第6話
「いやいや、平気だよ!私が勝手に勘違いしただけだし!」
優美は人懐っこい笑みと両手を顔の前でぶんぶんと振った。
その姿に一瞬なずなの眉間に皺がよる。
だけど天空はその一瞬のなずなを知らず、よかったよかったと胸を撫で下ろしていた。
その時勢いよく教室の扉が開けられる。
ガララという音と共に入ってきたのはスーツ姿の若い男だった。短髪の髪はワックスで固められているのか光を反射させ、スーツを着ているのにも関わらず体格の良さがわかる。眉の形、目元の奥の穏やかさからなんとなく人の良さを感じる。
男の登場にざわついていた教室は糸が張るように静かになる。
教壇にたった男は教室をぐるりと見渡して、期待や希望に満ちた目でうんうんと頷いた。
「おはよう!私はこれから一年個のクラスを担当する早木 拓実だ。教科は体育を担当している。どうぞよろしく!」
元気のいいことはいいことだが、なずなはその言葉の節々に感じる圧に苦手だと感じた。
なずなは得意なタイプではないが、天空は好きそうなタイプだ。
そう思い今も自分の横に立つ天空に目を向ければ以外にも見定めるような静かな視線で今も熱く語る早木を見ていた。
何か憑いてでもいるのかとなずなも早川見るが、なずなの目には何もおかしなものは映らない。
それもそのはず、なずなが見ることができるのは悪霊の力が強まり、人に害を与えるほどの力を持ったものだけで、昼など悪霊の力が弱まりやすい時間帯や、まだ人的被害を起こすほどの強さをもっていない悪霊の姿は見ることができないのだ。
そしてそれは父も同じだった。
もっと前に亡くなった祖父は昼も夜も、生まれたばかりの悪霊も悪霊以外の霊も全てその目で見ることができたため、単になずなの父となずなには才がなかったと言える。
早木は体格も良く、顔も天空とは違う部類だか淡白な良さがある。そしてその明るく熱い性格も好きな人は好きだろう。
どうせ女がらみの生き霊でもついているのだろう。
女は力の強さは男に負けるが思いや執念の強さは男の比にならない。というのがなずなの持論である。
だけどなずなに見えないということはまだそれほどの力を持っていないはずだ。
別に早急に対処する必要性はない。
そう考えたなずなは早木の口から流れるように発せられる熱い思いの丈を窓の外やクラスメイトを眺めながら聞き流した。
それから早木の指示により、体育館に移り入学式が行われた。
式はなんのトラブルもなくスムーズに進み、新入生代表の言葉となった。
「新入生代表 薬研やげん一冴いっささんお願いします」
そう呼ばれて壇上に現れた姿になずなは視線を落とす。
落とした先にはまだ見慣れない制服のプリーツがお行儀良く並んでいた。
そんななずなの様子に天空は壇上の少年を見つめる。
踏み出す一歩、振られる腕。
堂々とした立ち振る舞いを裏付けるのは自信と大切に育まれてきたからこその自尊心だろう。
朗らかな表情で壇上に立ち、すらすらと流れるように言葉を紡ぐ。
立派なものだ。
そう思うのは天空だけではないようで、色めき立つ周囲の口からは感嘆の声と称賛の言葉だけが漏れる。誰一人彼を批判する人はいない。
堂々とした姿、新入生代表に選ばれるくらいだきっと成績も良いのだろう。そして雰囲気を見るに人当たりも良い、まだ高校生の若造にも関わらず誰もが目を向ける何かがあるように思う。
ふとその少年の視線がなずなを捉えるが、すぐに目線を逸らした。
そんな薬研一冴こそなずなの許嫁であった。
つつがなく入学式は終わり、各教室に戻り簡単なこれからの説明を受け、今日は帰宅となった。
良ければ一緒に帰ろう
連絡先教えて
楽しげな声の溢れる教室をなずなは早足で立ちさる。
活気づく教室と比べて廊下はひんやりと冷たい空気が流れている。
早足で廊下を歩くなずなのその姿はまるで何かから逃げるようだった。
天空はそんななずなの側から離れず、ただ静かについていく。
「なずなちゃん」
優しい声だった。
なずなは足を止めて振り返る。
そこには上品な微笑みを浮かべる女性と気難しそうな男性がいた。
身につけている服、アクセサリー、時計、ネイル、頭から指先まで美しくだけど控えめなその姿は淑女と紳士という言葉が相応しい。
そしてその横には先程、新入生代表として壇上にいた一冴もいた。
一冴の両親だ。
なずなの体は無意識に強張るが顔には笑みを浮かべた。
天空はなずなが見せた笑顔に驚きながらもなずなと薬研家のやり取りを見守った。
「こんにちは、先日はありがとうございました。」
深く頭を下げたなずなの表情はまるで死体のようだった。
この先日とはなずなの父の葬式のことである。
「そんな気にしないで、私たちにとってなずなちゃんもなずなちゃんのお父さんももう家族のように思っているのだから。」
穏やかなその表情の裏の本音になずなは思考を巡らせる。
家柄も良く、美しく完璧な薬研家には底知れない違和感と不気味さがある。
なずなは一言一言に考えを巡らせ、だけど自然に会話を繋ぐ。
側から見れば穏やかな会話風景だが、偵察、試されている、腹の探り合いというのがなずなの認識である。
活気ある教室のすぐ近く、廊下で行われる静かな攻防戦。
それではと互いに軽く会釈をするまで薬研家もなずなも笑みを絶やすことはなかった。
だけど一人、一冴だけば両親の一歩後ろでなずなに冷たい視線を向けていた。
まるで道に吐かれた嘔吐物でも見るような冷たい視線で。
薬研家が自身に背を向け歩き出したのを見てなずなはほっと息を吐き出す。
入学式よりこの数分の方がよっぽど疲れた。
「なんか、恐ろしいな」
顎に手を添えながら思わずとでもいうように言葉をこぼした天空に体の強張りが解けるのがわかる。
だけどそれは一分にもみたない。
なぜなら両親と共に背を向けた一冴が1人引き返しなずなのいる方向へと向かってきたからだ。
なずなの後ろにいるであろう友人の元に向かうような形をとっているが、そうじゃないことはなずなが一番分かっている。
一歩一歩と近づく距離になずなは思わず手のひらを握りしめた。
そしてすれ違う一瞬耳打ちされた言葉に目を見開く。
「 」
唾でも吐き捨てるように放たれた言葉になずなはなんだとそんなことかと安堵し、天空はゴミでも投げられたかのように目を丸くした。
神元さんは悪霊退治しかできない 長閑 @Sousaku_1234
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