ちいさなメロディ〜little fairy of flower〜

菜乃ひめ可

ꕤ 研究者と花の妖精の物語 ꕤ


 静かな場所に、ぽつり。

 わたしはいつも、会いに来てくれるあのひとのことを待っている。じーっと待って、待って、待ち続けて。


(もう、きょうはこないのかなぁ)


 でもやっぱり毎日、毎日、期待してしまう。


 なんだかよく分からないけれど、寂しい気持ちよりも、あのひとを想う気持ちの方が大きくて。そして今も、こんなにドキドキワクワクしている。きっとあのひとが近くまで来てくれているはず、そう思いながら空を見上げて。


(わたしのよかんは、いつもあたるの!)


 ある時はお陽様の光に癒され、またある時には暗い夜空に瞬くお星様たちに勇気づけられる。気まぐれ風さんが『ひとりぼっちじゃないよ』とふわひらりと、わたしのことを揺らしてゆく。


 そう、わたしはここでひとりだけれど、ひとりじゃなくて。ふと寂しいなって思っても、みんなのおかげで淋しくなんてなかった。


(あぁ、きょうもいっちゃうのね。おひさま、ばいばい)


 陽が上って、沈んで。

 たまに降る雨の日も、必ず暗闇はやってくる。そしてわたしが眠っている間に、また明るい朝が来て。そんな中いつ、どのくらいの時間を、あのひとがここにいてくれるのかは分からないけれど。


――やぁ、ご機嫌いかがかな?


 そう言っていつも素敵に現れて、ニコッと笑顔でわたしを見つめてくれる。それはあの太陽みたいに温かくって、暗闇に光る星のようにキラキラ、優しいそよ風のような囁く声で色んな話を聞かせてくれる。


 別れの時間にはまた、しばらくわたしを見つめて最後は眉を下げ「また明日来るよ」と言ってゆっくりと立ち上がり、歩いてゆく。


 触れそうで触れない手のひらから、ぽぅっと伝わってくる温もりがわたしを優しく撫でるように、でてくれてるみたいに。


(それをおもえば、がんばれるの!)


 たとえ風さんの悪戯いたずらが吹いて飛ばされそうになっても、雨がひんやり感じ始めたとしても。それより、あのひとに会えなくなる方が、ずーっとたくさん辛くて悲しいことだと思うから。


 穏やかなあのひとの瞳に逢えた瞬間、それまでに感じていた不安や孤独は消えてく。


(さみしさなんて、どっかいっちゃうんだ)


――――ッ。

(あっ……)


――コツ、コツ、コツ……。

(ほら! いつものりずむと、おくつのねいろ!!)


「やぁ、ご機嫌いかがかな? 今日も元気そうで安心したよ」


(やっぱり! きょうもきてくれたぁ)


「今夜も月の輝きに負けず劣らず、美しくいてくれてありがとう」


(うつくしいだなんて……きゃ! でも、うれしいの)


 今日も少しだけお話をしてくれた後で、いつものようにあなたはふんわりと優しく、ゆっくりと、手のひらが触れないようにかざして。その手から伝わる温かさを感じて……わたし、とっても幸せで。


(かぜもないのに、おもわず“ゆれちゃう”)


「さて。実は今日、君に大事な話があるんだ」


(だいじ?)


「これから、寒い季節がくる」


(さむいふゆ……それってなぁに?)


「きっとこの冬は、雪が降るだろう」


(ゆき?)


「それで……僕の家に、君を連れて帰りたいと思っている」


(つれてかえるって?)


 わたしにはその言葉の意味が、よく分からなくて。でも、ぽわぽわっとする気分は、いつも悪戯してくる風さんみたいに飛んでいけそうだった。


「長い間、研究を続けてきて、今年初めて葉をつけてくれた。でも、どのくらいの寒さに君が耐えられるのか、とても心配なんだ」


 だから――。


 そう言うとあなたは綺麗な箱を取り出し、いつもよりニッコリと笑いかけてくれた。そしてこれまではずっと、わたしへかざすだけだったあなたの手に、初めて触れられる。


(ふわぁ~あったかぁい)


 ザッザッザクッ。


 根を切らないようにと土を掘って、わたしをそっと抱えてくれる。それからあなたは持ってきていた綺麗な箱の中にそっと私を寝かせるように置くと、そこはもっとキラキラと光の粒が輝く、ふわふわぁな土のベッドが準備されていた。


(わぁ! とてもきもちいいの)


「ごめんよ、勝手に。これでもずっと、僕なりに対策を考えていたんだ。でもやっぱり、どうしても……君が寒い冬に降る雪を、越せないかもしれないと思って」


 パタンっ。


 その言葉と同時に、わたしの視界は真っ暗になった。でも不思議と、怖くはない。歩き始めた靴音、そして微かに聞こえてきたあなたの潤んだ声色に、またわたしはぽわぽわぁっとする。


「さぁ、一緒に帰ろうね」


(いっしょに? もうわたしは、ひとりぼっちじゃないの?)


「そうだ。せっかくここまで大きく成長してくれた君に、名前を付けようと思うんだが」


 新しいキラキラの土に喜ぶわたしは、ぽかぽかと発熱してくる。でもわたしにはよく理解出来ない言葉が多い。そして今もあなたの言っている言葉が、よく解らなくて。


(“なまえ”って、なにかしら?)


 考えてみるけれど、解らない。

 ずっと、ずっと、ひとり。あなたのことをいつも、待っていただけだから。


「どんな名前が良いだろうか。うーん、そう――……」


 だんだんとあなたの声が遠く、わたしは眠たくなっていった。



――――コトンッ。


「ふぅ、やっと帰り着いた」


(……ん……ふぁ~……わたしねむっていたみたい?)


 あなたの歩くリズムと真っ暗な土のお部屋はとっても心地良くて、いつの間にか夢の中。わたしのいる箱がどこかに置かれた振動で目が覚め、気が付く。


(なんだかいいかおりがする……ここ、どこかしら?)


 わたしの入る箱の隙間からは、明るい光が射し込んでくる。


 ぱこッ――。


「さぁ、今日からここが、君の新しいお家だ」


 あなたの声で見上げた箱の外。


(ぅふわぁ~きれい……いいかおり。ここはどこ?)


「さて、温度も気を付けておかないとな」


 お陽様の温かさとは違う、キラキラとした光にうっとり。この時わたしは初めて室内という、素敵な場所があるのだということを知り、ドキドキわくわくして舞い上がる。


(あ、みつめてくれてる!?)


「ふふ、お気に召すと良いけれど、ね」


 その時、あなたの笑顔は今までで一番! キラキラと輝いて見えた。


✧✧


 ……――ッ、コッ、コツ、コツ。


「おはよう、“メロディ”。ご機嫌はいかがかな?」


(めろでぃ? それは、わたしのことなの?)


 彼の名は、髙草木たかくさき 葉之介ようのすけ

 植物の持つ意識を具現化するために日々、研究を重ねる研究者である。


 サラ~サラさら~……。


「うんうん、今日も調子は良さそうだね。たくさん栄養を取って、いつかは僕に君の姿『花びら』を見せてほしい」


(ふわぁ! いままでよりいっぱい、にこにこしてくれてる)


 葉之介は自身が特別に調合した栄養水を土へとかけながら、静かに葉を愛でる。そして「無理はしなくていいから」と目を細め、優しく笑いかけた。



 この研究を成功させる為にまず必要とされたのは、新たな植物の育種技術。それを開発するべく六人の優秀な人材を会社(研究所)は集め、特別研究チームを発足させた。


 始めは皆『これは選ばれた自分たちにしか出来ない』という使命感と希望に満ち溢れ、前だけを向いて生き生きと日々の研究に取り組んだ。


 が、しかし――。


 新しい育種技術の開発は、なかなか上手くいかない。

 それは予測される、当然の流れであった。それでも思っていた以上に手ごたえがなく、皆落ち込む日々が続く。手掛かり一つないパズルのピースを探し、枠の無い所にゼロからはめ込んでいくようなものだ。


 一体いつになれば結果を出せるのかと思い悩み、時間ばかりが過ぎてゆく。先の見えない研究に、彼ら六人の精神はじわじわと削られていった。


 十年後――結成当初の生き生きとした表情は、いつしか落胆に変わる。ついに心折れた者が一人、また一人とチームを抜けていき最後残ったのは彼だけだった。


 が、しかし。

『この研究は時間と金をかけ過ぎる』と、会社から突然の研究打ち切りを告げられる。そしてこれまでやってきた研究の証でもある書類や情報は、全て破棄されたのだった。


 そして――『この研究からは一切の手を引く。続けたければ自身の力で一から始めるように』と葉之介が研究所を追い出されてしまったのは、言うまでもない。



 ピピッ、ピピピッ……ピッ!


 彼は何事にも正確かつ規則正しい。

 日々のスケジュールは細かく記憶した上で、さらに行動時刻のお知らせアラームを腕時計にまでセットしている。


「さて、じゃあ仕事へ行ってくるよ」


(ぁ、いってらっしゃいませ!)


 ガチャリ。


(ようのすけさま……)


 キィー……。


(なんだか、さみしぃ)


 ガチャッ――。


(あぁ、いっちゃった)


 コツ、コツ、コッ、コ……。


(こえ、とどかない。おはなししてみたいのに)


 ――――シーン。


 この日は快晴。

 窓から射し込む温かい光で新しい土はさらに輝く。そんな居心地の良い土の中でご機嫌なメロディは、ふと思う。


(なにかわたしにも、できることがあれば)


 穏やかで過ごしやすい土のベッドに、落ち着く良い香りがする部屋。そして彼はいつも美味しい栄養水をくれて、色々な話を聞かせてくれる。


 素敵な主人である葉之介の為に、何かしたい。


(でも、まずは! このきもちをつたえるれんしゅうをしないと)


――わたし、おはなしができるようになりたい!!


 葉之介の熱心なお世話に、経験したことのない幸せな感覚に浸れる。その時を思い出すだけで、その葉はふわふわっと揺れて。


(ふわぁ~それにしても、ここはほんとうにいごこちがいいのです)


 どんなに疲れていても自分の為に時間を費やしてくれる大好きな主人の研究話に応えるべく、メロディは方法を探そうと決意。


(ひとことでもいいの。ようのすけさまにおなじことばで、こえで)

――かんしゃをつたえたい!


 こうしてメロディの『話せるようになるにはどうすれば良いのか』との問題について、ゼロから模索する日々が始まったのだ。




『植物の持つ意識を具現化する』

 この研究を申し出たのは他でもない、葉之介自身である。しかし結果を出せない責任を取れということだったのか? 彼は昨年、あれこれ理由をつけられると会社を追い出され、職を失った。


 しかしその研究所に対して恨みごと一つ言わない葉之介の人柄を買っていた、とある大学教授が彼に「大学で准教授として働かないか?」と声をかける。もちろん、空いた時間は自由に研究できることを約束して。


 大学で准教授として働くこととなった彼は、記憶に残るだけの研究資料や情報を元にまた一から、独りで開発を始めた。


 大学に勤めてから一年後。

 種を蒔き大切に育てる土に、一つだけ芽が出ているのが確認された。


 研究を始めてから、一度もなかったことだ。


「やっと、芽が……」


 高校生でその能力を買われ、若き天才植物研究者と呼ばれた彼も歳を取り、二十九歳となっていた。



 ガラガラ……ガラ――。


「えー……おぉ、いたいた」


 葉之介は担当授業が終わり、いつもの教室で研究をしていると、ある人物が彼を訪ねてきた。


「お疲れさん、髙草木たかくさき君。ちょっといいかね?」

「はい……誰……あぁ! すみません、結城ゆうき教授、お疲れ様です。わざわざこんな遠い研究室までいらっしゃるとは。一体、いかがなさいましたか?」


 研究室の一部を間借りしている葉之介は大学での授業を終えた後、此処で研究に没頭する。周囲の音も聞こえなくなる程の集中力で、扉がノックされたことに全く気が付かなかった。


 そのため背後からかけられた声にハッと我に返る彼の表情は、一驚。そして此処に来るはずのない人物を見た彼の表情はさらに驚いた。


 しかしそんな葉之介の瞳は不思議と輝き、嬉しそうに笑っているように見えた。いつもとは違った彼の様子に心の中で喜んだのは、この大学で教授を務める、結城ゆうき篤郎あつろう氏――葉之介の事をこの大学に推薦した人物である。


(今日の髙草木は心なしか明るいな。それに身なりもキリッと綺麗だ)


「いや、ずいぶんとご機嫌じゃないか」

「え、そうでしょうか。僕はいつもと変わりませんが」


 そう言われるのも無理はない。

 いつもの葉之介は髪の毛ぼさぼさ不愛想。声も小さく抑揚をつけない、極めて暗い感じの印象だ。


 それでも結城氏が彼の面倒を見るのは、彼の知識や才能はもちろん、発想力も無限大。『植物の持つ意識を具現化する』研究にも可能性を感じ、あながち夢ではないと思うからである。


「そうか。いや、最近、生徒の間でも有名だがねぇ」


「有名とは……僕がでしょうか?」


 首を傾げ、その意味をひたすら考え込みそうになる彼に気付いた結城氏は慌てて止めに入る。実は葉之介、沈思黙考する性格であり、このモードになると会話すらできず手に負えなくなる。


「おっと! 何でもないぞ~髙草木君! 気にしないでくれ。そんな事よりもだな」

「ぁ、はい、すみません。それで、今日は」


 そう聞かれ「コホン」と咳ばらいをした結城氏は、一言。

「ちょっと、相談があってね」


「えっ!? 教授が僕に、相談……」

 

 驚き、戸惑う葉之介。

 これまで一度も、結城氏から相談を受けた事などない。その為、まさかの言葉に目を見開いた。


 その気持ちを察したのか結城氏は笑いながら話す。


「はっはは、髙草木君。そんなに怖い顔をしなくても大丈夫。深刻な話ではない」

「そう、ですか」


「どうだい? 喫茶店で珈琲でも飲みながら、話そうじゃないか」

「……ぁ、はい」


 結城氏は心の中で、今日の髙草木はずいぶんと人間らしく反応があって面白いと微笑し「ここではなんだから」と、彼を外へ誘う。


 人と出かけるのは苦手な彼だが、結城氏は父親と同世代で信頼のおける、葉之介が何でも相談し頼れる存在であり、唯一の恩師だ。


 それでも外での飲食が苦手なことに、変わりはない。

 少しだけ愛想笑いを浮かべながらもササッと片付けをすると、葉之介は大学の研究室を後にした。



 カランコローン――……。


「これはまた、ずいぶんと雰囲気のある喫茶店ですね」

「私の行きつけの店でね。あぁ、ホットでいいかね?」

「お任せします」

「よし――おい、ホットを二つ」


 普段、外食を全くしない葉之介は「こんなに落ち着ける場所もあるのか」と珍しく瞳を輝かせ、まるで子供のような表情で店内を見渡している。その様子になぜか結城氏は嬉しくなり、口元が緩む。


 カチャッ――。


 程なくして、二人のテーブルに珈琲が運ばれてきた。

 まずは、黙って一口。

 葉之介がその芳醇な香りに感動していると、結城氏は笑顔で話し始める。


「さて、

「ぁ、えぇ、教授……」

「はは、君の事を名前で呼ぶのもいつぶりかね。初めて会ったのが、二十数年……」

「はい。結城教授にはずっとお世話になりっぱなしで」


 物思いに耽るようにボソボソと話す彼へ、結城氏は質問を投げかける。


「『植物の持つ意識を具現化する』と、その研究を始めてもう何年になるかな」

「……十二年です。やはり、期間がかかり過ぎでしょうか」


 うつむき加減で力なく答えた彼に、結城氏は話を続ける。


「それは違う。最初から無理だと諦めている事、新たな事を成し遂げるのには時間が必要不可欠だ。十年やそこらで諦めた者と、君の熱い志が合わなかっただけだろう」


「……はい」


「そもそも、君の始めた研究内容は異色だ。そう簡単に成功する程、甘い道ではない」


「……そうですね」

 自分を信じ続けてきたこの研究が、本当は無意味ではないのか? そう弱気になっている葉之介に、結城氏はある提案をしてきた。


「いや~ハハハ! こんな湿っぽい話をしに此処へ来たのではない。実は今度、私が主催する研究者等を集めた学会があってね。君もそこで研究の成果発表でもしてはどうかと」


 その言葉に驚きを隠せない葉之介は返答に困り、黙る。しかしその『中間』というところに結城氏の優しさが、垣間見えた。


 まだ葉之介の研究成功までには時間がかかる、それにはお金も必要。葉之介自身の貯金と今の准教授として働く大学の給料だけではまかなえなくなる。となれば自ずと資金は枯渇し研究を諦めざるを得なくなると、危惧の念を抱いていたのだ。


「し、しかし僕のような無名の……それに雲を掴むような研究――」


「葉之介君、解っているとは思うが、このままだと研究自体が出来なくなるぞ」


 カチャ――。


 すっかり冷めてしまった珈琲のカップに手を伸ばす結城氏。

 その貫禄ある姿に、葉之介の心には感謝と戸惑う気持ちが交錯する。


 数分の沈黙。

 窓際に座る二人の横顔を、夕陽が優しく包み込んだ。


✧✧


――少し、時間をいただけませんか。


 そう結城氏へ答え「時間はあるからゆっくり考えなさい」と優しく見送られた葉之介は、トボトボと家路についた。玄関の扉を開けると倒れ込むように部屋のソファベッドへ横たわり、そのうつろな視線の先にいる“メロディ”の蕾を見つめた。


 それから自然と今日の出来事と結城氏からの話を、聞かせ始めた。


(えーっと、おかえりなさい! あれれ、ようのすけさまげんきがない。なにか、こまっているの?)


「――やっと、やっと君が僕の願いを叶えようと頑張って、芽を出し、葉をつけ。ようやく美しい蕾に出会えた……」


 数十分――これまでの事も含め、まるで頭の中を整理するかのように淡々と話し終えた彼はハッとする。その瞬間に自分が躊躇とまどう理由にようやく気が付いたのだ。


「そうだ、決して苦ではなかった。むしろ一緒に成長しているようで、小さな変化や違いも嬉しくて、心が弾んで楽しくて」


――君といたら、幸せだ。


(おかしなことを言っているかもしれない。でもメロディは植物であり、子供のようでもあり、心の支えで)

「僕にとって君は、大切な存在なんだよ」


(うれしいです! うー、でもこのきもちが、どうしてもことばがつたえられないの)


「君がいつか花咲くその日まで、育てていきたい」


(そうだ! こうすればきっと、きっと!! わかってくれる)


 っふわ。


「だからこそ、矛盾だけど悩んでしまう。今さらだが、こうして自分の傍で安心できる環境で育てていると、君を見世物みせものみたいにしたくない気持ちが生まれたんだと思う」


 ふわっふわぁぁ~……――っ。


「――ッ!? メロディ、今揺れて……」


 窓は開けていない、微風すらもちろん吹いていない。それでもメロディはその思いをのせるように、頑張って葉を動かしたのだった。


(ようのすけさまが、いつもげんきなこえでおはなしして、わらってくれたら。いっしょにいられるのなら、わたしはしあわせです!)


「そうか、通じ合えていた。ありがとう、メロディ」


(えっ、つうじたのですか!? やったぁ~)


「繋がっている。十年以上も……こんなことにも、気付けていなかったんだな。僕は」


 行き詰っていた研究。


 彼が今“気付いた”というものが成功の糸口なのか? それは定かではない。しかしそれでも迷いがあった葉之介の心に、決断の意志と自分を信じて疑わない自信をつけさせたのは――他でもない。


「メロディ、一緒に来てくれるかい?」


(はい、ようのすけさま! わたし、がんばります)


 ふわふわぁ。


――今はまだ言葉ではないが、心で通じ合う植物、メロディであった。


✧✧✧



「いやぁ~これは大変興味深い! 髙草木たかくさき君の研究発表が楽しみだね」


「はい……あの、頑張ります」

「はっはは、皆すまんな。彼は不愛想だが根は良い研究者だ。しかしまぁ、髙草木は人の何倍も人見知りでね」


「いやいや結城さん! そりゃあ、気にする事はない。此処に来ている研究者たち、みーんな似たようなもんだ」

「そうだよ、髙草木君。気負わずに楽しく成果発表してくれたまえ」

「ありがとうございます」


 そう気さくに笑いながら話した彼らは颯爽と歩き去って行く。皆、葉之介の父親かそれ以上の歳で、見るからに貫禄がある。


「そうだぞ、葉之介君。色んな発表も聞けて学ぶ事も多いだろうからね。今日はぜひ、楽しんでくれ」


 そう言い背中をポンッと一回、優しい包容力と安心感のある声で話す結城氏は「さぁ主催者は準備だ」と白い歯を見せ笑い、その場を後にした。


(こんな風に何も否定せず自分を受け入れてくれる方々は、今までいなかった)

「もう、今の瞬間でも。此処に来てよかったと思える」


 誘いを受けた次の日には学会参加を表明した葉之介。あれから三ヶ月後、結城氏の学会は予定通り開催された。様々な思想や思考を持った多くの科学者、研究者たちの集まりに初めて参加した葉之介はこの日、軽いカルチャーショックを受け、自身の視野の狭さに深く反省をし、心を震わせた。


 成果発表会が始まると、葉之介はさらに言葉を失う。そこは通常では考えられないようなとても開放的な雰囲気で、皆の表情はキラキラと輝いているのだ。いつまでも忘れない子供のような心を、若かりし頃の夢や希望を抱き、各々に話していく――。


「なんて……素敵なんだ」

 ボソッと呟いた葉之介は、自身の中に眠る“あの日見た夢のような研究への志”を呼び覚ますように、胸を膨らませていた。



「えーでは、本日最後の発表となります、髙草木たかくさき葉之介ようのすけ様の――」

「えっ!? 僕が、最後なんですか?!」


 ハハハッ!!


『こら、葉之介君! マイク、聞こえているぞ』

「あぁーわ、すみません」


 司会者の紹介に思わず声が出てしまった彼に、こそっと後ろから注意する結城氏。しかし笑顔を向け『大丈夫だ! さぁ、思いきり語ってきなさい』と応援の声をかけた。


✧✧✧✧


「――――と、これまでの研究から、ようやく土に芽がでているのを確認し、そこからは一気に成長してくれました。葉をつけ、ついには……ん?」


 ざわざわざわッ!!


(えっ? 僕、今そんなに驚くような事を言ったかな)


「ついには、美しい蕾に出会う事が――」


「「「おぉ~っ!!」」」


「お、おいっ! 髙草……葉之介君!!」


「え……ッ!?」

――まさか、こんな事が!!


「ょ……ょぅの、すけさま」

「君は……まさか。メロディ、なのか」


 あの夜に葉を揺らしたメロディを見て、葉之介が決断した事。それは初めての学会、成果発表をする場に、メロディを連れて行く事であった。


「なんという!」

「今、我々の前で起こっているのは現実か」

「奇跡だ、奇跡に立ち会っている!!」


――花咲く瞬間に、どのようになるのか?


「ふわぁ! 葉之介様ぁ、私……頑張りました~!!」


 とても愛らしい笑顔でそう“言葉を伝える”メロディに驚き、そして見惚れていた葉之介は背中を強く叩かれ、我に返る。


 バンバンッ!!


「ぅわぁあ!」

「こら、葉之介!! しっかりしないか。成果発表はまだ終わっていないだろう」


 振り返った彼の瞳に映ったのは声からは想像もつかない結城氏の、喜色満面で涙ぐむ姿。葉之介をずっと応援してきた彼にとって、このような形で成功を皆に伝えられた事、そして自身もその瞬間を体験できるとは思ってもみなかったからだ。


――教授、ありがとうございます。


(よし! 最後まで、しっかりと!!)


「今、目の前で起こった出来事に僕自身も驚いていますが。十二年間、目指してきた研究は、成功したのだと……」


「ふわぁ! 葉之介様とお話が出来て嬉しいのです」


 おぉぉー!!


「飛んで、喋っているぞ」

「素晴らしい、なんと美しく可憐なのだ」


「花の生命に灯る光を具現化する。その花が咲き、妖精として生まれてくれる日を夢見てきました。そんな僕の研究が、願いが今叶った。皆様、こんな僕の心に応えてくれた花の妖精をご紹介いたします――“メロディ”です」


 おぉーッ!!


「よくここまで頑張ったな、葉之介君。この研究への信憑性、そして成功の立会人はこの会場にいる全員だ」


「ですが……」


「お忘れかな? 主催者は私だ。今回、私の信頼する者たちしか呼んでいない。ようするに君の懸念しているような事は起こらない。もし今後何かあっても、此処にいる皆が守ってくれる」


『植物の持つ意識を具現化する』研究を成功させたいと、ここまで頑張ってきた葉之介。しかし成功する事で予想される周囲の動きが、この学会に参加するか否かを一番悩ませた理由でもあった。


 それは、メロディの身を案じての事だ。


 そんな彼の考えを見透かしていたかのような結城氏からの「心配いらない」との心強い言葉に再度驚くと、彼はすぐに頭を下げた。


 そして、花の妖精へ話しかける。


「メロディ、咲いてくれてありがとう」

「ふわぁ~? 違うのですよぉ」


 葉之介は不思議そうにメロディを見つめていると、その小さな花の妖精は彼の傍へ寄り添い、一言。


「ずっと、お話したくて練習していましたぁ」

「えっ?」


 葉之介が着けるピンマイク越し、その可愛らしい声が会場内を包み込む。


「私をこんなに素敵な世界へ咲かせてくれて、ありがとうございます!」

「メロディ……」


 すると会場からは「大成功だー」と拍手喝采。


 見守っていた結城氏は「これからだぞ」と頷き、彼に優しく微笑んだ。


*✧*



「おはようメロディ。ご機嫌はいかがかな?」

「葉之介様! おはようございます。本日も、とても素敵な朝です!」


「そうか、良かった」


 キラキラ太陽の光を浴びて幸せそうにするメロディへ、ふわりと笑いかける。



――彼の名は、髙草木たかくさき 葉之介ようのすけ


 植物の持つ意識を具現化(実体化)させた、有名学者。そして現在は『植物の精霊・妖精学』なるものを独自の理論で解く――研究者である。

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