第25話

 新年度になった。全員が0勝0敗からスタートする。僕にも最多勝や最高勝率の可能性がある。

 順位戦は降級点を一つ持ってスタートすることになる。三回降級点を取るとフリークラスに行くことになり、10年で引退である。

 全部負けても、13年は現役でいられる。ただ、昨年度だって全敗やアマへの1勝だけなら、自主的に引退したかもしれない。何度も気持ちが切れかけるところがあった。それでも、何とか1年半続けることができた。

 スマホに電話がかかってきた。公衆電話からだった。なんとなくの、予感がした。

「はい、もしもし」

「健太か」

 確かにそれは、父親の声だった。

「うん」

「頑張ってるな」

「そうでもないよ」

「いや、お前は逃げなかった」

「……父さんは、逃げ切りなよ」

「はは。そうするよ。じゃあな」

 短い会話だった。幼い頃の、父親との記憶がよみがえってくる。模型の汽車で遊んだり、一緒にテレビを観たり、将棋をしたり。最近の思い出はない。忘れてしまったのか、そもそも覚えておくべきことがなかったのか。

 不意に、師匠と遊園地に行った記憶が蘇る。家族でない人との、穏やかな一日。

 最近のことだ。

 自分の脳がわからない。全部を将棋に使えたらいいのに。


 

 年度最初の対局は勝利した。これで僕の勝率は10割である。

「次の中継はいつ? もう三か月以上経つけど」

 カルチャースクールの帰り道。若田さんに尋ねられる。

「あるかなあ」

「えっ、そういうものなの?」

「最近はネットテレビの経営状況も悪いみたいでねえ。タイトル戦以外はなかなか」

「世知辛い。まあ、空手の中継もないけど」

 僕は少し嘘をついた。実は、若田さんに伝えていない中継があった。順位戦最終局だ。一斉対局なので少ししか映らないが、それでも相手に昇級の目があったので少しだけ注目されていた。

 恥ずかしかったのだ。ただの負けではない。相手の昇級を決める敗北になるかもしれなかった。そんな姿は、観られたくなかった。

「若田さんが映ることは?」

 オリンピックに出ていたら、存分に中継されただろう。しかし若田さんは代表になれなかった。さらに、次のオリンピックでは競技の採用自体がされないらしい。

「カルチャースクールの美人講師特集とか?」

「そうだね」

 今が記憶に刻み込まれていく。そういう感覚があった。




0割0分0厘 完

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