3

 木々がささやきあい、鳥獣の潜めた噂話が聞こえている。雪山に付いた足跡の先にはオリーブ色の少女が一人。そして、赤色の小さな影と灰白色の球体が彼女の言葉を待っていた。


 昼過ぎの暖かな光が冷たい風をわずかに暖めて、雪道を輝かせている。それに負けぬほど輝いた赤色の影の瞳、そして雪の重さに負けぬほどの沈黙に居心地悪そうな少女。すなわち、ジェーンが目を彷徨わせていたときのことである。


「おやぁ?」


 松乃の後ろを遊んでいた視線が、何かに奪われて止まる。そのまま視線を逸らさない彼女を不審に思った嫦娥達が振り返ってみると、更に登った中腹に何やら二人組がいることに気がついた。


 冬とはいえ木々が茂った、手入れをするものもいない山である。山中の人影など、双眼鏡でもなければそれと見えるはずはないのだが、何故か皆、そこに二つの人影を見たのであった。


「あれは人影、でしょうか」


 信じ難い様子の嫦娥が誰と無しに問いかける。人工知能である彼女にとって、見えるものはそこに見えるものである。しかし、彼女はその景色が見える理由を掴みかねていた。


「やっぱり、見えるよねぇ」


 ジェーンも不可思議な事柄に戸惑った様子である。


 一方で、無邪気なのは松乃である。


「あの人らだ、あの人らがあたいらを呼んだんだよ」


 そう言って駆け出す少女の首根っこを慌てて抑えるジェーンである。


「だから走るなって」


「でもよぉ」


「デモもデマもない」


 不服そうな松乃ににべもないジェーンだったが、その眼力に耐えかねて肩を落とす。


「わかった、わかった。これで猟師かなにかじゃなかったら、ぶっ飛ばしてやる」


「あたいを!?」


「お望みなら、ついでにぶっ飛ばしたげるよ」


 ヒェ、と言って嫦娥の後ろに逃げ込む松乃。


 体格差から見るに隠れるには不向きであるが、盾にはなるだろうと嫦娥をつかもうとする松乃。


 それをひらりと躱したのは嫦娥である。


 それを追って隠れる松乃と、躱す嫦娥。


 隠れ、躱し、隠れ、躱し、隠れ、躱し、隠れ、躱したところでジェーンの堪忍袋の尾が切れる。


「遊ばない」


「ハイ」


 口を揃える二人にため息を吐くと、ジェーン一行は山奥へと進んでいった。


 山道に入り、辛うじて道と分かる道の横枝を伐り進んで行く間も、一向には不思議と人影二つの居るところがぼんやりと見えているような感覚がある。


 はじめの頃こそ不思議がって警戒なり興奮なりをしていた一行だったが、三十分もただなにかを感じるというだけで、他に起こることもないと飽きてくる。


「この山は誰も入らないのかしら」


「そんな話、あたいは聞いたことないぞ」


 手に持った枯れ枝をつまらなさげに回していた松乃が、ジェーンのぼやきに答えた。


「だったら、なんだってこんなに横枝が多いのよ」


「そりゃみんな北側から入るからだろ」


「北側っていうと、隣山の方向じゃないの。なんだってそんな向きから」


「そりゃぁ、……なんでだっけ」


「それはね」


 聞き覚えのない男の声が、突然会話に加わる。


 咄嗟に松乃を抱えて飛び退るジェーン。


 嫦娥も声の方向から距離を取りつつ振り返る。


「コンセサマがお守り、ってあぁ……」


「誰、ミャアアア!」


 寒さからか頬を赤くした、彫りの深い顔の男。彼の視線の先には、雪で隠されていた窪地のフチを飛び越え、積もった雪を突き破りながら抱えた少女ごと転がり落ちていくジェーンの姿があった。


「ジェーン!」


 慌てた嫦娥が様子を見に行くと、深雪の床に上半身から突き刺さったジェーンの姿。


 足をばたつかせるその脇には、投げ出された松乃がジェーンを呆然と見ている。


「ジェーン、おかしい人を亡くしました」


「フンッ」


 ゴリラじみた怪力で強引に雪中から跳ね起きたジェーンは、勢いのまま手に握った雪塊を嫦娥に投げつける。


 それをひらりと躱した嫦娥。


「評価、コントロール能力の欠如。進歩が見られませんね」


「嫦娥ァ……」


 歯ぎしりするジェーン。それに慌てて駆け寄るのは松乃である。


「姉ちゃん、大丈夫か?怪我してないか?」


「ええ、大丈夫。私は頑丈なのが数多い取り柄の一つだから」


「ジェーン、唯一のことは数多くと言いませんよ」


「キィ!」


 嫦娥の煽りに乗ったジェーンは、ゴリラじみた登坂能力で雪に覆われた窪地の傾斜を駆け上がると、嫦娥が上に逃れようとするのも構わずにはたき落とす。


 雪に埋まる嫦娥だったが、その硬さでジェーンに一矢報いたのか、彼女に手を抑えてうずくまらせることに成功した。


 それを面白がるような、呆れるような顔で見ていたのが先の男である。


「驚かせたのは悪かったけど、とりあえず、下にいる子はどうするんだい」


「それは、ああっと」


 少し考えるジェーンだったが、フチまで慎重に歩み寄ると松乃へ声をかける。


「上がってこれそう?」


「無理に決まってるだろ!」


「よねぇ」


 憤慨する松乃に苦笑いすると、男に向き直る。


「あなたがどなたかは知らないけれど、少し待ってて」


 そう釘を差して下に再び声をかける。


「今から縄を投げるがら、それに体を通して。引っ張り上げるから」


 解った、との松乃の答えを聞いたジェーンはソリからロープを取り出し、もやいに結んで窪地へと投げ込む。


 松乃がそれを脇に通すのを確認すると、それっ、と引き上げた。


 死んだ目で上がってきた松乃。憮然としたその様子に、愛想笑いをしながらジェーンは彼女を抱き上げ、立たせる。


「えーっと、ごめんね?」


「ケツが冷たい」


 死んだ目のまま恨み言を言う松乃に、愛想笑いしかできないジェーンだった。


「で、そこで笑ってるあなたはどちらさまで」


 気まずげに目をそらしたジェーンは、木にもたれた見知らぬ男に水先を向ける。


 見てみれば、紺色のコートを羽織ったその男は背も高く、どこか人懐こい顔をした東欧系の美丈夫であった。


 好奇心に光る瞳に見つめられたジェーンは思わず頬が熱くなるが、それが顔に出るよりも先に松乃の怒りが限界を迎える。


「おい、お前のせいで散々だ!一体どういうつもりだよ!」


 詰め寄られた男はいくらかひるんだ様子だったが、笑いながら自己紹介をした。


 曰く、男の名は伊能ということ。


 声をかけたのは、この冬の山に子連れの女を見てすわ心中かと焦ったが、聞くに観光と思えたので少し驚かすつもりであったこと。


 普段は山の中ほどに住んで鳥獣を狩り、菜果を採って暮らしているということ。


「このご時世に?」


 そこまで聞いたところで、ジェーンが口を挟んだ。


 彼女の疑問は尤もで、かつての大気汚染で毒の雨雪が降るようになってから、野山の獣草にはその毒が溜まるようになっていた。


 数世代の遺伝子操作で許容量が上がったとはいえ、食べ過ぎれば体を病む。


 故に、口に入れるものといえばある程度の除染がされた水と作物や、それらで育てられた家畜、そして昆虫などが贅沢品。それらのあまりと除染処理を施した天然資源をタンパク質単位で組み換え、合成した食品群(通称謎ミール)を主食にというのがこの数十年の常識である。


 除染に必要な設備といえば、ここ十年ほどで小型化はしたものの、かつて存在したインドゾウと呼ばれる陸上生物四匹分程度のサイズになる。


 メンテナンスも必要なその設備がこの山奥にあるとは、考えにくかった。


「それにはからくり、といっても大したものではないんだけど、理由があってね」


 そう言って伊能は指を立てた。


「この近くに、地中型の失敗したアーコロジーがあるのさ」


「そう言えばこのあたりには、防災研が主導したプレアーコロジー計画におけるテスト地の一つがありましたね」


 それに反応したのは、雪に埋まったままの嫦娥である。


「あーこ?ってなんだ?」


「アーコロジーとは、簡単に言うと、畑と家畜小屋と発電機とため池、そして除染マシンと村が全部まとまった建物のことです。ところで、そろそろ掘り出していただいてもよろしいでしょうか」


「へぇ」


 松乃への説明ついでに助けを求める嫦娥だったが、無情にも無視される。


 興味を失った松乃に対して、興味を示したのはジェーンである。


「しかし、失敗したというのはどうして。あ、埋めちゃったからとか。全部埋まっちゃったんだ」


「いや、違うよ。そもそも、それなら再利用もできないしね」


「提案、熟考後の発言」


 彼女の発言に苦笑する伊能と、頭をかきながら笑いつつ足で嫦娥に雪をかけるジェーン。


 後ろから響く抗議のビープ音を無視して、ジェーンは伊能に先を促した。


「まあ単純な話で、飽きるんだよね」


「飽きる」


 ジェーンのオウム返しに笑いながら、伊能は続けた。


「いくら中で完結するとはいえ、外の様子もわからない。特に、試験用のミニサイズだから顔ぶれも変わらないとなると心を病む者が多くてね」


 結局機能だけ使って外で暮らしているよ、と笑う伊能であった。


「周りの集落とは交流が?」


 そう問うたのは、哀れに思った松乃に掘り起こされた嫦娥である。


 それに対し、伊能は眉をへの字に曲げると肩をすくめる。


「何度か山中で顔を合わせるぐらいはあるけれど、交流というほどのことは。それほど余裕があるわけでもないから」


 申し訳無さそうに言う伊能と、松乃の手の中で考え込んだ様子の嫦娥。


 やがて手の中から飛び立つと、伊能の前に飛ぶ。


「そのアーコロジーに連れて行って頂いてもよろしいでしょうか」


「ちょっと、嫦娥」


「おい!何言ってんだよ」


 嫦娥の要請に驚いたのは残り二人である。


「そんな、迷惑でしょう」


「まだあの二人を見つけてないんだぞ!」


 ジェーンの言はさておき、松乃の言葉にハッとする二人。


 不思議なことに、言われるまでそのことを忘れていたのだった。


 人影がいたと思しき方向を指しながら憤慨する松乃。


「ああ、それなら私の仲間たちかもしれない。ちょうど私達の村があのあたりだから」


「あたいらは、その人達に呼ばれたんだよ」


 ちょっと、と制止するジェーンを押しのけながら、伊能に訴える。


 それを聞いた伊能は少し考える素振りを見せたが、うなずくと手をパンと一度打ち鳴らした。


「よろしい。私達の村に招待しよう」


「え、いいんですか」


「みんな退屈しているしね。客人なら歓迎だ」


 そう言うと、こちらだよ、と指し示す伊能。


 ジェーンたちは荷物をまとめると、彼の先導に従って移動を始める。


「でも、あの人影、並の物とは思えなかったけれど」


 そんなジェーンのつぶやきは風にかき消され、一行は山奥へと消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

散歩する客人達 猫煮 @neko_soup1732

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ