かつての仁君は薄氷の底に沈む

長月瓦礫

かつての仁君は薄氷の底に沈む

ビル街の隅、錆にまみれた自販機が目に入った。

なんとなく、今の自分と重なる部分もあったのかもしれない。


俺は歩みを止め、じっと眺めていた。

コーラの瓶、いつ補充されたのかは分からない。

今朝かもしれないし、昨日かもしれないし、一年前かもしれない。


とてもじゃないが、動いているように見えなかった。


だから、硬貨を入れた。

自販機はゆっくりと動きながら、コーラの瓶を吐き出した。

一応、現役らしい。なぜか、ほっとした自分がいた。


「瓶コーラねえ……」


初めて買ったのに、親近感がわくのははなぜだろう。

錆びていてもここにいると、主張しているからだろうか。

どれだけ落ちぶれていても、その誇りを忘れていないからだろうか。


ご丁寧に自販機の横に栓抜きがぶら下がっていた。

人々の良識によって成り立っているそれを借りて、瓶を開けて、一口飲んだ。


コーラの味そのものは変わらないはずなのに、心にしみわたっていく。


自販機の前を歩く人々を観察しながら、瓶コーラのふたを指ではじく。

王冠が落ちる。かつての栄光が落ちていく。

完璧な皇帝のその姿はもう、どこにもない。


どこまでも平和に思われた田園風景ははるか遠くにある。

今更、戻ることも許されない。


かつての皇帝は薄氷の底に沈んで、地獄に落ちた。

一歩先の氷が薄いことも知らずに、踏み込んで落ちただけだ。


その後はどうなっただろう、見れば分かるだろう。


ご覧の通りさ、笑いたければ笑え。

鼬にすら勝てないから、俺はこんなところにいるんだよ。


「……帰るか」


飲む気力も失せてしまったから、ごみ箱に捨てた。

重い音を立ててコーラの瓶は地獄に落ちた。


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かつての仁君は薄氷の底に沈む 長月瓦礫 @debrisbottle00

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