なつのはな
木春
なつのはな
「少し遠くへ行かないか?久しぶりに」
いつもと変わりない今日を過ごしていたある日の夜、急に彼は私にそう言った。その時は少々疲れていてそのまま寝落ちてしまったが、それから私の周りではあれよあれよと行幸の支度が進んでいる。一体あの時私はなんと返したのだったか。気がついた時には高原すぐ近くの行宮に私は居た。
行幸と云うものは難儀なもので、彼はこの地についてから未だに腰を下ろせていない。かく言う私も一緒なのだが。昨日は狩りに行き、一昨日は近くに別邸を持つ臣下の所へ行き、今日は宴を開くそうだ。都から少し離れるだけでも数百人が供をするため仕方がないとは言え、彼はよく耐えられるものだと思った。まぁきっと、彼は慣れているのだろうけれど。
そんな何日かを過ごした後、やっとゆっくりとした時間が取れたのはこの地に来てから六日後のことだった。
「媛、いるかい?」
またしても急に部屋へ訪ねて来た彼は私を見つけるなり当たり前のように隣に座ってゆっくりと息を吐く。
「どうしました?今日はやっと何の予定もない日ですのに。また何かしますの?」
「ゆっくりできる日………だからこそ、君のところに来たんじゃないか」
耳元で話されると吐息が触れて擽ったい。照れ隠しに顔を背けると彼は驚いた顔をした。
「媛、疲れてる?」
「いいえ?昨日は早めにお暇致しましたし、ゆっくり休めて良かったですわ」
私がそう言うと彼はまた元の嬉しそうな顔に戻って、満足そうに私の髪を手で梳いた。やっぱり気恥ずかしく思って彼の方に向き直り、彼の暖かな両手を私の手のひらで優しく包みながら聞き返す。
「そんな風に仰る貴方こそ、疲れているんじゃなくって?」
急に両手を捕らわれて目を丸くしていた彼は、悪戯を思いついた幼子のような顔になって笑いながら言った。
「いや?昨日はね……ふふ、今日のために皆に酒を、これでもか!と大盤振る舞いしてね。………実の所、僕は呑んでないからなんともない。いやぁ、今頃どうなっておるのやら」
かく言う彼は昨日も兄達と酒盛りをしていたのだ。この言いぶりでは、昨晩兄達は夫に付き合わされて今日は二日酔い。その夫は全くの無傷。夫の策略が功を奏して今日はゆったりした時間が取れた、と言ったところなのだろう。若干不憫に思えてきたが、愉快そうな顔をしている彼を見てつられて私も笑ってしまった。
「じゃあ………えっと、今から暇だね?」
「えぇ、暇と言えば暇です」
「よし!では着いて来てくれ。とにかく、行こう!」
「行くって、どこへ?」
私の質問はどこへやら。彼に手を引かれるままに外へ出ると、すぐに馬に乗せられてすぐにどこかへ進み出してしまった。数人の護衛が後ろから付いて来ているとは言え、これは後からが怖いなぁ。なんて、思いながらも少し楽しくなっている自分を彼の背に隠しつつ、こっそり抜け出すと言うには少々大胆に行宮を後にした。
「ほら、良い景色だろう?」
彼に連れられてやって来たのは行宮から少し離れた山の尾根。太陽は天高く昇り日差しが真っ直ぐに指している。だと言うのに時折鋭く吹く風が袖を揺らしてとても気持ちが良かった。
「さぁ、こっち」
馬から降り、着いてきた護衛たちにはここで待っているように告げて、彼はまた私の手を握るともっと先へ誘う。今日はなんだか連れ回されっぱなしだ。一体どこへ向かっているのかさっぱり分からず困惑してしまう。ただ何となく幼い頃の日々が思い出されてクスッとなってしまったのは、私だけの秘密…。しばらく手を引かれるままに草花が漣を立てる野を歩いていたが、目的の場所に着いたのかやっとその足が止まった。
「君とここに来たかったんだ」
そう言うと適当な場所に彼は腰を下ろしてその景色を眺めた。目の前には山の斜面に沿って鮮やかに映える一面の緑。遠くには小さな湖も見える。空には鳥が高く舞い、風は蒼い香りを運び、腰を下ろして足元を見ると小さな花々が可愛らしく黄や青の花弁を咲かせている。
「いつからこの場所を?」
「前に近くを通った時にたまたま見つけて、ね。君に見せたいと思っていたんだ」
そう言うと彼はどこから取り出したのか筒に入った酒を呷る。幸せいっぱいな顔をするとそのまま背中を倒して私の膝を枕にした。
「あ〜、至福至福。いや、これがしたかったんだよ僕は」
彼に膝枕をしてあげるなんていつもの事だからつい癖でその髪を撫でると、彼はまぁ擽ったそうな恥ずかしそうな顔をして私のもう片方の手を握った。そんな彼の幸せいっぱいの顔を見れて私もとても嬉しいのだけれど、なんだかそれじゃあ物足りないような気がして少し意地悪をしてやろうと私の中の魔が囁いた。意地悪そうにわざと頬を膨らます。
「あなた、思いっきり本音が出てますわよ」
「え?」
「私に見せたいと言いつつ、あなたのしたい事の為だけに、ここまで付き合わされたんですの?私」
「えっ、あっ。まぁ、そうなる…?」
「もーう!」
「媛?!」
私の反応が完全に予想外だったのか、彼は焦りだしてすぐに起き上がるとあたふたと私の手に触れ肩に触れ、目を白黒させている。その反応が面白くて面白くて今すぐにでも吹き出してしまいそうだったけれど、何とか堪えて横目で様子を伺う。彼から見ると、笑いを堪えようと細かく上下する私の肩も、笑いをバレないようにしようとして背けた顔も、全て怒りを表しているように思えたのだろう。今度は真っ青になって呆然とした、かと思うと直ぐに立ってどこかへ行ってしまった。あら?私、やりすぎたかしら。と少し不安になって彼の背を目で追うと、ある場所でしゃがんで何かをして、踵を返してこちらに戻ってきた。いけないいけないと元のムスッとした顔に戻す。こちらまで戻ってきた彼は、機嫌を直して、と言わんばかりの泣きそうな目をしながら私の髪に何かを挿した。
「すまない、気が利かなくて……。急に連れ出して…」
本当にこの人、多くの臣下から畏れられる帝王なのかしら?今の私の目の前には一人の妻にそっぽを向かれて目に涙を溜めている情けない男の姿しかないのだけれど。彼のこんな姿、この世で私しかお目にかかれないんだわ。お腹いっぱいになるくらい彼の可愛い姿を見れたのだから私の魔もそろそろ収まって、彼に詫びのお返しをしてあげなくちゃと今度は"善"が囁いていた。
「仕方がないですわね〜」
「えっ、媛、ちょっと」
あぁ、こんなこときっと私しか許されないんだわ、なんて優越感に浸りながら彼の懐に手を入れると、隠し持っていた筒を取り出して、そのまま酒を一口呷った。
「私にだって少しくらい呑ませてくれたって良いじゃありませんの?」
「良いんだけど、良いんだけどね、媛。良いんだけど、君は、呑んだら……」
彼の言葉を他所に何となく気分が良くなって筒を懐に戻すついでに彼をそのまま草っ原に押し倒した。
「あ〜!ほらもうどうしよう、待って、
「何を今更照れてるんですの?ほら!」
さっさと口を差し出しなさいと襟を掴むと、観念したように私の首に腕がまわされてそのまま…………。
酒の味と、爽やかな花の香り。お酒は、まぁさっき呑んだから分かるとして、多分この香りは。あぁ、愛おしい。一体なんの花を私の為に摘んできたのか分かってしまった。でも、言葉に出す前になんだか少し眠くなってきたような気がする。
「っあー、やっぱり寝ちゃった……。どうしよう。どうやって帰ろう……」
彼は自分の胸の上で眠ってしまった妻を見て困ったように、嬉しそうに、起こさないようにそっと抱きしめてゆっくり撫でながら笑った。
「ほんっと可愛い…っ…!」
〜しばらくして〜
「何やってんですかもう!」
遠くから聞こえてくる耳馴染みのある侍従の声。
「あっまずい気付かれた」
「あっまずい!…じゃないですよ本当に。いきなり居なくなったから大騒ぎですよ向こうでは。……で、うちの妹は寝てるんですか」
「あぁ。可愛いだろう?」
大君の膝を枕にして眠る大后。そしてその髪を愛おしそうに幸せそうに撫でる大君。髪には花が増えている。
「可愛いですねぇ…………じゃないんですよ。何がどうなってこうなってるんですか?」
「いや、少し酒が入ってだな」
「大后、酒弱いですもんねぇ」
「寝てしまったからこうしておる。本当は、ぼ……朕がもっとこうして貰うはずだったのだがな」
「では大君が連れ出したんですね」
「…………あぁ」
「はい帰りましょうね〜」
「あっ、もう少し、もう少しだけでも……」
「駄目ですよ〜」
「頼む葛城見逃してくれ〜!」
〜〜〜〜〜〜
「あの後大変だったんだよ本当に」
「兄様には後でお詫びしに行かないとですわね」
「君を抱えて戻るのも大変だったし」
「貴方意外と力がありますのね」
「馬に乗って帰る頃には起きてくれたから良かったものの」
「ごめんなさい、あなた」
「ま、まぁ良いけれど。全然、良いけれど」
「でも、貴方怒ってませんもんね?お花、下さいましたもんね!」
「そんなハキハキ言わずとも、勿論!」
「だって私、貴方が"永遠に愛する"妻ですものね!」
「き、君は知って…!もう!」
夫婦が仲良く話すその部屋には可愛らしく咲く桔梗が活けられていた。
桔梗の花言葉「永遠の愛」「変わらぬ愛」
なつのはな 木春 @tsubakinohana12
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