本編
【スポット① 佃小橋の真ん中で】
(騒がしい蝉のなく声が続いていたが、少しだけ音が遠ざかる)
おーい。ねえ。
お待たせ。遅くなってごめん!
でも、こっちも待ってたんだよ? ちょっとしたボタンのかけ違いっていうか、会う時間がずれちゃって……お互い待ってたなんて、おかしいね。ふふっ。……どうしたの? ボーっとしてるけど。
(女の子の声だけが聞こえる。橋の上には自分以外誰もいない)
キミの目から見てどう映る? ここからの風景は。
安心する? 不安になる? わくわくするとか綺麗とか。それともどこか懐かしい……小さかった頃のことを思い出したり? ふふっ。
じゃあさっそくだけど行こうよ。
とりあえず公園をぐるっと回ってさ。ここに戻って来るまでに、どこへ行きたいか考えればいいし。
それか駄菓子でも買ってからにする?
買うとしたら何がいい? あたしは……当たり付きの奴がいいなあ。
外れても、それまでの楽しみやドキドキがあって、当たってたら倍になるんだもん。一緒に分けて食べたっていいし。ね、キミもそう思うでしょ? ああ、でも今は……そういう気分じゃなくなってきたかも。んー、ゆっくり歩きながら決めよっか。
【スポット② 佃公園に向かう堀】
あれ、堀の方ばっかり見てどうしたの?
まあ飽きないよね。あたしもこの景色が好きだし。銭湯の煙突から始まって、レンガに木造、堀に止めてある船。変わらないものを見てると、安心するっていうか……たまに見ないとなぁって気になるよ。いつか誰かに、いま眺めている景色を話した時。ぜんぜん違ってたら悲しいもん。
ここが昔、島だったの……信じられる? 信じられないよねえ。当時の形をあたしは憶えてないから、もう今は想像しかできない。
出かける時はあの橋の下をくぐって、船で行き来してたのかな。それに、どうやって埋め立てたんだろ……便利になったと思うけど、すごい大変だよね、きっと。
【スポット③ 佃公園 ため池の噴水】
ほら、こっち! 早く早く!
(ばしゃばしゃと、浅い溜め池を歩く音だけが聞こえる)
キミも裸足になって入ったら? ひんやりした石の感触。きっと気持ちいいよ。
噴水の岩の近くも涼しそう。あ、もしかして濡れるのいや? それとも池の生き物が苦手とか?
季節ごとにオタマジャクシとか魚、いろいろいたよね。遊んでる横で蝶々やトンボが飛んでたり。よく友だちが捕まえようとしてたなあ……あ、見て見て。大きな鯉がいるでしょ。それともあれってフナだっけ? ねえ。教えて。あのゆっくり泳いでる魚の名前、なんていうの? ふふっ。あはははっ。
(とても魚の居そうにない、きれいな溜め池が広がっている。元気にはしゃぐ声と、跳ねるような水音が響き続ける)
【スポット④ 佃公園 白い灯台が見える川沿い】
きれいだなぁ……桜。
お花見する人たちがたくさんいて、すごい楽しそう。ひらひら散った花びらが川に落ちて流れていく。みんなどこまで流れて行くんだろうね? どこが最後? どこまで行けば……。
あ、いまは夏か。えへへ。
ほら見て。白い灯台! 夜はこれで照らして……船が迷わずに行き来できたんだね。昔とは形とか大分違うかもだけど。残っているだけで嬉しい人はいる。この場所を思い出してくれる人はいるよ。ぜったい。
【スポット⑤ 佃公園 小さな橋を越えて、赤い鳥居】
鳥居をくぐったら、最初の橋のところまであとちょっと。これからどこに行くかもう決めた? まっすぐいけば佃島・住吉神社までの道だよね。佃島って名前が付いてるから……やっぱり昔は島だったんだ。
こっちの道は、なんだか美味しそうな匂いがする。
お店……いろいろ見てるだけで楽しいよね。
あ、そうだ。キミはお腹がすいたりしてない?
わたしはええっと……ふ、普通くらい。キミが何か買って食べるなら、見てるだけでいいんだ。隣で色んな話をしてあげる。お祭りのことや秋になった景色、冬の雪も。もっともっと、ここが好きになるように。
【スポット⑥ 佃小橋の前】
さあ行って。橋を渡るの。
(蝉のなく声が小さくなっていき、変わりに少し遠い距離から、声が聞こえる)
キミの目から見てどう映る? そこからの風景は。
マンションから見える空。佃の町並み。堀の船。
安心する? 不安になる? わくわくするとか綺麗とか。それともどこか懐かしい……小さかった頃のことを思い出したり? ふふっ。あははっ。
アハハハハハハハハハハハッ!
(女の子は今までで始めて、狂気を感じさせる声で笑う。ひとしきり笑った後で、ため息をつくと落ち着いた雰囲気に戻る)
ありがとう。あたしに付き合ってくれて。
キミは……私が待っていた相手じゃないって、ホントは知ってた。キミもきっと、この場所が好きなだけなのよね。それが嬉しくて、少し勘違いしちゃったんだ。
ごめんね。もう、つきまとったりしない。だからここまで。
この橋は一緒に渡らない。
じゃあ、さようなら。
気をつけて。ここにはたくさんの昔と、今がある場所。つい興味が沸いて、ふらふら路地に入った時……いつの間にか別のどこかに繋がって、想像もつかないような場所に出ることだってあるの。
そうなったら……今度はお別れなんていってあげない。離さないから。
ずっとね。
佃小橋の向こう側 安室 作 @sumisueiti
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