第30話 スプリング・トゥ・ザ・フューチャー④
世界が終わる日とされた西暦2990年の8月31日の翌日、9月1日。
海洋都市のありとあらゆるモニターにある映像が流れた。それは春の母親、常月雪音のからの通達だった。
『おはようございます。昨日をもちまして、人類の滅亡フェイズを脱したことをご報告いたします』
事務的な、相変わらずの冷たい声。
『なお、気候が安定するまで10年ほどの時間を要するため、地殻変動に伴う海面上昇など起こりえますのでご承知ください』
『また、私の独断によりこの度皆々様に多大なる精神的苦痛を与えてしまったことをここにお詫びいたします』
『その代わりと言ってはなんですが、人類限界とされていました西暦3000年は到達・飛越可能となっています。ただし、私の生存時間軸からではそこから先の未来演算はできないので、それ以降の人類限界、世界の果ては皆さまの行動次第ですのであしからずご了承ください』
『では、皆様よき
そう締めくくり、彼女は一礼して世界から消えた。
丁寧で、どこまでも他人事のような彼女の言葉。海洋都市の人たちはそれを聞いて混乱しながらも、少しずつ朧気に理解していった。
まだ、世界は終わらないんだって。
そして彼女の言葉通り、海面水位は1年で20メートル以上も上昇していった。さすがにこれ以上の地上での生活は不可能ということで最後まで大地での生活を惜しんでいた富裕層も次々と海洋都市へと移住していく。その中には春のお祖母ちゃんも含まれていた。
私はそんな中でかつての図書室から1週間に1度ほど大量に本を回収して海洋都市に持ち帰るなんてことを続けていた。
まあ、だって? あいつが電子書籍は肌に合わないなんて言い出すから。
始めは春が入院している病室に、次は春のお祖母ちゃんと彼が暮らし始めた新しい家に、そして校舎が完全に沈む最近まではあいつが一人暮らししていた部屋に運んでいた。
まったく、一応文化保存の名目があるから実家にも相当の量を押し付けてるけど、さすがに場所を取るからその辺あいつにも考えて欲しい。あ~、私が都市長になったら海洋都市の一画に図書館でも作ってみようかな。
もう海に沈んだあの学校の図書室に通うことはないので、これ以上蔵書量が増えることはなくなった。だから私にとって最優先の課題は我が家を圧迫するあの書物群をどう処理するかだ。
本当に、これから新しい家族が増えるのにこれじゃ困る。
仕事先で父と合流して分刻みのスケジュールを滞りなくこなしていく。
海洋都市中に春の母親の映像が流れたその日、お父さんは放心した顔で大粒の涙を流し続けていた。私とお母さんはそんなお父さんを何も言わずに抱きしめた。
それ以降、お父さんは調子を取り戻して、都市長としての職務に復帰した。私は、高校卒業後は父の仕事に同行してサポートに努めている。
世界に残された最後の箱舟を守り続ける仕事。もうこの船から捨てられるモノは何もないんだから。
あまりに長い歴史と、あまりにたくさんの人生、それらを消費して私たちはここまで来た。
自分たちがただ生きているのではなく、かつてあった誰かの想いで生かされていると気づいた時、人はただ立ち止まってなんていられなくなる。
これまで積み上げた歴史は、これから私たちが未来に進むための燃料に他ならない。
だったら、どの時代よりも潤沢な資源を託された私たちがここで立ち止まるわけにはいかないじゃない。
駆け抜けるように今日の仕事を終え、やすらぎの我が家に帰宅する。
時刻は既に夜の8時過ぎ、外は煌々と太陽が昇っており気温は既に30℃を超えている。生身で帰宅可能なギリギリの時間であり、父や他のスタッフはまだ仕事を続けていてどうやら職場に泊まり込むつもりらしい。
私も残りたくはあったけど周囲がそれを許してくれず、こうして帰宅することになった。
まあ私も残りたい気持ちと同じくらい、いやそれ以上に家に帰りたい確かな理由があるからそれでいいけれど。
家の玄関を開ける、するとドタドタと騒がしい音がこちらへと向かってきた。
「おかえりなさいママ~」
はしゃぎながら私に向かってくる小さな少女。
「ただいま桃、元気にしてた~?」
私は愛娘の桃を両手を広げて受け入れ抱きかかえる。う、さすがに4歳にもなると私の細腕じゃそろそろ持ち上げるのがきつい。腰を痛める前に次あたりからは別の受け止め方を考えないと。
そんなことを考えていると桃に遅れて、落ち着いた足音も近づいてくる。
「お帰り未蕾、今日もお仕事お疲れ様。桃もお母さんにあまりムチャをさせちゃダメだよ。今はとくに大事な時期なんだからさ」
柔らかい声、穏やかな表情、昔はとても遠くに感じた彼の言葉は、今では何よりも近くから聞こえてくる。
私は、春と結婚して子供ができた。正確には子供ができて結婚したのだけど、その辺りはまあ棚の上どころか宇宙の外にでも放り捨てておくことにしよう。
常月夫妻の息子である春を親に紹介した時、お父さんはこれまでに見たことがないくらいに不機嫌な顔をしていたけど、私がこれまでにないくらいご機嫌な顔をしてたから何も問題は起きなかった。
そりゃもうニッコニコだったからね。
そして、また次の春には2人目の子供が産まれる予定でもある。
「だいじな、じき?」
「そうだよ、来年には桃はお姉ちゃんになるんだ。だからそれまでの間はとくにお母さんにムリをさせないようにしないとね。その分、僕に甘えていいからさ」
幼い娘を春は優しく諭す。
「え~、だってパパはずっといえにいるもん」
だけどその娘にはプイッとそっぽを向かれていた。ふふ、ほんの半年前までは春にべったりしてたのに面白い。もしかすると最近通い始めた保育所で友達に何か言われたのかもしれない。
「いいじゃない春、やっと私にも甘えてくれるようになったんだし。それに春だって身体は強くないんだから、それこそ無理しないでよ」
そう、桃を出産してからすぐに仕事に復帰した私はなかなかこの子にかまってあげられる時間がなく、最初の頃はあまりなついてくれずに結構苦労した。というかかなりへこんだ。
対して春は基本的に外出ができないので家事全般をこなしながら桃につきっきりで育児をこなし、桃はそれはもうどこに出しても恥ずかしいパパっ子に育っていた。
幸いなことに春の心臓はあれから正常に作動を続けており、発作や意識を失うことはなくなっている。ただそれにしたって元々体力のない春にとっての育児の日々が過酷だったことは私にも想像がつく。
「もっとウチのお母さんに頼ったっていいんだからね。来年にはもう1人増えるし、春に倒れられたら私困るよ」
ちょっとだけ甘える声で彼を甘やかす。いやもうホントにこの男に倒れてもらっては困るのだから私だって真剣だ。
「うん、そうだね。お義母さんにも時々は声をかけるよ。ありがと未蕾、心配してくれて」
少し頬を赤らめながら春は答える。フフフ、ちょろい。まあそのちょろさが可愛くて、その変わらない純朴さが今でも私の胸をキュンキュンさせるんだけど。
「ね~、ママごはんたべよ?」
「そうね、夜ご飯食べようか。パパの今日の料理はなにかな~」
愛娘をピクピクと引き攣る腕でどうにかリビングまで運び、早々に着陸していただく。テーブルの上には既に春の用意したディナーが待ち構えてくれていた。
機械心臓を移植してから引きこもりにならざるをえなくなった春は、読書に勤しみながらも空いた時間で料理などの家事にも興味を持ち始めた。結婚当初はまだ私の方が上だった家事スキルも今ではどの分野においても完敗だ。
その上、育児の暇を見つけては過去の歴史資料を編集して論文化したりと何気にハイスペックなことをこなしている。
本人が言うには『できないことが多いからできることをしているだけで、何も特別なことなんてないよ』とのことだ。う~ん、あんまり簡単に私の好感度を上げ過ぎないで欲しいかな。
だってこれじゃまるで私がチョロイみたいじゃん。
なんてことを思いながらも一度洗面所で手洗いうがいをしてから家族で食卓につく。
「それじゃあ食べましょうか」
目の前に並ぶご馳走、目の前には優しい顔をした夫が座り、右隣には愛しの娘が座っている。
────ああ、確かコレを『幸せ』って呼ぶんだっけ?
私には絶対に届かないと思っていた日々が、何の奇蹟か今ここにある。
それら全てに感謝して、
「「「いただきます!」」」
この幸せを、ゆっくりと味わわせてもらおう。
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