、近々引っ越しをするから、その準備としてこの水車小屋の中の片付けをしてほしい」


「はい。ご命令には従いますが、引っ越しといいますと、どういうことでしょうか」


「元々この水車小屋は、僕が一人で暮らすことを想定して買った場所だ。でも、ダイアリーと二人で暮らすとなるとさすがにちょっと狭い。それに、新しくやりたいことができた、という理由もあって、ダルレス市内に引っ越そうと思うんだ。賃貸だけど」


 マルトは、テーブルの上に置いてあった一枚の紙を手に取り、ダイアリーに向けて掲げて示した。二人が初めて出会った時にも同じような動作をしたことを、今更ながら懐かしく思い出す。




賃貸契約書


「貸主、不動産業者ベルナール・スーレは、本証書により、法律上並びに事実上の保証の下に、

賃借主、吟遊詩人マルト・ガーランドに対し、

ダルレス市の旧市街を囲む中世の城壁のすぐ外、ラマルティーヌ広場2番地の黄色い家の右半分を貸与したり。

この賃貸契約の初月家賃は吟遊詩人マルト・ガーランドが机上に置いた通貨をもって、協定価格に基づき一括してなされ、当該金額は直ちに農主ウルフ・ワードによって収受せられたり。以上は全て左に署名せる公証人および証人立ち合いの下に行われ、その確約証書交付せられたり。翌月以降の家賃については、滞りなく誠実に支払うものとする。

本証書はダルレスにおけるロギヴィ・ノワクの公証人事務所にて、笛吹きゴード・ブラン及び女神ジュリア教団の十字架護持者ヴァンサン及びポールの面前にて作成せられたり。

両人は証書朗読の後、当事者及び公証人と共に署名せり。」




 契約の時に、どうして笛吹きなどという人物が立合証人として採用されるのか。プロヴェンキア地方に来たばかりの頃にはマルトには理解できなかった。が、今ならば理解できる。お祭り、及びその時に行われるファランドウロ踊りは、プロヴェンキア地方における地域社会の維持のための重要な催し物である。なので、ファランドウロの時に列の先頭に立って模範の踊りを見せる先導者と、左手でガルーベを吹き右手のバチで細長い太鼓のタンブランを叩く笛吹き奏者は、地域共同体の中である程度地位や名誉がある者とみなされる。笛吹きは、ダルレスではそれなりに重要な名士なのである。


「黄色い家。あそこを借りるのですか」


 ほんの少し、ダイアリーの表情が曇った。黄色い家は、つい先月、マルトとダイアリーの二人がヴァンサンの暴走に巻き込まれて死にそうになった場所だ。ダイアリーは一度本当に死んでいる。


「旧市街の近くで広場もすぐ側だし、駅からもそう遠くない。立地が良い場所を確保できたから、そこで料理店を開こうと思うんだ。ルテティアの都のモンマルトル街にあるブレバン亭のような有名店になることを目指すんだ。僕は元々料理が得意で、足さえ悪くなければ、どこかの料理店の厨房に就職しようと思っていたくらいだ。まあ、右膝が悪くて厨房内で忙しく動き回るのが難しそうだから、馭者の仕事に就いたんだけどね」


 今は、賢者の石の力の奇跡で、右膝の怪我が治った。厨房で料理人として働くことも不可能ではない。そして、同じ働くならば、自分の店を持ちたい。マルトだけではなく、ダイアリーもあれこれと豊富な料理を作る能力を持っているからこそ、できる挑戦だ。


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