第31話 スプリング・トゥ・ザ・フューチャー⑤

「それで、さ。未蕾は考えてみた? 名前」

 食事がひと段落したところで唐突に春が話を切りだしてきた。

 質問の情報量が少なすぎだけど、まあもちろん今私のお腹にいる新しい命についてのことだと思う。


「一応色々とね。だけどまだちょっと気が早い気もするよ。だって男の子か女の子かもわかってないんだし」


「はは、確かにそうだ。でもそれはそれでいいんじゃないかな。最終的にどんな名前になるとしても、こうやって話し合う時間こそがその子の名前にたくさんの意味を与えてくれる」

 そんな小っ恥ずかしいことを口にしながら、我がだんな様は食後のコーヒーを用意してくれていた。


「ま~た難しいこと言い出して。そういうのは学生の内に卒業しときなさいよ。まあ、ほとんどまともに学校行ってなかったんだろうけど」

 春が出してくれたコーヒーを口にしながら、いつものように春へ意地の悪い返事をする。こんなやりとりは初めて出会った頃から変わらない。


 だって仕方ない、私は目の前に出された温かいコーヒーで簡単に癒されるような、いつまでたっても変わらない単純な生き物なんだから。


「そうだね、僕が通ったのは結局あの古校舎だけだった。でもいいんだ、おかげで未蕾に会えたんだから。もちろん、桃にもね」

 ……ホントかなわない。春は毒づく私をほんの些細な言葉で浄化していく。


「─────名前、ちゃんと考えてるわよ」

 そう、ずっと前から温めていた名前がある。この子が春の季節に産まれるのならなおのこと相応しい名前を。ちょっと女の子よりの名前だけど、まあ産まれてくるのが男の子でも大丈夫でしょ。


「そうなんだ、聞かせてよ。……それとも名前は秘密、かな?」

 冗談めかして春は言う。

 ああ、私たちが初めて出会った時のことを思い出す。


「そうね、名前は個人情報だから、簡単に教えてあげるわけにはいかないわ」

 それに私も笑いながら答えていた。


「ママ~、これみて~。モモがかいたの!」

 トタトタと走りながら、両手に何かを掲げて桃が私のところにやってくる。

 手にしていたのは、一枚の絵。


 拙いながらも、大人の男女と子供、そして大きな桃色の木が描いてある。そして丁寧にもそれぞれにパパ、ママ、モモ、サクラとわかりやすく名前が振ってあった。


「わ~、すごいね桃。上手に描けてるよ~」

 ほめて欲しそうにウズウズしている彼女の頭を優しくなでる。でも、この紙って。

 何か予感するものがあって、私は春を見た


「ああ、父さんたちの手紙に挟まってた白い紙だよ」


「──よかったの? 春」


「もちろん。いつまでも真っ白じゃ、その紙もかわいそうだったからね」

 何一つ後悔なく、むしろ誇るように彼は言った。


 確かに、こんな使い方なら、これを残した人も本望かもしれない。


「あ~、またパパばっかりママをひとりじめしてる~」


「もう、そんなことないよ。ねえ、桃こっちにおいで。今日はママがたくさんご本を読んであげるから」

 すると桃は嬉しそうに目を輝かせて、私の膝の上までよじ登ってきた。うん、やっぱり重い。そして、これからきっともっと大きくなっていくんだよね。


 愛しい娘を膝に、私はかつて手にした児童書を読み聞かせる。


 ああ、どうしてか、嬉しさで涙が滲んで世界がかすんでいく。


 そんな日々が私に与えられることは絶対にないと思っていた。


 でも、


 かつて開くことはないと思った蕾がこんなにも愛らしい花を咲かせたんだから。


 失われてもなお季節は巡って、来年の春にはきっと桜が咲いている。


 その未来に私たちが繋げていく。


 こんな世界でゴメンね、じゃなくて。


 この世界にようこそ、と胸を張って言えるように。


 ワールズエンド・ユアエンド、世界の果て、あなたたちの果て、それはあの赤く沈む太陽のもっと先の地平にあるんだから。


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ワールズエンド・ユアエンド 秋山 静夜 @akiyama-seiya

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