完璧な恋人

鏡 もち子

第1話

 今から幾十年か昔。とある小さな町の平和を壊した恐ろしい事件。ひとりの少女を惨殺した犯人は、少女の弟により殺された。

 死が連鎖する凄惨な事件の真相……それはこのようなものだ。


 ***


 ──その町にはノエルという人形師がいた。彼はとても賢く、人形を作る手腕も見事なもので、町では評判の人形師だった。

 だが彼が皆をここまで惹き付けた事にはもうひとつ理由がある。彼は素晴らしい美青年であった。長いまつ毛に綺麗な青色の瞳、すっと高く通った鼻筋、いつも愛想良く綻ばせた色付きのいい口元。少しウエーブのかかった金髪を靡かせ、身長も高い。

 そのような恵まれた外見を持つ彼は、「神は二物を与えず」という言葉を真っ向から否定するような人柄で、町の人々からいたく慕われていた。


 そんな彼にはひとりの恋人があった。彼女はララァと言い、決して「美しい」などという言葉の似合う外見ではなかったが、謙虚でとても心根の優しい少女である。

 人形師としても人としても尊敬する祖父の死から立ち直れずにいた彼を必死に支え続けたララァ。そんな彼女にノエルは強く惹かれていた。

 それは「恋人など作らない」と決めていた心を揺るがし、ノエルの方から交際を申し出た程である。

 ララァもまた、自分とは比べ物にならない程美しく、彼を取り巻く人々からもよく好まれているにも関わらず、こんな自分を選んでくれたノエルを深く愛していた。


 だがそんな春風のように平和で優しい日々、彼らの素晴らしい愛情……それらを全て黒色(こくしょく)に塗り潰す恐ろしい事件が起こった。

 ノエルがララァを殺したのだ。

 ララァは頭を強く殴られ、心臓と目玉を抜かれていた。

 最初に目撃したのはララァの弟、ロダであった。

 ロダはララァが恋人の家に泊まりに行く事を知っていた。泊まりの誘いに良い返事を送るよう促したのも彼だった。

 当のララァは酷く緊張していたようで、大きな忘れ物をしてしまった。病気で亡くなった母からの最後の贈り物であるペンダントだ。ララァはそれをお守りにと、肌身離さず着けていた。


 大切なお守りを届けにノエルの家へ現れたロダは、すぐさま異変を感じ取った。いくらララァやノエルを呼んでも、「うん」とも「すん」とも返答がない。それと、二人を想う気持ちが「何か嫌な事が起きているかもしれないぞ……」と思わせていたのだ。

 ロダは開いている窓を見つけ家の中に侵入して行った。荒らされた形跡などは特になかったが、キッチンに割れた瓶とまだ温かいホットミルクが放置されている。二人の名前を呼びながら、ロダはおっかなびっくり家の中を歩いた。

 すると書斎の床──小さなハッチが開け放たれ、地下室に続く階段を発見した。これは……もしや泥棒でも入ったのか。そして家の中にいた彼らに見つかり、乱暴者の泥棒が二人をあそこへ連れ込んだに違いない。ロダの心は愛する姉とその恋人を心配ではち切れそうであった。

 彼が階段を下ると、ひとつの扉に突き当たった。扉に近付いてみれば向こうから男のすすり泣く声が聞こえる。聞き間違えもしない——声の主はノエルだ!

 どうやら扉には鍵がかかっているらしく、押しても引いてもガチャガチャと音を立てるだけで一向に開く気配がない。

「兄さん!ロダだよ、開けて!」

 ロダはノエルに叫んだ。すると少し間を開けてノエルの声が返ってきた。

「ロダ……ロダなのかい?そこにいるのかい?」

 その声はなんとも頼りなく弱々しいもので、ロダはいっそう心配になってまた大きな声でノエルに語りかけた。

「ああ、そうだよ!ララァの弟のロダさ!この扉に鍵がかかっていて、助け出せそうにないんだ。中から鍵を開けてよ、兄さん!」

「おお、おお……有難い。ロダ、助けておくれ。今鍵を開けるから、哀れなぼくを助けておくれ……」

 ノエルの祈る様な声。その後に扉の鍵が開く音。ロダは急いで扉を開けると、部屋の中には恐ろしい光景が広がっていた。


 血まみれの床に、血まみれのノエル。部屋の隅に転がる赤黒い肉塊……。

 それよりもロダの目を引いたのは、血の赤色よりも部屋のつくりにあった。


——なんて豪華な部屋だろうか!


 レコードから繊細なノクターンが流れ、壁には美しい薔薇の模様、天井には天使が描かれている。床は大理石で出来ており、真っ赤な血液がおどろおどろしい光沢を作っていた。

 大理石の床に落ちた血を辿っていくと、ロダの視線は天蓋付きの大きなベッド……その前にポツリと置かれた綺麗な椅子に腰掛けている少女で止まった。

 思わず息を飲む程に美しい少女が、膝の上に両手を重ねてちょこんと座っている。しかし少女はこの惨状の中、ぴくりとも動かない。それどころか瞬きのひとつもしないところを見ると、どうやらあの少女は人形のようだ。


 そう言えば今この家に居るはずの姉はどこだろう?泥棒に連れ去られてしまったのか……いや、この部屋には内側から鍵がかかっていて、家の中でもララァの姿は見なかった。ここは地下室であるから、窓なんかも無いだろう。

 ロダの背中に冷たい風が吹いた。嫌な予感がする。その予感が当たらぬよう祈りながら、ロダは部屋の隅に転がっている大きな肉塊に目を向けた。よくよく観察してみると、どうやら服を着ている。家畜の肉かと思っていたが、これは人間だ……。


 今にも息が止まりそうな思いで、ロダはその肉塊に歩み寄っていく。

 一歩、また一歩。父親の牧場で飼っている牛の方がずっと早く歩いているんじゃないかと思わせる程に、怯えきった彼の足は重たかった。

 そしてロダは見た、死に色の手足を、真っ赤な血に彩られと光る臓物を、見慣れた顔……でも、生まれてこの方見た事がない表情を。


 ——この肉塊は我が最愛の姉ララァではないか——!


 すっかり気のふれたロダはとてつもない恐怖と絶望感に大きな声叫び声を上げ、ノエルの家を逃げ出してしまった。


 そして酷く取り乱したロダが町で助けを求め、あの部屋の惨状は町民も知るところになってしまった……。


 というのが、町の平和を掻き乱した事件のあらましである。

 家に争った痕跡はなく、誰かが押し入った訳でもないらしい。ならばあの恐ろしい部屋はノエルの手により作り出されたのだろうか。だが人々は思った。互いに深く愛し合っていた彼らの内で、一体何があったのか。

 真実を追求すると、悲しみにくれるノエルは全てを語った。


 ***


 ぼくはララァを愛していました。強く深く、彼女を好いていました。でもぼくにはもうひとり、大好きな人がおりました……。


 その人とは、あの部屋にいたとても美しい少女です。彼女はオリネリアといって、ぼくの曽祖父が作った人形です。

 まだ幼いぼくに、祖父はよく「お前もいつかあれ程に美しい人形を作るのだよ」と言って聞かせていて、ぼくもそれを望んでいました。しかしです。曽祖父を超えようなどとは祖父もぼくも考えやしませんでした。あんなに美しい人形を作る事ができたら我々人形師はどれだけ幸せな事だろうと、ぼくたちはそう思っていたからでございます。


 祖父は一生懸命になって、あの美しいオリネリアの素晴らしい友人になり得る人形を作ろうと悪戦苦闘しておりました。朝になっても夜になっても、食事の時以外は工房に篭って人形作りに明け暮れる毎日。

 その頃のぼくは例に漏れず人形が大好きで、工房に入っては人形を作る祖父をじいっと眺めていたものです。

 いつしか、人形の事にばかり構う祖父に両親はほとほと愛想を尽かしてしまいました。それはぼくに対しても同じのようで、ついには家を出ていっていまいました。

 そして去り際、彼らはぼくにこう言うのです。

「人形ばかりを愛するお前に結婚など見込めようか。私たちはそれが悲しくて仕方がないんだよ。さようなら、ノエル。許しておくれ……」

 その言葉はまだ幼いぼくの心には痛く残酷なものでした。

 ですが、次第にこうも思うようになりました。「人を愛せないのなら、その分の情熱を人形に注ぎ込もう。必ずオリネリアのような人形を作ろう」と。ぼくは祖父と共に人形を作る生活を選んだのです。


 それから幾年と経ったある日の事です。ぼくがいつものように工房に入ると、そこにいた祖父はもう息をしておりませんでした。梁に縄を引っ掛けて、首を括って……。

 そうです。彼の死因は自殺だったのです!


 祖父の使っていた机にあった手紙にはこう記されていました。

「すまない、ノエル。私は、私がオリネリアのような人形を作る事などできないと知った」


 ぼくは絶望しました。祖父が人形を作る姿も、祖父の笑顔も、もう二度と見られないのだと。

 そして、それ以上にぼくはぼく自身に絶望していました。

 なぜならぼくの胸にはずっと「もしも祖父がオリネリアのような美しい人形を完成させてしまったら、ぼくはどうなるのだ……きっと身を裂くような嫉妬に駆られて狂ってしまうだろう……」という大きな不安があったのです。それが今、目の前でユラリユラリと揺れる祖父の死骸を見て、バターの様に溶けていく……強い安心感の霧が頭の中に立ち込めていく!

 これでオリネリアはぼくだけのものだという確信が安堵をより増長させていくのも分かっていました。


 ああ、なんと醜悪な人間なのでしょう……。

 それからは自分が心底嫌になって、半ば自暴自棄のような生活を送りました。毎日のようにオリネリアの髪を撫で、色々な話を聞かせました。ですがオリネリアは人形です。ぼくの手に微睡む事はなく、ぼくの言葉には何も返してくれません。それが酷く寂しく、物足りなかった。オリネリアが人間であればどれ程良かったか……。

 そんな思いが深く深く頭を狂わせてしまいました。


 皆さんもご存知の通り、狂ってしまったぼくを強く支えて、正常な頭に戻してくれたのがララァでした。

 ララァには祖父の死が病気によるものだと説明しておりました。ララァの母親が病気でこの世を去ったのを、ぼくは知っていたのにです。

 彼女はこんな醜いぼくに寄り添い、慰めて続けてくれました。するとどうでしょう、ぼくの心はどんどん彼女に惹かれて行きました。

 実の両親に「お前は人を愛せぬ」と言われたぼくが、ララァというひとりの少女の、あの優しい眼差しに恋焦がれている……その事実が嬉しくてたまらなくて、どんどん気力を取り戻していきました。

 想いの全てを伝えた時の彼女の顔は今でも鮮明に覚えています。


 このように、ぼくはララァを大切に想っていました。だからこそぼくは彼女に秘密を打ち明けようと決心したのです。あの晩に彼女を呼んだのもその話をするためでございました。

 そして望んでいた通りララァはぼくの独白を聞いてなお、ぼくを愛していると言ってくれました。幸せでした。その幸せがぼくの脳内にこのような言葉を囁きました。

 そう、ぼくは正常になど戻れていなかったのです。

「ララァの優しい心とオリネリアの美しい体があれば、それはきっと完璧だ。ララァの心をオリネリアに入れれば、二人はきっと完璧な恋人になる!」

 その囁きの意味を理解した途端、もう自分の願望を止められなくなってしまって……気付くと、ホットミルクを用意すると言って部屋を出たララァを追いかけていました。そして水の入った重たい瓶で彼女の頭を殴りつけたのです。

 床に倒れ込むララァを見て、もはや後戻りはできないと少し恐ろしくなりました。ですが胸の鼓動は「やったぞ、これでララァはぼくぼものだ!」と強い喜びを奏でていました。


 ——ところで、皆さんは人間の心がどこに宿っているか考えた事はありますか?物事を考えるのは脳の役割だから、脳みそでしょうか。

 ぼくはそうじゃなかった。脳みそは考えるだけの臓器です。脳みそを取り替えても人の性格は変わりません。ならばどこが『心』なのか?

 それは心臓です。心を宿す臓器……心臓が変われば人も変わってしまうでしょう。

 早速ララァの体から心臓を取り出しました。それと目玉を二つ。

 ぼくが彼女の体の中で一番好きなのは瞳です。彼女の優しい瞳に見つめられると凄く安心できたから、オリネリアにもそんな瞳を持っていて欲しい……。

 ぼくはララァの心臓と目玉をオリネリアの体に入れました。


 透き通った海のような美しい愛をくれるララァの心臓と、白陶器のような美しいオリネリアの身体。

「できた、できた。君こそ完璧な恋人だ」

 ああ、なんて素晴らしいのでしょう。


「君のためにこの部屋を用意した。君のためにこのドレスをしつらえた。君のためにこの曲を作ったよ。」

 ぼくはオリネリアに向かって恭しく跪き、彼女に手を差し伸べます。そして高揚した声でこう言いました。


「さあ、ぼくと踊って、オリネリア!」


 ──オリネリアは何も応えませんでした。


  *


 全てを語り終えたノエルはぼろぼろと涙を零し、ひたすらに悲しんでいた。

 そんな哀れな姿のノエルに町の人々は同情的であった。中には「なんて可哀想な恋だろう!」と涙を流す人もいた。

 だがそれでノエルの罪が消える訳ではない。町長らの会議により、彼を警察の元へ送るのは夜が明けてからに決まった。

「ノエルは狂気に取り憑かれ、大切な人をその手で殺してしまった。そして正気に戻った今、その現実に押し潰されそうになっている。だから彼に落ち着く時間を与えよう。頭の整理をして、しっかりと懺悔してもらおう」

 町長はそう言って、ノエルを村の納屋に入れた。


 夜が明けてノエルを迎えに行った人々が見たもの……それは両の瞳ををくり抜かれ、心臓を引きずり出されたノエルの死骸と、その横で包丁を手に喉から血を流し死んでいるロダの姿であった。


 ──ロダは知っていたのだ。ノエルはララァの死を悲しんでいたのではない。オリネリアが物言わぬ、ただの人形であったからだと。

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完璧な恋人 鏡 もち子 @mochikomo

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