ゆれる帳(とばり)②

私たちは寝台とかんの上でそれぞれ床についた。

さっきまでのお祭り騒ぎが嘘のように屋敷は静まり返っている。

けれど見張りの宦官たちは、今も部屋の外で聞き耳を立てているはずだ。


「………」


こんな状況ですぐ寝つけるるはずがない。

おそらく陛下も同じであることは気配でわかった。

耳の良い陛下のことだ。向こうも私が起きているのに気付いているだろう。


「────陛下……」


私は横になったまま声をかける。

この人と二人きりというめったにない機会に、お互い息をひそめて朝を待つだけなのは勿体ない気がしたのだ。


「……うん」


「この前、陛下のこと勘違いしてて……ごめんなさい」


何よりも伝えたかった。

陛下のことを酷い男だと思い込み、あげく清龍宮で言い争いをしてしまった日のことを。


部屋に少しの沈黙が流れたあと、くぐもった声がした。


「かまわぬ。そうするようこちらが仕向けた」


「でも私、すごく酷いこと……言いましたよね」


私はあの日陛下に吐き捨てた。『陛下にとって妃は、ただの所有物にすぎないんですね』と。


あの時の陛下は────徳妃を守るため冷酷非情を演じていた陛下は、どんな気持ちだったのだろう。

もしも私たちがあのまま、陛下のことを誤解し続けていたらと思うと胸がえぐられる。


続く謝罪の言葉を探していると、もぞもぞと衣擦れの音がした。

陛下がおそらく寝台の端、こちら側へ移動したようだ。


「……わたしは市井の民とは違う。誰に何を言われようと、どう思われようと構わない。そんなことを気にしていては国王など務まらぬからだ」


さっきよりもはっきりと声が届く。あの帳のすぐ裏にいるのを実感する。


「だが……」


続く声は別人のようにハリがなかった。

同時にロウソクの火がゆれて帳を照らす。横たわる人の姿が透けて見えた。

向こうからは見えているのだろうか。陛下は寝返りをうち私に背を向けた。


「だがあのあと食べた昼餉ひるげは………味がしなかった」


「………」


たわめく帳と小さな後頭部。

ほのかな灯りに照らされた光景が、とても尊いものに見える。



「……トウコ?」


「やっぱりそっち行っていいですか」


私がそうたずねると、人影は頭を起こしかけてまた横になる。


「………うん」


国王と、18の男の子。

そのどちらにも振り切れず、間で揺れるさまが彼らしい。


かんから起き上がった私は寝台までの五歩を、音をたてないよう進む。


「あれ、どこだろ」


帳の前に着いたものの暗くて境目さかいめが見えず、どこから入れば良いか分からない。

なめらかな絹布を両手で探っていると、内側から大きく波打った。


「ここだ」


帳の向こうから伸びた手が私の手首を掴む。

陛下に導かれて私はようやく寝台へ上がった。


「……お邪魔します」


「邪魔をしているのはわたしの方だが」


「その自覚あったんですね」


暗闇の中でくすりと笑う気配がして、私たちは布団にもぐった。

いつもの布団からほのかに白檀びゃくだんの匂いがする。まるで遠征先で過ごす一夜のような気分だ。

私たちは寝台の両端ギリギリまで離れ互いに背を向け横になった。


「……陛下って、演技上手なんですね。あの時すっかり騙されましたよ」


揺れるあかりを見つめながら私は口を開く。


「いや。あれはただ……『化粧師』の真似をした」


そういえばあの時、陛下の机の上に本があった。参考資料としていつも手元に置いていたのだろうか。


「わたしも、ああいう国王になれば良いのだと思って」


妃のために書いたBL本に、陛下がやけに夢中になっていると思ったら……。娯楽として読んでいたわけではなかったらしい。


「でも、あやつも結局は偽りの暴君だったのだな」


それは徳妃の一件が終わったあと書いた最新刊の内容だった。目を通しているということは、少しは楽しんでくれているのかもしれない。そう思うと心が和らぐ。


私は答えた。


「それは────……」


が、すぐに言葉を飲み込んだ。

ここで「あなたの影響ですよ」と言ってしまうのは野暮やぼな気がした。

私たちが互いに影響しあっている事を知るのは、私だけで良いはずだ。



「────……」


言いかけた手前どう続けようかと考えていると、規則正しい呼吸音が耳に届く。


私は横になったまま上半身を仰向けにひねり、背後を確認した。陛下の身体は呼吸に合わせゆっくりと上下している。

どうやら眠ったらしい。


もっと話したかった思いより、休んでもらえてよかったという気持ちの方が大きい。

日々政務に励んでいる陛下にとって後宮は、何より安らげる場所であるべきなのだから。


私は体勢を戻し、布団を肩までかぶった。

触れ合っていないはずの背中が温かく感じる。


そんなことを考えてしまうくらい、私にはまだ眠気がこなかった。


暇な時ほど人の思考は、下世話な方へと向かうものだ。

広々したこの寝台はやっぱり二人用なんだなーとか

男の人と同じ布団で寝るのは初めてだなーとか。


────


────


……いいかトウコ。相手は国王で18歳で既婚者の子持ちで嫁は数十人。


背後で寝息を立てる青年のスペックの凄さには改めて驚いてしまう。


────まって。この状況ってもしかして……不倫では!?


女の貞節が命よりも重いこの国で、こうして既婚者と同じ布団に入るなんて……一体どんな罪になるのだろうか。八つ裂きにでもされるんじゃないか。


せめて……いや間違ってもエロい夢とか見ませんように!絶対!


そう願った私は目をかたく閉じ、羊を215匹数えた。



*   *   *



『おい、起きろ』


さむいさむい冬の日。私は久しぶりに帰った実家の居間で、飼い猫の"くろまる"と過ごしていた。ぽかぽか温かなこたつに入って、くろまるは膝の上で眠っている。


『起きろ聖人!』


「………んん、?」


目を開けると、まだ太陽が昇りきらない冬の朝。木製のベッドの上。

ロウソクのあかりと少しの朝日に照らされた男が立って私を見下ろしている。


────ああ、そうだここは覇葉国だ。


しかし実家の夢なんて久しぶりに見てしまった。くろまるまでいたし。

とりあえずエロいやつじゃなくて良かった……。


起きぬけの頭でそんなことを思いながら私は上体を起こす。

寝台の帳は全開で部屋全体が見わたせた。


鬼の形相の青藍さんの背後には、女官たちがいつもの三倍くらいの人数で寝台を囲んでいる。着替えや洗面器を手にしている者、ただ野次馬のようにこちらを覗いている者などさまざまだ。


「……一体どういうことだ。なぜお前が陛下と寝ている」


地獄のような低音ボイスを響かせる丸眼鏡。走ってきたのかそれとも寝癖か髪が跳ねている。


「あー……ちょっと、色々ありまして」


昨夜のあれこれを説明せねばと思うが、頭はまだ回らない。

私はとりあえず自分の髪もボサボサであろうことを思い出し、頭に手ぐしで指を通す。腕を下ろすと手の甲が何かにゴツンと当たった。

人の頭だ。


「……ん、」


「あ、陛下いたんですか」


とっくに起きて朝儀にでも行ったのかと思っていた。

よく考えれば昨日陛下が清龍宮を追い出されたは、翌朝ゆっくりできる日だからに決まっているのだが。


そして私たちが思いのほか近い距離で朝を迎えたことを私はようやく理解した。


朝パンチをくらった陛下は、横になったままゆっくりと目を開ける。


「………」


何とか上体を起こしたものの、言葉は出ず目と口が半開きだ。朝が弱いらしい。

陛下は首を左右に動かす。いつもとは異なる朝の光景に何を思うのだろう。


女官たちがその場で一斉にひざまずいて高い声を上げた。


「「おめでとうございます!」」


「………?」


朝の挨拶間違ってないか。今日って正月?それとも陛下って毎朝これなのだろうか。存在自体がおめでたいから?


私が首をかしげていると、背後から肩に羽織が掛けられた。


「ああ、ありがと鈴玉リンユーちゃ…」


羽織に袖を通しつつ振り返ると、鈴玉ちゃんがいつもの倍のサイズになっていて驚きのけぞる。


「──あ、紫雲さんっ!?」


よく見ると朝日を背にした長髪の男性が、胸の前で両腕を組んで立っている。

鈴玉ちゃんはその後ろに隠れていた。


「……お二人とも、ぐっすりお休みのようで何よりですねぇ」


逆光で顔は大きな陰に覆われていた。

けれどその張り付けたような笑顔は十分見てとれる。

そして何とも言えない猫撫で声に、私の頭は急にさえてくる。


────嵐の予感がした。



************************************************


【こぼれ話】前話で書くはずだったやつ


李宰相には正妻と側室が1人ずついて、青藍は側室の子です。

正妻には女の子しか産まれず青藍が李家唯一の男児でした。彼は後継ぎとして正妻の戸籍に入り※、姉たちからも可愛がられて育ちました。

それでも側室の子であるという負い目はあり、それが父に逆らえない理由の一つです。


※母親の身分は子の昇進や結婚に大きく影響するため、良家では子を正妻の戸籍に入れるのは普通のことです。

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腐女子、召喚 ~初期設定「言語能力」だけで後宮を救ってしまったオタクの話~ ぐるた眠 @gluta_mine

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