真実の言葉

真花

真実の言葉

 医療に長くいると、命を助けることが当たり前になってしまう。その目的で存在する機関だから当然なのだが、そうじゃない道もあるのではないかと思うこともある。僕達の目の届かないところではきっとそう言う、命を一番にしていない人々がいる。

 救急科の病棟は雑多で、スタッフがそこかしこにいて、とても気の休まる場所とは思えない。コンサルテーションを受けて、朝一番で病棟に来た。僕はいつまで経ってもこの場所に馴染めなそうだし、その方がいいような気がする。

 患者のカルテを確認する。

 五十代の女性。ネットカフェで過量服薬をして倒れているところを発見され、昨夜搬送された。身体科的にはもう問題はないとのこと。身寄りはなく、自殺をする目的で北海道から東京に出て来た。飲んだのは市販の風邪薬百錠で、十分致死量だ。

 初めましての前は常に緊張する。どんな恐ろしいことが待っているのかと考えてしまう。

 ベッドに近付き、横になっている顔を覗く。

 うらぶれて、痩せぎすのおばさんがそこにいた。その風貌だけで僕の緊張が半分とける。

「おはようございます」

 声をかけると女性はこっちを向いた。じっと僕を見て、つまらなそうに目を伏せる。

「精神科の木場きばと言います。少しお話いいですか?」

「精神科にかかる理由はありませんけど……」

 僕はそうかも知れないと思った。だが、そうでないかも知れない。評価をするために僕は来た。

「理由はあります。自殺未遂をされていますから。それが精神疾患によるものだったら、それを治すことで次の自殺を防げます。少し、お付き合い頂けますか?」

「まあ、暇ですし、いいですけど」

 女性は退屈そうに僕を見た。

「では、藤井ふじいさん、どうして死のうとしたのですか?」

「生きている意味がないからです」

「どうしてそう思うんですか?」

「家族もいないし、家に引きこもってゲームをしているばかりの人生ですよ? 何も生み出さないし、社会の役にも立っていない。今更仕事も無理だし、そもそも人が無理」

「つまり、孤独だったと言うことですか?」

 藤井は視線を遠くに投げる。まるで僕がいないかのように。

「まあ、孤独、ですね。そんな意識したことはないですが」

「でも、その状況はずっと続いていたんですよね? どうして今なんです? きっかけとかあったんですか?」

「それは言いたくありません」

「そうですか。……では、どうして東京まで来たんですか?」

「一度来てみたかったから。お金を残しても意味がないと思ったから、ネットカフェに泊まって観光をしたんです」

「どれくらいの期間ですか?」

「二週間は色々観ました。ネットカフェはあまり快適じゃなかったですけど」

 それから僕は一般的な精神科の問診を行った。診断は、なし。病気なら治せばいいが、そうでないのだと、次の自殺を止められない可能性が高い。しかも、理知的な、覚悟と計画のある自殺を今回している。リスクは高い。

「藤井さん」

「はい」

「自殺をもうしないと約束出来ますか?」

「出来ません。と言うか今回は失敗しましたが、次はちゃんと死にます」

「死なないで欲しいのですが」

「どう言う理由でですか? あなたとは今初対面の、他人ですよね? 立場上そう言っているだけじゃないんですか?」

「小一時間ですが話したから、もう他人じゃないと思います。死んで欲しくない理由は」

 僕は口を噤む。理由なんて特にないのだ。藤井の言うとおり、立場上そう言っているだけだ。が、他人じゃないと思っているのも事実。僕に残されたのはそれしかない。口から卵を産むみたいに声を出す。

「僕が死んで欲しくないからです」

 藤井は目を瞬かせて、ぷっと笑う。

「バカみたいな理由ですね」

「真剣の奥なんて、そんなものだと思います」

 藤井は天井を向いて、ため息をひとつ。

「笑ったの、すごい久しぶりです。しょうがないですね。しばらくは自殺しません」

「じゃあ、そのしばらくの間に、僕の外来に来て貰ってもいいですか? そこで、死なない約束を更新していきましょう」

「でも、私、行くところもお金もないから、ホームレスになるしかないし、受診は無理ですね」

「退院するまでに、なんとかするようにします」

「なんとか?」

「はい。ソーシャルワーカーと協力して」

「そうですか」

「北海道に戻るならそれはそれで考えます」

「もういいですよ、北海道は」

「じゃあ、次に外来に来るまでは死なない。それでいいですね?」

「いいです」

「それでは、また」

 藤井が退院するまでの間に、生活保護を受けることが決まり、藤井は東京で暮らすことになった。退院までの毎日、僕は診察をして、約束を確認して、藤井のやっていたゲームがモンハンと言うらしいこととか、酒は強いこととか、両親のことを大切にしていたが、ここ一年でバタバタと死んでしまったこと――恐らくそれが自殺の動機だったのだろう――、そして東京観光が楽しかったことなどを話した。

 藤井は退院し、約束通り外来に来た。

「新しい生活はどうですか?」

「ゲームがないのが物足りないですね」

「少しずつお金を貯めて、ゲットしましょう」

 診察の最後に、僕は改まる。

「次の外来まで、死なないと約束しますか?」

「はい」

 藤井はやはり病気ではないと確信した。だからこそ、危険だ。だが、病気を治すことが僕達の仕事であり、病気でない自殺を止めることは果たして仕事なのだろうか。正常な判断能力があるのなら、死ぬことも人生の選択ではないのか。実際、安楽死を選ぶ人もいる。あれだって、自殺に変わりない。手続きと、誰が決めたのか分からない「真っ当な」理由がないといけないだけで、自殺だ。

 三日後、外来から連絡が来た。

「藤井さんのことについて、警察が情報提供をして欲しいそうです」

 警察……死んだのか。

「どうしたんですか」

「亡くなったそうです。状況からは自殺だと」

 警察とした電話でも、自殺らしいことを聞いた。するべき情報提供をして、僕は電話を切った。

 僕は電話を投げ付けたかった。だがやめた。

 治療の失敗は存在しない。

 だが僕は、死を止められなかった。いや、止められているつもりになっていた。

 医療の尖兵としての僕ではない、僕自身と言うものが藤井と対峙していた。僕は藤井の意志を想いを変えることが出来なかった。僕そのものが足りていなかった。

 患者が生きたいように生きられるようにすることは、精神科医として望んでいいことだ。あくまで、病気とその原因を取り除くと言うアプローチをすることしか出来ないが。

 藤井は生きたいように生きたのではないか。生きたいように死んだ、死にたいように死んだ、のだが。そう出来るようにサポートする? やっぱり違う。死ぬために生かすなんて違う。

 僕は本当に藤井に死んで欲しくなかったのだ。

 それは役割とか立場とかではなく、僕自身として、そう思っていたのだ。

 だから、僕の言葉には嘘はなかった。

 そんな真実の言葉でも、届かなかった。

 今はもう、どんな言葉も永遠に届かない。


(了)

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