この世界をカレイドスコープにしてみたら

季都英司

世界のすべてをカレイドスコープに詰め込んでぐるぐる回してみた僕の話

 僕はこの世界が大好きだ。

 だから世界をカレイドスコープの中に閉じ込めてみることにした。

 カレイドスコープ、すなわち万華鏡。

 筒の中に鏡を貼って、綺麗なビーズや色紙を刻んで入れて、のぞいてぐるぐる回すあれ。

 回すたびに中身が動いて、新しい模様に変わるやつ。

 カレイドスコープの中ならば、この世界を余すところなく、飽きることなく、無限に見ていられる。そう思ったわけである。


 僕はこの世界が隅から隅まで大好きだし、いつまでだって眺めていたい。

 ただ海で波の音を聞き続けるなんてのも大好きだし、青空から夕焼けに変わる空を寝転びながら数時間見届けるなんてのもしょっちゅうだ。

 ビルから眺める都会の夜景も大好きだし、農村で広がる畑の変化なんて一年中見ていられる。

 ただ人が行き交う路上なんてのもドラマがあってとてもよろしい。


 僕が生まれたこの国も大好きだし、よその国も大好きだ。言ったことがある場所も言ったことがない場所も大好きだ。景色も空気も文化も慣習も歴史も人も建物も食べ物も言葉もすべてが大好きだ。

 だけど世界をすべて見て回るのは大変だし、時間がかかる。なにより、世界は変化していくわけでそれを追い続けていたら体が持ちやしない。

 時間だって有限だ。

 僕の嗜好を追い求めるには、何よりコスパが大事なのだ。

 だからこそのカレイドスコープ。

 世界の要素をすべて筒の中に入れて、しゃかしゃかして、鏡に映せば、ほら世界の新しい姿がいつでも見られる。

 ぐるぐる回しているだけで世界のすべてが堪能できるはず。


 そういったわけで、

 筒を用意し、

 鏡を貼って、

 世界の要素を細かくしてその中に放り込む。

 どうやって?聞くな。

 そして筒の周りに少し豪華な装飾をほどこす。本質じゃないけど遊びって重要だからね。

 最後にしっかりのぞき穴つきの蓋をつけて、

 よしできた。

 この世界のカレイドスコープ。

 我ながらよい出来じゃないですか。


 さて早速眺めてみましょう。

 僕は興奮に胸高鳴らせながら、カレイドスコープを明るい方に向けて、のぞき穴から世界をのぞく。

 うわあ、これは素晴らしい。

 最初に見えたのは空。

 薄明るい朝焼けの空と、晴天の真っ青な空、夕焼けのオレンジ色に輝く空、そして星がまたたく夜空がいっぺんに見える。

 とても綺麗、美しい。

 そして効率がよい。

 これまで時間をかけて眺めていた空が一度に見られるじゃないですか。


 続いてぐるりと一回し。

 世界の要素はかき混ぜられて違う景色に早変わり。

 これはどこの街だろう。人混みの交差点

 あちらこちらにせわしなく歩く人たちが、鏡に映って果てなく広がっている。

 この世界には、かくもたくさんの人が居るものかと嘆息してしまう。

 まとめて眺めると虫の大群のように秩序があって面白いし、細かく見れば、すべての人が違う動きをしていて、無数の物語がこの中で動いているということに感動すら覚える。

 かといってみんなバラバラでもなく、鏡に映って同じ動きをしている人がいる。ああ、まさに世界の縮図。


 さらにぐるりぐるりと回していくと……。

 おお、回すたびに森が育っていく。

 何もなかった平原に、芽が出てふくらんで花が咲いて実がなって、なんて歌のように緑が茂っていく。時間を早回ししているかのようだ。

 あっという間に土色の平原には、樹が増え森ができあがっていく。

 森がわさわさできあがっていく様は、植物も生き物なのだなと改めて気づかされるわけである。

 動物も植物も時間スケールの違いだけなわけだな。


 これはよいものを造ったと一日中ひたすらに、カレイドスコープをのぞいて、ぐるりぐるりと回している。

 世界の要素を詰め込んで回すと、こんなにも複雑で愉快で楽しい景色ができるのかと、今更ながらに世界というものに畏敬の念を覚えた。

 この世界を最初に創ったなにかは本当にすごいなとため息をつく、僕など所詮はありものを回しているだけだ。


 カレイドスコープを回すごとに新しい景色が次々に見える。

 見たこともない自然も楽しい。

 ぐるぐる回りながら変化する人の歴史も楽しい。

 一息ついた。

 カレイドスコープから目を離し、コーヒーなどすすりながら世界を見ない時間も楽しむ。

 うむ優雅だな。

 これまで見てきた景色を思い返す。

 あの景色もよかったな。

 あの文化も素敵だったな。

 あの人たちの物語も見事だったな。

 こんな短い間でも、楽しいものがたくさん見られた。

 でも、なんだな。あの風景はもう一度見たかったなと、ふと思ってしまう。

 でも、これはカレイドスコープだから、一度崩してしまった模様はもう見られないんだよな。と気づく。これは仕方ないことかしらと諦めようとする。

 

 さあ、またカレイドスコープをのぞこう。

 いろんな世界がそこにはあった。

 果てない景色が鏡に映って展開された。

 予想も出来ない時間の変化が楽しい。

 ああ、無限に見ていられる。

 無限に見ていられる。

 無限に……?


 ちょっとだけ僕は冷静になった。

 無限に見ているこのカレイドスコープの世界は、本当に自分が見たかった世界なのかしら。

 無限の世界が鏡映しされるこの世界は、要素が同じでも組み合わせが違うのなら、それは新しい別の世界なのでは?

 そして諦めていた不満も戻ってくる。

 カレイドスコープの世界では、同じ景色が見られない。もう一度見ようとしても似たようなものすら見られない。

 ランダムに無秩序に違う世界が次々に繰り広げられるだけ。

 それは僕の見たかった世界なのだろうか。

 僕の世界は、無秩序なようでいて複雑に絡み合い関連し合い、そしてつながっている。

 現在は過去の無数の連鎖できていて、新しいものすら新しいものではない。

 新しいものは、なかったものは、確かに斬新で面白い。でも新しいものだけを突きつけられるのは、世界の楽しみ方として正しいのだろうか?

 僕はわからなくなってしまった。

 カレイドスコープを机の上に置く。

 不思議ともうのぞく気にはならなかった。

 あんなに楽しかったのに、きっとまだ楽しいはずなのに。


 でも僕は気づいてしまった。

 僕が見たいのは僕の居るこの世界であって、この世界のような何かではないと言うことに。

 せっかく造ったカレイドスコープをそっと棚にしまう。

 僕はコートを羽織る。

 また世界を見に行こう。

 自分の目と足で見に行こう。

 きっと、すべては見られないだろう。

 同じものだってきっと変化していて見られないだろう。

 でも、そこには歴史と人の想いが積み重なっているだろう。

 僕はそれを見たいと思った。

 時間は有限だ。行動は有限だ。

 でもそれも取捨選択。

 僕はその不都合もすべてのみ込んだ。

 ああ、それで十分だ。

 だから僕は、結局世界を見に行くことにした。

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