第1話 残らない記憶

さかきさん、おはようございます。今日はよく眠れましたか?」


「はい、よく眠れましたが…いつもはそんなこと聞いたりしないのに、なぜ急に?」


「うなされているようでしたから、何か嫌な夢でも見たのかなと思いまして」


 そう言ってきたのは、立花 かおるさん。俺の入院している市立病院で俺を担当している看護師だ。そういえば、やけに気分が悪いような…一週間前から入院しているが、特に原因は思い当たらない。…まあ、一時だけのものだと考えよう。まだ午後三時だし。


 すると、立花さんがゆっくりと俺に近づいてきて、


「院内での生活は退屈でしょう。ほんの少しですが、お菓子を持ってきたんですよ」


 差し出されたのは、一本のバナナと、四角形のチョコ一個。それだけなのに、つい眼が潤み、そこから一滴、零れた。だが、それを涙と呼ぶにはまだ早すぎるような気がする。

 立花さんはそれを見るなり、すぐさまハンカチを取り出して俺に渡した。「どうぞ」の一言もなしに無言で手渡すその姿は、やさしさに溢れていて、それに気づいたときにはもう心の雨が止まらなくなっていた。


 何分経ったのだろうか。ようやく落ち着いて話ができるようになった俺は、ベットに横たわったまま立花さんのほうへ顔を向ける。


「ありがとうございます。なんだか、最近疲れているようで…あ、気にしないでください。そのうちこの環境にも慣れますから」


「疲れるのも無理はない話です。だって…あなたの寿命はあと一年、しかも原因は不明…おまけに大きな副作用のある薬を飲まなければ二十四時間以内に死んでしまう、そう診断されたのでしょう?」


 その通りだ。原因は分からないが、俺は白刻病はっこくびょうという病気らしい。この病気は、立花さんの言う通り、毎日薬を飲み続けても治るわけではない。だが、少しでも長く生きるために必要な薬だから、毎日欠かさず飲んでいる。

 そういえば、「大きな副作用」とは何なのだろうか。まだ誰からも説明を受けていない。医者さえも何も言ってくれなかった。


「立花さん、薬の大きな副作用ってなんですか?今のところ何も問題はないのですが…」


「え?あー、えーっと…あまり知らないほうがいいですよ…?」


 何を言っているんだ、自分の飲んでいる薬の副作用がわからないなんてことがあるのか…?それに、知るなと言われたら知りたくなってくる。


「お願いします、教えて下さい!今日の疲れは薬の副作用かもしれないんです!」


「これを言ったら、あなたの背負うものが一つ増える。…それでもいいですか?」


 立花さんは、いたって真剣に、でも少し悲しそうな眼で俺を見た。

 だが、それでも俺は聞かずにはいられなかった。

 覚悟を決めて、静かに頷く。


「…わかりました。あなたの飲んでいる薬は、白刻病をできる限り抑えることができます。しかし、その代わりに、寝て起きてからの三時間の記憶が残りません」


 一瞬思考が止まる。起きてからの記憶が三時間も残らないなんて、そんなの一日が三時間短いようなものじゃないか…

 と、ここまで考えて一つの違和感に気づく。立花さん曰く、寝て起きてからの三時間のことは覚えていないんだよな?


 なら、なぜ今日は「おはようございます」と言われた記憶があるんだ?

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もし俺が君を忘れると言うのなら 緑 よいち @midori_yoichi

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