第36話 雲外蒼天
陰陽鏡を使うのは龍穴の上で。
夜になり宮中が活発になる中、あやかしの行き交いが少ない龍穴へと向かう
「心配しなくても一人で帰れるわよ」
「それは信頼している。……私がただ、その時まで共にいたいだけだ」
──背中がどうにもむず痒い。
静麗は口を固くむすんで呆れた瞳で傍の男を見上げた。
「……あんたって」
「なんだ?」
「……いえ。龍種って運命論があるくらいだし、そういうものなのよね、きっと」
何せ見知らぬ女官に文を送ろうと、こっそり訪ねていくと噂になろうと、運命なのだろうと言われれば誰も疑問に思わぬ程だ。先日の騒動を思い出してえも言われぬ笑みを口元にだけ浮かべる。
玉砂利を踏み締めて向かうのは東の門の付近。執務が始まるこの時間帯に、あの門を行き交う者は少ない。龍穴があることも既に颯雨が確認済みだった。
「そういえば、結局鏡は手に入れられたの?」
「ああ。此処に」
取り出された鏡は静麗が持つものと同じくらいの銅鏡だ。表面に刻まれているのは両の翼を大きく広げた鳥。
「朱雀か鳳凰かしらね」
「恐らくは。……兄上は私がこれを手にしたことを気がついているだろう。だが、何も言われてはいない。それどころか、使うだけの猶予期間を与えてくれた」
「……本当に? なら……この邂逅が最後というわけじゃないのね」
「ああ。……実を言うと、少しだけ怖かった。私はあの時に逢いたいと口にしたが、君はそれを肯定も否定もしなかったから」
共にありたいのだと彼は言っていた。静麗は思い出す。
雨の日に互いに身を寄せ合う傷の舐め合いだけでなく、吹雪の日も晴れの日もと。
静麗のあやかしへの憎悪を知りながらもなお、それを否定しないまま共にありたいと微笑みを向けてくれた。誠実な男だというのはこれまでの邂逅だけで嫌というほど知っていた。けれども約束が果たされずとも、実のところあの言葉一つで十分静麗は報いを受けていた。
「……そういえばそうだったわね。どっちにしても無理だろうと思ってたもの。あんたは陰陽鏡を手に入れるって言ったけど、人の世界に来ることをあの無愛想なお兄さんが認めると思わなかったし」
「惹かれるのは仕方がないことだからと、兄上は言っていたよ。龍にとってそれは問答無用であり方を変えて、心臓を掻きむしりたくなりながらも抉り取れないものだと」
物騒な言葉を言いながらも、金の瞳に敵意はない。あるのはただ、切実な想いだけだ。
「
伝播するように頬が熱くなる。先ほど微かに感じた背中のむず痒さなど可愛いものだと思うほどに。
「だから、逢いに行くことを赦してほしい。拒まないでほしい。……欲をいえばきっと限りがなくなる。それはきっと君も望まないと分かっている、けど」
喉が詰まったように唐突に言葉が途切れ、けれども再び喉が震えることはない。彼の目はこちらの反応を窺うように。彷徨いながらも確かに向けられていた。
足はとうに止まり、龍穴のある宮の片隅に辿り着いていた。逃げ道を彼はこちらに残してくれたのだというのは、容易に察せられた。
彼を拒否することは簡単だ。望む答えを返さぬまま、陰陽鏡を使えばいい。彼はきっと追ってくることはないだろう。
「……正直なことを言うとね、それを聞いて拒否感は出ないわ。でも、受け入れることも出来ない。私は人間だから龍種の運命なんてもの理解できないし、同時にまだあやかしという種そのものを許せたわけではないから」
「…………わかっている。誠実に答えてくれて、ありがとう」
ちっとも有難うという声ではない。後ずさろうとしたその手を掴めば、大仰に男の肩が跳ねる。視線を逸らそうとする男の下から覗き込めば、しばしの無言の拮抗ののち観念したようにこちらと目があった。
「でも」
「……うん」
「また逢いましょう。晴れでも雨でも雪でも、なんなら嵐の日でも構わないわ」
「……!」
「種族の恨みとか、龍種の運命とか、そう言ったものを全部取っ払ってしまいさえすれば。また逢って言葉を交わしたいと思う想いは私にだってあるもの」
雨が完全に止んだ訳ではない。今でも夜の日に目を閉じれば遠くに音を聴くこともある。
あやかし狩人として、
指先に力を込めれば、それは強く握り返された。
陰陽鏡の裏後宮 仏座ななくさ @Nanakusa_Hotoke
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