春霞、瞳に写した薄桃色が映ゆる
花恋亡
やっぱり大嫌いだ
ゴミゴミした街の大きな病院。
私はここに入院している。
窓の外からは小鳥のさえずりでも聞こえてきそうな、穏やかな陽射しがさしている。
生まれつき心臓の悪い私は入退院を繰り返しながら育ってきたが、いよいよ体の生長に心臓が追いつかなくなったようで、高校二年生の夏から入院したままだ。
繰り返す代わり映えのしない日々に、私の心は疲れていた。
もう、生きたいのか死にたいのかすらあやふやで、ぼんやりと輪郭を帯びる死に恐怖は感じなくなっていた。
生きると死ぬの二択しかないのなら「生きる」を選ぶが、もし三択目を提示していいのなら「どちらでもいい」が本心だった。
死なない為の日々に飽きているのだろうか。
そんな私には日課があった。
昼食を終えてから十五時になるまでの時間を外で過ごす事だ。病院の敷地を出て直ぐ隣にある川沿いの遊歩道。そこに等間隔に置かれた幾つかのベンチ。
時折、病院の職員が一服しにやって来るが、通行人はさほど居ない。
私だけの避難所。
私は腰を掛け本を読み、スマホをいじり、時にはうたた寝をする。
その日もいつも通りベンチに座っていた。
春の陽を透かす薄桃色を憎たらしく睨んでいる時の事。
「カシュッ」軽いシャッター音がした。
視界の端で写真を撮っている人が居る事には気付いていたが、そのレンズが私に向いている気がして顔を向けた。
背の高い細身の男性が、覗いてるカメラを胸元まで下げて、すみませんと言った。
私が「別にいいですけど、お金取りますよ」と言うと彼はとても困った顔で笑った。
そしてそのままベンチの端に座る。
桜、綺麗ですね。そう言う彼に私は「散る様すら美しいだなんて馬鹿みたい、私は嫌い」と答えた。
彼はまた困った顔で笑った。
そして彼は私にバタースコッチキャンディを差し出した。「年寄り臭いね」と言うとまたあの顔をす
る。
この日から毎週月曜日と金曜日に彼はやってくるようになった。
カメラとバタースコッチキャンディを持って。
ぽつりぽつりと決して多くない会話と、時折カメラを構える彼。
不思議と気まずさや居心地の悪さは感じなかった。
午後の陽射しが眠気を誘うように、彼の雰囲気としゃがれた声は私のとげとげしい心にそっと寄り添ってくれてるかのように感じた。
私は彼に仕事の事を聞いた事がある。すると彼は困った顔で笑うだけだった。
どうせうだつの上がらない夢追い人なのだろう。
もっと困らせたくなったが、バツの悪そうなこの困り顔はいつもと違うから止めておいた。
そして季節は夏へと移ってゆく。
彼は変わらずにベンチの端に座り、私は本を読むついでに相槌をうつ。
彼がスポーツドリンクを差し出したから「グリーンアップル味の方が良かった」と言ってやった。
するとまた困った顔で笑うのだ。
次に会った時はグリーンアップル味のドリンクと日傘をくれた。
如何にも男の人が選びそうなシンプルな日傘に「もっと可愛いのが良かった」と意地悪く言った。
本当は嬉しかった事は教えてあげなかった。
入道雲へレンズを向ける彼に「今を過去にしてしまう写真なんて嫌い」と言った。
彼はいつもの顔をしながら、今この一瞬を未来に繋ぐ為に残すんだよ。と珍しく言い返してきた。
腹が立ったので「ふーん」と冷たく終わらせてやった。
どこまでも夏を引きずったまま暦は秋へとなった。
次第に高くなっていく空を、そこに敷き詰められる雲の絨毯を彼は夢中でカメラに収める。
満足した彼がペットボトルのほうじ茶を差し出したから「ほうじ茶はもう飲み飽きた」と言って困らせた。
そして次に会った時はレモンティーに変わったので「レモンティーはホットの方が好き」だと言ってやった。
ぽりぽりとこめかみを指で掻きながら笑う彼に、私はぶっきらぼうにバタースコッチキャンディをあげた。
驚く彼に「いらないなら返して」と私が言うと、慌てて口に放りこんでいた。
空気は静けさを蓄えだし、吐く息を白く変える冬がやってきた。
太陽の有り難みを感じながら目を瞑っている私に、彼は自分の巻いていたマフラーをそっと巻いてくれた。
「男の人臭い」とクンクン嗅ぎながら言ってやった。
いつもの顔をする彼の鼻の頭は赤く染まっていて「寒いなら無理する事ないよ」と私が言うと彼はコートの両ポケットからストレートティーとミルクティーを出した。
私がミルクティーを選ぶと彼は残ったストレートティーのボトルを顔に当てて嬉しそうに笑った。
私がミルクティーを選ぶ予想でも当たったのだろう。
私は腹が立って「ロイヤルミルクティーじゃないところがセンス無いね」と言ってやった。
彼はお決まりのあの顔をする。
そうして日々は過ぎていった。
雪が降ることなんて滅多にないこの街に、三月のはじめ、雪が舞った。
その日、私の体調は悪くなった。
僅かに左に寄った胸の一部分が、酷く重く鈍く痛み私を生かしてるのは此処なんだと嫌でも意識せざるを得なかった。
呼吸に併せて痛みは寄せては返し、点滴は途切れる事無く追加される。
胸から出るコードが繋がるモニターには、私が生きるリズムがジグザグと映し出され、それに呼応する電子音が耳障りに響いていた。
ひたすらに目を閉じる。
暗い、痛い、苦しい、辛い。
そして、やっぱり、怖い。
薬が効いてきたのか、痛みが和らぐと自然と眠ってしまっていた。
夢を見た。
いつものベンチ。
世界は薄ら暗く、細かい雪が舞う中に彼は一人座っている。
私はゆっくりと近づき「何やってんの、天気悪い日は止めとこうって言ったの自分でしょ」と言った。
すると彼はいつもの困った顔で笑う。
男の人にしては長い彼のまつ毛に積もった粉雪が、次第に体温で溶かされて目尻に伝い、皺の寄る端から静かに溢れた。
私はそれを黙って見つめていた。
そんな夢だった。
また一つカレンダーがめくられた。
私の体調は持ち直し、退院こそ出来ないがまた退屈を持て余すまでに回復した。
私はいつものベンチに座り、重たげに花を咲かせる桜を睨みつけながら、今度はどんな意地悪を言ってやろうかと考える。
久しぶりだからめいいっぱい困らせてやろう。
そんな事を考えていると遠くに人の影が見えた。今日は日曜日、彼ではない事は確かだ。
どうやら女性のようだ、カメラのファインダーを覗きながらキョロキョロとしている。
桜を撮りにきたのだろう。
女性はファインダーを覗いてはアングルを変え、時折冊子のような物を開いては次第に私に近付いてきた。
カメラなんてどれも同じに見えるけれど、どこか彼のカメラに似ている。
そんな事を考えていたら女性とファインダー越しに目が合った。
女性は驚いた顔をしている。
そして少し微笑んでから私の隣に座った。
女性は手に持っていた冊子を私に渡した。
それは広報誌で、開かれたページは新聞社主催の第十二回フォトコンテストの入選発表の項だった。
私はそれをまじまじと眺める。
「人の写真で賞をとるなんて、やっぱりモデル代を貰わないと」
私は優秀賞の写真を見つめ独り言のように呟いた。
すると女性は困った顔で笑ってから話し出した。
彼女の息子さんは若年性の癌だった事。
僅かばかりの延命治療を放棄し、予後を出来る限り穏やかに苦痛少なく過ごす為に緩和ケアを受けていた事。
フォトスタジオの仕事を辞め、生きた証を残したいと毎日写真を撮りに出かけてはコンテストに応募していた事。
そして彼女の息子さんがこの写真を撮った事。
入賞を嬉しそうに報告した日の事。
風景写真しか撮らなかった息子さんが、人物写真を撮っていて驚いた事。
余裕の無い顔だった息子さんにいつしか笑顔が増えた事。
せん妄で錯乱する息子さんは仕切りに何処かへ行こうとしていた事。
そして。
先月の雪の日に、息子さんが亡くなった事を。
ひとしきりに自分の言いたい事を話した女性は、最後に息子さんのカメラを私に託すと、勝手に満足そうな顔をしてから帰っていった。
私はもう一度冊子の写真を見る。
コンテストのテーマは「希望」。
優秀賞作品。
タイトル
「巡りまた訪れる春に何度でも恋をして」。
薄桃色を瞳に反射させ、桜の花びらの雨を見上げる女の子の写真。
相変わらず言う事を聞いてくれない私の心臓は、酷く痛くなって胸を押さえずにはいられなかった。
キラキラした世界が嫌いだった。
その色が増す季節が嫌いだった。
その季節を象徴する花が嫌いだった。
嫌いだった筈なのに。
憎々しく、恨めしく睨んでるつもりだった。
そう思っていたのに。
「私をこんな顔にさせる春は、やっぱり大嫌いだ」
私は空をいつまでも見上げていた。
※※※
息子が亡くなった翌年から、息子が賞を頂いたフォトコンテストの入賞作品展示会に足を運ぶのが恒例行事となりました。
それはいつか来る確実な別れを悲しむばかりで、生きている内にもっと写真に興味を示してあげれば良かったという後悔からなのかもしれません。
区民文化ホールの自動ドアをくぐり、正面ホールに展示されている作品をゆっくり見て回ります。
第十七回目のテーマは「思い出」。
どんな方が、何を思い、何を残したかったかを想像しながら眺めます。
そして入選作品の一つに目が止まりました。
どこか不思議なその写真。
桜木の下、女性が花びら舞う中でカメラを構えています。しかし女性は桜にカメラを向けている訳では無いのです。
写真を見るこちら側へカメラを向けています。正確には正面より少し右上かもしれません。
誰かと撮り合いをしてる最中の一場面でしょうか、それともわざわざ違うカメラを固定してこの構図で撮ったのでしょうか。
その作品のタイトルは「恋慕」。
説明の箇所にはまるで、誰かに宛てた手紙のような文章がありました。
「まだ伝えて無い言葉があるから、この場所で君を探す。また、あの困った顔で笑わせたくて」
おわり。
春霞、瞳に写した薄桃色が映ゆる 花恋亡 @hanakona
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