鍋人~熱々おでんの恐怖~

白井銀歌

第1話:鍋人

 出会った人に熱々おでんを強制的に食べさせる謎の怪人「鍋人なべじん」が夜な夜な学校に出没する。

 ジョージがそんな噂を耳にしたのは、職員室で授業の準備をしているときのことだった。


 アメリカで生まれ育ったジョージは日本で教師として採用され、この中学校に春から赴任している。担当はもちろん英語だ。


 もともと日本への憧れがあった彼は、日本語を必死で勉強したし日本の文化にも理解が深かった。

 それでも「鍋人」という存在は初耳だったし、なぜ熱々おでんを食べさせるのかよくわからない。


「A組の山田君、鍋人に餅巾着と玉子を食べさせられて火傷して、学校を休んでるんだって」


「あー、どっちも熱いとキツいよね」


「鍋人って本当に居るのかねぇ」


 頭がすっかり禿げあがった理科教師と、小太りで眼鏡をかけている国語の教師が小声で鍋人について語り合っている。


 山田君は部活で遅くなったところを鍋人に狙われたらしい。

 火傷が原因かまでは知らないが、彼が学校を休んでいるのは事実だ。

 ――まぁ自分には関係ない、そうジョージは思った。

 外国人である彼はまだ熱々のおでんを食べたことがない。

 だから、鍋人の恐ろしさを理解できなかったのだ。


 数日後、ジョージは独りで職員室に残って、テストの採点をしていた。

 普段は誰かが居るのだが、なぜかこの日はたまたま彼しか残っていなかった。静かな空間にジョージがペンを走らせる音だけが聞こえている。

 気が付けば窓の外はすっかり暗くなっていた。

 部活に励んでいた生徒たちもとっくに帰宅している。

 自分もそろそろ切り上げて帰らねば。


 ジョージは引き出しに採点済みのテストをしまって、鞄を片手に職員室を出た。


 そこで出会ってしまったのだ。

 あの噂の怪人に――。


 薄暗い廊下の向こうからペタリペタリと湿った足音が聞こえる。

 不審に思ったジョージが顔を上げると、白い人型の何かがこっちに近づいていた。


 それは、ジャパニーズ幽霊のように白いシーツのような服を着ている。しかし、その頭は巨大なステンレスの片手鍋だった。

 その異形の頭には虚ろな黒い目と、鼻らしき突起と硬く結んだ口がある。


 あまりにも異様な姿にジョージが慄いていると、近づいてきた異形の口がゆっくりと開いた。


「ハァイ、ジョージィ……おでんたべるぅ?」


「オゥ……」


 驚きのあまり声がでないジョージに、鍋人は語りかけた。


「ジョージ、ハウワーユー……?」


「グ……グッド」


 ――なんということだ。鍋人はこちらに合わせて英語を話そうとしている!


 さらに鍋人は薄明かりに照らされたステンレス片手鍋の蓋を開けて、中が見えるように頭をこちらに軽く傾けた。

 グツグツと鍋が煮える音と共に湯気が立ち昇り、良い匂いがする。

 ジョージの腹の虫がぐぅと音を立てた。


「ジョージがライクかと思ってぇ……おでんの出汁にコンソメ入れてみたんだよねぇ……」


 英語で話そうとするだけでなく、外国人にも食べやすいような味付けまで意識するとは……これは鍋人のおもてなしの心……!

 この異形はおもてなしの心をもっている!


「おすすめはロールキャベツとウィンナーだよぉ……」


「いや……ノーサンキュー」


 ジョージは穏便に断ろうとした。しかし鍋人は聞く耳をもっていないかのように彼に近づいてくる。


 そう、ジョージは見誤っていた。鍋人はおもてなしの心を持っているが容赦なく熱々おでんを強制的に食べさせる怪人なのだ。

 鍋から発する蒸気と熱がジョージをじりじりと追いつめる。

 鍋人に会話が通じると判断したのが間違っていたことに気づいた時にはもう遅かった。


「ウィンナーはシャウ〇ッセンだよぉ……噛むと熱々の汁が飛び出ておいしいよぉ……」


「ノー……ノー……ノォォォォォ!!!!」



 翌日、職員室で教師たちが小声で話し合っていた。


「ジョージ先生、今日休みなんだってねぇ」


「火傷で病院に居るって聞いたけど……まさか……」


 ――熱々おでんの恐怖は終わらない。

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