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それから一行が王都に戻るまでに、時間はかからなかった。
雨の勢いは強まる一方だ。暗黒色の雲が上空を覆いつくし、大粒の水滴が疾風のごとく降り注いでいる。街路のいたるところに水たまりが形成され、坂道は川さながらであった。
これだけ降れば当然だろう、周囲に通行人の姿はない。人々は各々の住居に閉じこもり、豪雨の被害を回避しているのだ。
空が暗いのもあって、多くの建物内に明かりが灯るのが外から分かる。その橙色の光は、まさに晴れ渡る空を待ち望む人々の思いの結晶、日常以外の何ものでもなかった。
あと数分で王都の寿命が尽きるとは、一人として思ってもみないだろう。天気がすこぶる悪いのを除けば、いたって単純なのどかな風景が、クルセイダーの前に広がっていた。
「早く行け、ロンドン。避難指示だ。ここから逃がせ。一人、残らずな」
ーーお前の守りたいもの、しっかり守りやがれ。
この一言を引き金に、場の緊張感跳ね上がる。ベアトリスが盗み聞いた話が真実なら、ミサイル着弾まで残り十分もないのだ。
「レオ、最後の仕事だ。お前は俺についてこい。残りはロンドンを援護しろ」
「私も行く」 一人だけ、指示に反対する人間がいた。
確固たる意志を燃やす目つきを前に、彼女の申し出を断るのはあまりにお門違いだ。クルセイダーはそう思った。
「好きにしな」
◇◇◇◇◇◇
無鉄砲な二人組を従え、クルセイダーは馬を走らせる。目指すは王宮から少し離れた一等地、ロンドン邸だ。
ほどなくして彼らが邸宅の敷地に踏み入ると、そこには予想だにしない光景が広がっていた。
洞窟で相まみえた輩と同じ黒装束に身を包む、ブラッド・ブレットの端くれが数多といるのだ。五十人余りの黒装束の軍団が、ミサイルについては知らされてないのだろう、悠然と待ち構えていたのだった。
ーーヴィネザール......快楽犯罪者め。仲間もろとも消し飛ばす気かよ。
「母上!」 悲鳴を上げたのはレオナルドだ。
「安心して。殺されちゃいない」 ベアトリスがなだめる。
「私が洞窟で監禁されたとき、組織の一人が言ったの。殺すなよって。王都の破滅と同時にすべての民が滅びる、それが大切なんだって。くだらないわね」
彼女の言い分が正しければ、レオナルドの母親に邸宅の使用人、それから行方不明の人質全員が生きているはずだ。
「そう焦るな。捉え方によっちゃあ吉報だ。敵の存在は、人質がここにいる確かな証でもある」
真っ先に剣を抜き、敵陣に乗り込まんとする弟子の肩を、クルセイダーが引き留める。
「何するんです?」 レオナルドは困惑して振り返った。
「俺が行く。俺一人が、だ」
「馬鹿言わないで。非常時こそ力を合わせるべきよ」
ベアトリスである。上品なドレスの裾をまくり上げ、腰ひもで止めていた。戦闘技術などあるはずがない高貴令嬢の彼女すらも、現場に乗り込むつもりらしい。
「大切な人を守れと仰ったのは、あなたです。僕が母上を助けます」 レオナルドにも指示に従う意志はまるでないようだ。
「だからこそだ」
さすがのクルセイダーとて、状況が状況だけに焦りが募る。口調は荒くなる一方だった。
「お前らがいちゃ、反って足手まといだ。若造」
「お袋たちを救いたくば、黙って俺を信じろ。いいか? 協力して馬車を一つ用意するんだ。荷台が特大のやつをな。そこにありったけのわらを積んでおけ。猶予は三分だ。三分後、バルコニーの下に馬車を止めろ。しくじるなよ」
クルセイダーはそう言い残し、たった一人でロンドン邸に飛び込んだ。突撃するや否や、おびただしい数の敵が襲い掛かってくる。
ーー救助を考慮すれば、戦闘にあてられるのは二分少々。五十人を二分か。ちっ、我ながら無茶言いやがる。
クルセイダーの苦笑いを合図に、ブリタニックの命運を分ける攻防が始まりを告げた。
「覚悟しろ、
クルセイダーは邸宅内を縦横無尽に駆け回る。壁をけり、宙を舞い、空間を巧みに活用する。高速移動する彼を視認できるわけもなく、敵は無様なまでに無我夢中で剣をふるうばかりだ。
この際、クルセイダーは自分を顧みなかった。攻撃の回避など微塵も考えず、最短手数で場を制圧することだけに注力したのだ。
まるで毒ガスでも撒かれたように、ばたばたと人が倒れてゆく。タイムリミットの二分まで残り二十秒、ブラッド・ブレットは残り十人足らず。五十超えの敵部隊を二分で始末する、机上の空論かに思われたその宣言を、クルセイダーは果たそうとしていた。
しかし、がむしゃらな作戦には弊害もある。気づけば、クルセイダーは体のいたるところを切り裂かれていた。ロンドンに比べれば軽いものの、ヴィネザールに受けた傷もある。あまつさえ、加速術式の過度な使用は身体への高負荷をもたらす。
自らを騙し騙し戦っていたクルセイダーに、ついに限界が訪れた。計り知れないほど増幅した彼へのダメージが、目に見える形で現れたのだ。
突如、クルセイダーはひざをついた。足が痙攣し、うまく大地を踏みしめることができない。
ーーこのおいぼれが。くそったれ。
絶好の機会を逃すまいと、ブラッド・ブレットの残党が一斉に仕掛けてきた。クルセイダーを取り囲み、四方八方から彼に切りかかったのである。
「これしき、造作もない。あまり俺を舐めるなよ」
たとえ動きが止まろうと、彼には長年腕を磨いた剣がある。敵が自ら近寄ってくれたのは、足の自由が利かないクルセイダーにとって好都合だ。
クルセイダーは右腰に剣を構え、一瞬静止する。目を閉じ、不必要な情報を遮断。敵の気配だけに意識を向ける。
東西南北から迫る気配がもれなく射程に入ったのを理解した後、彼は剣を振り抜いた。円を描くように繰り出された一撃は、見事、全敵を仕留めきるのだった。
人質を解放するその時まで、クルセイダーには一時の休息も許されない。彼は足を引きずりながら、さらわれた貴族の捜索に取り掛かった。
ミサイルの着弾点であるロンドン邸の屋上には、何かしらの細工がされているに違いない。だとすれば、人質もそこにいるはずだ。
ーー妙だ。つじつまが合わねえ。
ちょうど、二階へと続く階段を上っていた時のことだ。思うように動かない自身の足に苛立ったのが引き金だった。
てっきり組織が企む復讐の標的は近衛騎士団だと、ロンドンだとばかり思っていた。ミサイルの襲撃を前に打つ手なく死にゆくロンドンが、組織のお望みなのだと勘違いしていた。
ミサイルの着弾点がロンドン邸であるばかり、その家主が標的だという
なにより、例の短剣で串刺された人間は正念場で役に立たない。
少なくとも、迎え撃つ軍勢は五十もいらない。それを誰よりも認識しているのは串刺した張本人だ。
貴様を待ちわびたぞ! クルセイダーは宿敵の叫びを反芻する。
ーー俺はひとつ、致命的な思い違いをしていた。奴がこの場に誘い込みたかったのは、ヴィネザールの真の獲物は、ロンドンじゃない......俺だ。
ーー俺の前で、俺もろとも王国を破滅させる魂胆か。くそ野郎が、大人しくくたばっていればいいものを。
「おもしろい。受けて立とうじゃねえか、ヴィネザール」 クルセイダーは不敵な笑みを浮かべる。 「俺ァ......剣聖だぜ」
クルセイダーは階段を駆け上がり、ロンドン邸の屋上に躍り出た。降りしきる雨はさらに激化し、風は強く吹き荒れている。足の痛みは、湧き出した闘争心にかき消されていた。
屋上で眠らされていたのは、消息不明だった貴族の後継ぎに違いない。上流階級に疎いクルセイダーですら、見覚えのある家紋が刺繍された服に包まれる体が
人質が寝かされた床には、至極気味の悪い罰点が描かれている。紅に染まりあげた巨大な印は、ここが終着点と知らしめるには十分だ。
ーー......一人足りねえ。 現場を確認したクルセイダーは、ある異変を感じた。
誘拐事件の被害者はベアトリスを含め計五人。だがこの場に姿がある人質は、三人だったのだ。
ーーなるほど、読めたぜブラッド・ブレット。てめえらが性に合わない誘拐事件を目論んだその訳が。
以前ロンドンは言った。王国の最上部に、ブラッド・ブレッドの協力者がいると。
騎士団が内通者の存在に勘づいたことを、しかしまた組織も認識していたのだ。
かつてのブラッド・ブレッドは裏社会から犯罪の糸を引く、いわば陰に潜む組織だった。そんな連中がこの度企てたのは、ミサイルでブリタニック王都を粉砕するという何とも大胆な計画である。
いくら秘密主義者だろうと、大規模な行動には人目を引く危険が伴う。一連の誘拐事件は、組織がミサイルを用いた大胆な作戦を実行するにあたり、万が一協力者の素性が割れた際の保険に違いない。
仮に手前段階で組織の計画が暴かれ、協力者の実態が公になろうと、
また、単なる殺しではなく誘拐事件であれば、被害者の救助に向かう者が現れる。攫われたのが有力な貴族の跡取りとなればなおさらだ。ベアトリスの拉致で騎士団をおびき寄せる前段階として、世間に連続誘拐事件を印象付けるのには打って付けの手段である。
屋上で眠らされている三人は、単にカムフラージュ目的で誘拐されたのだろう。ベアトリスの前に誘拐されたのが、内通者一族の後継ぎただ一人だった場合、徹底して調査されたうえに、ぼろが出ないとも限らないからだ。
◇◇◇◇◇◇
突如、クルセイダーの耳に人々の叫び声が入ってきた。慌てて下を見下ろせば、国民が大移動している。
ロンドンはその役目を果たしたようだ。大声で非難を促し、民を誘導する団員が随所にみられる。聞こえたのは騎士団員の叫び声だったのだ。
現状を把握し、クルセイダーは我に返った。すぐさま、眠る人質を複数に分けて一階のバルコニーまで運ぶ。
全員を運び終えた直後、馬車に乗ったレオナルドが現れた。ベアトリスは足から血を流すにも拘らず、馬車を壁に寄せるため必死に動いている。
外壁瀬戸際に止められた馬車の荷台めがけて、クルセイダーは人質を放つ。
大した高さではない。あれだけのわらがあれば、少しの怪我ですむだろう。攫われた若き貴族たちは未来の王国を支える宝である。近い将来、彼らが国を率い、国民をまとめあげるのだ。だからこそ、こんなところで死なせてはならない。
「三人......だけですか? モルガン家の後継ぎは?」
レオナルドが不審がる。屋上にいた貴族三人の引き渡しを終え、彼の母親を馬車へ下ろした時のことだ。
表の顔は上位貴族。しかし裏ではブラッド・ブレットと協力関係を持ち、組織が企てた誘拐事件の被害者のふりをしていた一族。そのうえ現在はミサイルの被害を受けない安全圏まで避難しているであろう悪人の名は、モルガンと言うらしい。
「事が終わり次第、そのモルガン家とやらを隈なく調べろ」
クルセイダーは手短に忠告するだけにとどめた。おそらく、モルガン家は組織の中枢に絡む邪悪な一族だ。この場で変にベアトリスの関心を引こうものなら、彼女を巻き込んでしまう。それだけは避けねばならなかった。
「あなたも乗って」 全員の身柄を受け渡した後、ベアトリスは言う。
ーー絶対に奴をとらえる。何としても自白剤を打たねばならん。三十年前の惨劇を、クルセイダーは頬をうつ豪雨に重ねていた。
ーー俺を逃した、お前の責任だ、か。
「俺はあと一つだけ、落とし前をつける義務がある」 クルセイダー寂しげにほほ笑む。 「また後でな」
「レオ。王国の未来は、お前に託したぞ」 去りゆかんとする愛弟子の背中に、クルセイダーは希望をかけた。
「ええ、僕の役目はそれだけ重要です。人質をしなせないためにも、必ずや、あと五分以内に王都を脱出します」
ーーったく、
◇◇◇◇◇◇
ロンドン邸の屋上に、一人佇む人間がいる。
後ろで一束に結い上げられた、腰にまで到達する銀白の髪。
一連の戦闘で受けた刀傷に埋め尽くされる強靭な胴部。度重なる加速術式の反動で、小刻みに震える足腰。ダビデ・クルセイダーは空を見上げていた。
たとえ人質を解放し、国民を避難させようが、王都が焼け野原になれば元も子もない。結果的に被害者がおらずとも、長い月日をかけて築いた王都の歴史が崩れ去っては意味がない。さすれば国民は慌てふためき、恐怖の渦に呑まれ、各地で内乱が起こるだろう。まさにヴィネザールが描いた未来の訪れである。
ーーそうはさせねえ。
「あまりブリタニックを見くびるなよ、ヴィネザール」
ミサイルから王都を守りぬきたくば、大地に直撃する手前でそれを爆発させるしか方法がない。だがそれを実現するには、小鳥が羽ばたくはるか上で、ミサイルをとらえる必要があった。
ーーはっ。まさかいつかの冗談に頼るときがくるとは。
「あと一回だけだ。頼むおんぼろ、もってくれ」 クルセイダーは両足を強くつねった。
時とは非情なもので、いかなる場合も無差別に流れ続ける。着弾予定時刻まで、すでに一分を切っていた。
「やってやるよ.......
嵐かと錯覚するほどの爆風が起こったと同時、クルセイダーは垂直に飛び出した。彼の足は空気を蹴り上げ、身体を上空へと運んでいく。
加速術式は諸刃の剣。きっちり習得すれば強力な手札になる反面、慣れない術式は身の破滅を引き起こす。
クルセイダーの足は一瞬にして粉砕骨折した。足裏から始まった骨折は、ふくらはぎ、太ももへと連鎖する。
ーー形はまだ崩れねえ。もっとだ、もっと高く......。
もう数秒で足は
やがて骨盤まで崩壊が到達したとき、クルセイダーは王都全土を見渡していた。下半身が壊れる最後の最後まで、クルセイダーは空気を蹴り上げたのである。
ーー冥途の土産にしちゃあ、上出来だ。天気は悪いがな。
「剣士たる者、腕一本でおつりがくる」
身体が半壊していれば必然であろう、クルセイダーは気が遠のくのを感じた。かすれゆく意識の中で、彼は空高く剣を構える。
朦朧とする視界を意地と気力で覚醒させ、かつての剣聖は天をにらむ。そして視界の奥底から迫りくる物体をとらえ、持ちうる力を絞り出す。
「秘剣......!!」
とある剣聖の落とし前 おしるこ @rukawakaoru
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