第16話 しがらみと、僕たちの行先

「よーし! 欠けはないな? 当然か、ハッ!」

 僕たちの沈黙なんてお構いなしに騎士のひとりが言った、気取ったような大きな声が聞こえた。もう僕たちの事情だけに構ってはいられない。魔物を蹴散らした後で騎士たちが集まりつつある。がやがやと何事か叫びながら僕たちの方へ向かって来るのが分かった。

「大丈夫です。わたくしのアテというやつですわ」

 アテ? これが? どうして騎士なんかがあそこにいて、そして僕たちを助けてくれたのかは考えてみれば不思議だった。

「ケンディス子爵の紋章を掲げていました。心配は要りません」

 僕はオロオロと、対するラズヴィーンさんはいつも通り悠然としていたところに遂に騎士たちが来てしまった。幸い僕たちを取り囲むとか武器を向けるとかそんな風ではない。

 騎士たちの数は多い。軽く二十人はいる。その内のひとり、多分先頭で武器を振りかざしていた人が兜を外し横にいた人に渡して、軽い身のこなしで馬を降りた。軽快な動作とは似つかわしくない、重そうな鎖の音がじゃらりと響く。この騎士が着ている服の下の鎧の音だろう。そのあと、馬具に引っ掛けてあった何かを取り上げてそれをピンと指で弾くと明かりが灯る。火じゃない何かが照らすランプだった。それを僕たちに向けながらこちらに近づいてくる。

 目の眩みそうな光でようやくわかるようになったその騎士の顔はやはり男の人。暗い髪色の短髪、手入れの行き届いていないよくある薄い無精髭、年のころは僕の兄さんと同じくらいか少し上だろう。背は高く逞しい。年季の入って少し傷んだような赤い立派な外套の下はやはり鎧。何となくにやけたような、アリオールさんともラズヴィーンさんとも違う質の自信が滲む表情が、僕たちに向けられている感情を表しているような気がして心配になる。端正な顔立ちで人相そのものも悪くはないのだけれど、何故か軽薄な印象を受けてならない。

「うん? お前ら何者だ。……魔術師には見えねぇし、派手に暴れてた奴はどこ行った」

 僕たちの前まで来て、わざわざ辺りをランプで照らしてまで人数を数えてそう言った。何でそんな顔をしたのか、さっきまでのにやけた表情を引っ込めて心底不思議そうな様子で僕をじろじろと見ている。横のラズヴィーンさんには何故かあまり関心がなさそうだった。というより一目見た後うっ、とたじろいだような嫌な顔をしたきりそっちを見なくなった。血のついた修道服で槍持ちという格好を放っておくのはどうかと思うけれど、今の不穏なラズヴィーンさんはお近づきになりたくない風体なのもわからないではない。相変わらず戦いの熱が冷めていないような不穏な気配が僕にでもわかるほどだった。

「死んだのか? 死体を探すなら急いだほうがいい、灯りをくれてやるから。俺らはもう行く。本当ならもうちっと一緒にいてやりたいが、用事があってな」

 騎士は別の誰かを呼び寄せて「松明を出せ」と言った。何の道具か、パチリと火花が散った後に火がついて出されたそれを受け取って、そして「おい」と僕に持つよう突き出した。これを受け取るべきか、誤解を解くべきか。

「こっちを見なさいよ」

 突然ラズヴィーンさんが不機嫌そうにそう言った。血を浴びたフードを取るとランプと松明の光に照らされて金髪が輝く。顔に付いている返り血を袖で拭って騎士を睨んだ。

「んあ? ……うげぇ! ベイガーの暴れ牛! なんでそんな恰好してんだ!」

「気づきなさいよケンディスのぼんくら! ほら槍! これを見たことあるでしょうが。それになんて言い草、恥を知りなさい恥を!」

 ラズヴィーンさんに気付いた騎士は一目でわかるように慄いて、そのくせ結構な暴言にも聞こえることを叫んだ。案の定ラズヴィーンさんはそれで胸を片方の腕で押さえて顔を赤くして騎士を罵り倒す。ただ会話の内容を聞いて気付いたけれど、ふたりはどうも知り合いのようだった。

「あなたこそ何でここにいるのよ。まさかあなたが直々に出向くとは思いませんでした」

「馬鹿言え、お前んとこの使者が駆け込んできて、さる貴人がそちらへ向かわれるからどうか護衛して差し上げてほしい、なんてふざけたことを抜かしたからわざわざ俺がくる羽目になったんだろうが! それでどうして他の誰に任せられるって言うんだよ!」

「う、あーまあ、そうですけれど。でもそんなことを言ったの……我が事ながら無礼だわ」

「この分だと俺が来て良かっただろうがぁ。感謝しておけよな」

「く、ううぐ……」

 得意げな騎士の様子に悔しそうな反応をするラズヴィーンさんだった。

「それで? こっちは従者か、いくら何でも頼りないにも程があるだろう」

 騎士が突然僕の方を向いてそう言った。どう答えたものか、下手なことを言っても仕方がないし相手は貴族らしい。こういう時僕はいつも手詰まりになる。

「従者じゃありませんわよ、旅の仲間。わたくしのお友達」

「はぁ? 嘘だろ、何隠してやがる、何でここにいる」

 ラズヴィーンさんが不機嫌そうに僕について説明した。ひとまずこの場を凌ぐためなら従者と言うことにしておいても良かったはずなのに仲間とか友達と言ってくれたことは嬉しかった。それを聞いて耳を疑うような反応をした騎士だったけれど、すぐに向き直ってラズヴィーンさんを睨みつけるようにじっと見ている。対するラズヴィーンさんがそんな態度にも怯むことなく何も語らず涼しい顔なものだからか、遂に騎士の方が根負けした。

「あーめんどくせぇなあー、俺は何に巻き込まれたんだよ。まあ、とりあえずお前が俺の目的なんだろうさ。仕方ない、仲間の死体もついでだ、拾ってやる」

 そうラズヴィーンさんに言う騎士だった。成り行きとはいえ松明を取り出させてしまった手前、この誤解は僕のせいと言ってもよさそうだった。だからここは僕が一応訂正する必要がある。騎士は両手に灯りを持ったままでいる。

「いや死んでいません。ただどこかへ行ってしまって……」

「なんだ、できる奴がいると思ったが尻尾撒いて逃げる腰抜けだったか」

 僕の誤解を招いた素振りを咎めるでもなく、ここにいないアリオールさんに対して軽んじた言い方をする騎士だった。そしてそれでも何故かまた僕に松明を受け取るように押し付ける。仕方ないので僕はそれを受け取った。そして意外にもすぐに騎士の言葉を否定してアリオールさんを庇ったのがラズヴィーンさんだった。

「違うわよ。終わってから消えたの。逃げるような人じゃありませんもの、ふん」

「……何でだよ。それなら待ってりゃ戻って来るならいいが、来なきゃ放ってくぜ」

「残念ながらソレがわたくしたちの命綱ですのよ。特に彼、エリーには欠かせません」

「ふぅん」

 騎士が顎のあたりに手をやって空を見やるような思案気な顔をしたと思ったら、急にぐりんと身を捻るように僕の方を向いた。

「ここの要はお前なのか、意外だな。何の集まりかまるでわからんぞ」

「えぇ! 僕じゃありませんよ。……うーん、僕たちというよりアリオールさん、どこかに行っちゃったもうひとりです」

「それなら何やってんだよソイツはぁ」

 また苛立つような態度を取る騎士だった。しかし本当にアリオールさんはどこへ行ってしまったのだろうか。それ程遠くまでは行っていないと思うし、僕たちを置いていく人ではないのは間違いない。暗闇に目を凝らしても見つかるわけでもなし……とそんな風に辺りを伺っていると、ある時遠くの方に火が灯った。それが近づいてくる。

「お、アレは、来たか?」

 騎士もそれに気が付いてようだ。火が近づいてくる。照らし出される影がアリオールさんのものだとわかるのにそう時間はかからなかった。何だろうか……多分手鏡だと思う、それをポーチにしまい込むような動作をしながら、光の中でしっかりと見えているはずの人の形がゆらゆらとやってくる。それは何故か……アリオールさんだとわかっているのにも関わらず、どうしようもなく異質なものに見えて仕方がなかった。杖の先に松明のように火を灯して遂にこちらまでやってきたアリオールさんだけれど、その姿はまるで僕が見たのが気のせいだったと言いくるめるように元通りの赤毛と琥珀色の瞳に戻っていた。

「いやすまない、ちょっと身だしなみが崩れてしまって。はっは」

「そう……ですか」

 あの時の取り乱した様子なんてなかったと言いたげなくらいに、もしかしたらいつも以上に呑気な風に振る舞っているように見えた。そのせいで僕はそれ以上何も言えなかった。ただラズヴィーンさんは無言で詮索するような視線を向けた。

「なんだよ、悪かったって」

 アリオールさんもへらへらとそれを受け流す。やはりあの件は秘密にしておきたいことと思ってよさそうだった。誰にも言わなかったのは正解かもしれない。

「お前かぁ魔術師は! さっきはなかなかやるじゃねぇか!」

 僕たちの会話に割り込むように、僕を押しのけてまでさっきまでの呆れ調子なんてなかったことにして大げさな身振りで騎士がアリオールさんを迎えた。何故か嬉しそうに。それを受けてアリオールさんの様子が一瞬だけ険しいものになったがすぐに怪訝な顔をする。

「うん? ……ああ、あの騎馬隊の先頭だな。お礼の前に言いたいことがある」

 どうにもアリオールさんが不機嫌な顔でここにいる。割と人当たりのいいアリオールさん、その相手はおそらく初対面でおそらく貴族。それなのにこんな風なのは珍しい。

「何で魔封じを使ったのさ。あの状況で魔術師の邪魔をする奴があるか」

「大抵の魔術師は敵に近寄られると変に気張るからな。無茶苦茶に暴れたのに巻き込まれちゃあ恰好がつかねぇよ」

「それにしたって、あれじゃあ私たちを殺す気かと思ったぞ」 

「それこそこっちの身元を示さんといかんだろう? それに騎馬の突撃に合わせて魔封じの軍旗を掲げるのは当然の作法だ。知ってるだろう、戦魔術師さんよ」

「私はそんなんじゃない」

「ハッ、あり得んな」

 大げさな身振りで騎士がアリオールさんの言葉を否定した。

「嘘はつくなよ。あれほどの魔術を使える奴を放っておく世の中じゃない。それで、どこのモンだよ? ベイガーのなら俺が知らんはずもない。ただのはぐれ者とは言わせねぇ」

「……」

 アリオールさんがほんの僅か、僕のように不安のあまりじっと見ていなければ気づかないほど小さく震えたかと思えば、今度は片手の杖をぎゅっと握り込むようにしている。それは何か身構えているようにも見えて、今度は相手の騎士の方がどういうつもりでいるのか気になって仕方がなかった。……まあ結果的には何かが起こるというわけでもなく、騎士の方がその様子に気が付いてへらへらとした表情に戻って終わったのだった。僕には理由のわからない深刻そうな雰囲気があっけないほどに終わったことを喜ぶべきなのか、それともこのやり取りを理解できないことにもっと別の危機感を感じるべきなのか。

「ふ、言いたくねぇならいいさ、本題はそれじゃない。お前俺と来ないか」

「突然だな。行くわけないだろ、何のつもりだ」

「おいおい俺はケンディス子爵家の跡取り様だぜ、結局どこに仕えているか知らないがウチの方がいい扱いをしてやる。まあ話を聞けよ」

「私は誰のものでもない」

「あーっと、そこまで。あなたもおやめなさいよそういうの。言ったでしょう、この人は彼の旅に欠かせないのですから」

「はん? やはりベイガーの手勢でもないわけか、なら……お前何者だよ」

 今度は僕の方を向いて何かを問い詰めたそうな様子で騎士は言った。そう言われても僕は実際、幸運にも魔術師を見つけて一応弟子入りの伝手を得られた農民でしかない。そもそも僕はアリオールさんという人のことをほとんど知らない。ただこの騎士が今まさにアリオールさんの踏んではいけない部分を力一杯踏み荒らしていることだけは何とかするべきだったのでできるだけ穏便に、僕にできる限りの誠実さで対応するべきだと思った。

「僕はただの農民です……たまたまアリオールさんに出会って、それで魔術師に弟子入りできるかもしれないって」

「それでこんな当たりを引いたと? そんなことがあり得るのか……お前自分が何を連れているか理解していないだろう?」

「僕が連れて行ってもらっているんです!」

「何にしてもだ、こんなところに居て良い奴じゃねぇっての」

 僕の荒げた声になんて怯むはずもなく、改めてアリオールさんの存在に疑問を感じているようだった。それで僕より本人に関心がまた向いた。

「それでお前、アリオールとか言ったな、今一度の提案だ、武門と名高いケンディスで一旗揚げねえか?」

「止めろと言ったじゃありませんの!」

 遂には怒鳴るように止めるラズヴィーンさんだった。

「冗談じゃない」

 こちらは対して無表情。いつぞやのせいでこれが恐ろしいことを知っている僕はまたひと騒動起こるのかとビクビクするしかなかった。

「けっ、つまんねえ奴。……でもなあ、無理矢理ってのは俺の名誉に関わるしなあ。もったいねえが……仕方ない、気が変わったらいつでも来い、ウチは腕の立つ奴を歓迎する」

「……」

 騎士のいくばくかの譲歩が感じられる提案にもひどく機嫌を損ねた様子のアリオールさんはもはや表情一つ変えず返事すらしない。貴族相手だと思えばかなり無茶な態度だと思うけれど、不思議とこの人ならそれでも許されるような気がする。どういう訳か、この物怖じしない様子には奇妙な風格があった。

 騎士も言うべきことを言ったからか、それともこの妙に強気な魔術師に思う所があったのか、さっきまでの会話を無かったことにするようにラズヴィーンさんの方を向いた。

「それでラズヴィーンよ、これからどうすんだ?」

「イーデルムに向かいます。夜通し歩く無謀はわかりますけれど、この分だと野営で安全に夜を越せる保障がありませんから」

「留まるよりはマシだからそれは良いが、何でかわからんが既に魔物がいたな、状況だけ見れば俺達の不手際と言えんこともない。だから、俺に案がある」

「あなたも来るのでしょう?」

「当然。頼まれたのは護衛だ、ここで放り出しては意味がねぇ。それで手打ちにしてくれや」

 ニヤリと笑って騎士が言った。でも表情はともかく不思議なくらいに下手に出ている騎士の様子のせいかラズヴィーンさんはわかりやすく嫌そうな顔をした。

「本当は事情を聴きたいだけの癖に」

「それはそれ、これはこれ。俺様の矜持の問題でもある。それに貴人が来るって話だからな、念のため馬車を持ってきた。お前らはそれに乗れ、それでイーデルムを中継してウチの城まで連れてってやる」

 その貴人はお前だったが、ああ、お前も一応貴人か、と騎士は軽口をラズヴィーンさんに言いながら、今度はラズヴィーンさんと騎士が話を進めていく。なんだか今後の行程まで決まってしまいそうになっているけれど、そこでアリオールさんが口を挟んだ。

「ちょっと待て、これ以上ケンディス子爵の世話になるのか? その後どうする」

「考えていることはわかります。でもいいじゃないの、今は好意に甘えましょう。もともと折り込み済みの出会いですもの」

「不安だ。お前自分の足元がおぼつかないのわかっているよね? 厄介ごとのタネだぞ」

「まあまあ、後よ後。どうせこの先は旅程も未定でしょう? 後で考えれば良いわ」

 珍しく気楽な様子のラズヴィーンさんだった。おそらく知らない仲じゃない貴族が一枚噛んでいるから力を抜いていられるのだろうとは思う。対してアリオールさんはさっきからずっと渋い顔をしている。ラズヴィーンさんに何を言っても無駄だと思ったのか、何か思う所があるのか突然僕の方を向いた。そうやってジッと見つめられても僕に良い案が出せるわけもなく、そんな僕の様子を察したアリオールさんは次に騎士の方を向いた。騎士はアリオールさんの懸念なんてどこ吹く風と言ったように妙に信用ならないニヤけ顔で誇らし気な表情を向けたのだけれど、それでチッ、とアリオールさんは舌打ちするとそのままそっぽを向いてしまった。それにはさすがの騎士もため息をついて首を振る。

「ここにいても仕方ねぇし先へ進むとしようや。心配は要らねえ、俺達が何とかしてやる」

 騎士がおかしくなりかけていた雰囲気を払うように言うので僕たちはそのまま護衛してもらいながら町を目指すことになった。というよりラズヴィーンさんが今は主導権を握っているつもりなのか、しきりにそうするように僕たちを促していた。イーデルムがどのくらい先かはわからない。その間何もなければいいけれど。僕たちは相変わらず徒歩。僕はもう疲れた。松明を持つことさえ難儀して、暗い道で足が取られそうになるほどに。

 騎士は重そうな鎖の鎧を気にも留めないような軽い身のこなしで馬にまたがって僕たちと足並みを揃えるように進む。他の騎馬隊もそれに続くようだった。そのうち何人かは警戒のために先行したり、僕たちの後方に付いたりしていた。何かあってもきっと守ってくれることには素直に感謝したい。

 ただ僕には今始まってしまった馬車までの道のりがもうすでにつらいものになり始めていた。眠い。今まで張りつめていた緊張が切れてしまったからか、突然やってきた眠気が僕にのしかかってくる。さすがの僕もここで止まる気になんてならないのだけれど、どうしたことか体の方が言うことを聞いてくれなくなりつつある。

「お前へばってんな」

 僕の様子に気が付いたのか突然横に来ると騎士はそう言って馬を停めた。そして馬を降りる。鎖の鎧がじゃらりと鳴った音が僕の気弱な部分を竦ませる。何をするつもりだろうか、ロクに返事もできない僕のお尻でもひっ叩いて馬のように進ませるつもりなら勘弁してほしい。

「乗れよ」

「え?」

 空いた馬の背に乗れと言う。それはさすがに予想していなかった。あんまり礼儀だのに明るくない僕でも貴族を馬から降ろして代わりに乗るなんて無茶なことはできない。なかなか手入れの行き届いているらしい立派な馬なのにも気後れする。だけど僕のそんな様子を無視するように無理矢理にでも僕を馬に乗せようとしてくる。

「いや……さすがにそれは恐れ多くてできません」

「なぁに強がってんだよ、付いてこれねぇ方が迷惑だろうが。落っこちねぇようにしがみついてりゃいい。乗れって言ってんだ、さっさと乗れや」

 眠気もどこかに行きそうな提案に僕もどうしたものか決めかねていると、横から騎兵のおじさんがこの騎士に声をかけた。

「あー、旦那、それはいけねえ。……おいボウズ、こっちの馬にしておけ、こっちもいい馬だから」

 騎兵のおじさんが僕の傍で慌てて馬を降りた。それでこっちに乗れと言う。いやそれはそれでどうなんだろうか? 

「おめぇよぉ、俺らに恥かかせたくねぇなら大人しくこっちに乗れって」

 そう言って騎兵のおじさんは有無を言わさず僕を馬に乗せようとする。どうも、僕がどうこうというよりこの騎士に平民に馬を譲る、なんて事をさせたくないということだけはわかった。

 しびれを切らした騎兵のおじさんが遂に僕から松明を取り上げてどこかにやって、僕の背嚢を引っ張るものだから僕ももう観念することにした。そうは思ったものの疲れがどっと来た体が重いのとこの馬も大きいせいで乗るのがものすごく難しい。

「非力だな、まず荷物をよこせ」

 そう言ったのは馬から降りたままの騎士の方だった。それで僕の背嚢を引きはがして、僕がそれを止める間もなく「こいつを預かってやれ」と背嚢を近くの騎兵に押し付けていた。松明もいつの間にかラズヴィーンさんに渡されていた。

 なし崩しで槍と松明を両手に持って面食らった様子のラズヴィーンさんがアリオールさんに松明を受け取るように突き出していた。それを拒否されたので今度は僕の背嚢を渡された人とは別の、たまたま近くにいた騎兵を捕まえて押し付けた。それで受け取ってもらえたようだったけれど、わかりやすく不機嫌な様子の子供っぽいラズヴィーンさんを見て騎兵のおじさんが笑っていた。それには怒らないのはこの人の良いところだろう。

 そんな様子をぼうっと見ていると騎士が僕を急かすようにじっと見ていることに気付いた。そうだった。馬に乗らないといけないんだった。

「鐙に足をかけろ。そっちの足じゃねえ……それでいい、手はここだ、後は勢いをつけて……ぬああ、どんくせえ、めんどくせえ!」

 実は馬に乗ったことのない僕だったけれど、それを察したのか騎士が初歩の初歩からいろいろと教えてくれた。今までの印象とは違ってかなり親切に。だけれどだんだん僕のドン臭さに嫌気がさしてきたのか、最後は僕を置いておいて自分の馬に積んであった太い棒のようなものを取り出した。なんというか杖、のような雰囲気でもあるけれどそれにしては短い。それを何度か振り下ろしてから突然僕にそれを突き付けてきた。

「ヴィエト!」

 騎士が気合いのこもった声で叫んだ。何か力を感じる言葉だ。

 そして、馬に乗ろうと無駄なあがきを続けていた僕の足が地面から切り離されたように踏ん張りが効かなくなる。

「う、うわああ!」

 騎士の聞きなれない言葉を聞いた後、何かふわりと眩暈のようなものがした。そう思っているうちに僕の身体が急に浮き上がりはじめた。地面から足が離れていく。どう身体を動かしても進む向きが変わらない。どうにもならずに身を強張らせても何も変わらない。心臓が縮み上がる。お腹の中がどうにかなりそうになる。もう自分がどうなっているのかわからない。怖くて息がうまく吸えない。

「あぁっ! はっ……あっ! ひっう!」

「落ち着け。足を開け」

 僕の中のどこか冷静な部分が無茶言うな、と喚く。どういう状況なのか全くわからないのに。そうしているうちにさっきまで乗れずに難儀していた馬の上の方に浮かび、ちょうど鞍に手が届いたのでそれを掴もうとしているうちに倒れ込むような体勢のまま突然謎の力から解放された。そうして鞍の上に降ろされた時、ちょうど掴み損ねた鞍の前の出っ張りが胸にめり込んで、うっと声が出てしまった。ただその時の僕にはそんなことはどうでもよくて、ことが収まってから気づいたことの方が重要だった。

「うっ、ぐ……ま、魔術師!」

「ああそうだよ? あれといるんだ、珍しくもねぇだろうに」

 僕の叫びにも何をいまさらと、そう言って騎士は気軽な調子で棒の先端を僕に向けた。小心者な自分でも意外だったけれど恐れよりも好奇心が勝ったようで騎士の持つ棒を観察する余裕があった。これは、そう、以前ベイオルの鍛冶屋で見たメイスとか言う武器に似ている。

「これを初めて見んのか? ……そうだな、戦士はこういう武器に杖を仕立てんだよ。あー……それほど自慢できるモンじゃねぇからそういう目で見るな」

 物騒な杖で自分の肩をトントン叩きながら騎士が少しうんざりした様子で説明してくれた。最後はなんだか都合の悪そうな顔になっていたけれど。僕がどんな目で見ていたかは置いておくとしても、世の中にこんなものがあるのは知らなかった。どうにも魔術に関りがあるものと言われると興味が尽きない。アリオールさんは一目で杖とわかる形の物を持っているけれどこっちの方が珍しいのだろうか。今度はアリオールさんの杖がとても気になる。そんな僕の視線にアリオールさんが気づいた様子だった。

「魔術師といえどもその多くは魔術だけでは戦えない。そういう魔術師でも戦いに行く奴は大体そんな杖を持っている。だから杖を見ればどんな奴かおおよそわかる」

 アリオールさんの説明を聞くとそういうことらしい。僕が魔術師になったなら、どんな杖を持つのだろう。まあ僕は戦に行きたいわけじゃないからこういうものではないかとは思う。そして、アリオールさんの僕に対する様子がいつも通りだったので少し安心する。

「私みたいな杖の奴は大抵無害だから」

「嘘をつくな嘘を。お前みたいなのが一番怖いんだろうが」

 僕にさえ冗談だとしか思えない言葉に騎士がそう言った。


 ようやくピリピリした雰囲気から解放されそうな様子だったけれど、そうはならなかった。ふたりが冗談なのか本気なのかわかりかねる会話をしているうちに僕の乗っている馬が急に落ち着かなさそうし始めて、頭を振りながらザリザリと土を蹴り出した。僕が何かしたのかと少し不安になったけれど、どうもこの馬だけじゃないことに気付いてからはもっと別の不安が込み上げる。他の皆は馬の様子に気付いてから顔を見合わせている。

「若様、周りの様子がどうも良くねぇ、そろそろ」

「いけねえ、もたついてる場合じゃねぇんだった」

 部下の進言で我に返ったようで、話を前に進めだす。

「もう行くぞ、自己紹介とかは後だ、お前もそれでいいな」

「いい、世話になる。隠さず言えば行先が不服ではあるけれど」

「ふ、それでもいいさ。この俺様はそんなことで気分を損ねるほど小さくねえ、むしろお前の物言いが気に入った」

 アリオールさんの、いつも通りの遠慮なしの言葉を受けても意外とさっぱりした様子の騎士だったけれど、今は単に先に進みたいという気持ちを優先しているようにも見えた。それ程に辺りの様子にザワザワする気配が混じり始めていた。闇の中から何かが飛び出すということは無いにしても何かが僕たちの様子を伺っているような視線を感じるのは皆同じだった。

 それは進むべき方ではなく僕たちが来た方からだった。当然そんなつもりはないけれど砦まで戻ることは僕たちだけではできそうになかった。ただそれでも怯えているのは僕だけでアリオールさんもラズヴィーンさんも、それどころか騎士とその率いている騎兵さえも状況に飲まれてはいなかった。

 僕たちの傍にいたふたりの騎兵が轡を並べて先行した。もしも、魔物に賢さと言うものがあるならどこかにあるらしい馬車を襲うかもしれない。そもそも僕たちを襲った魔物の数さえ不確かで、それ以上がどこかに潜んでいないという保障すら無い。多分そんな理由で正面の警戒をしているのだろうとあたりをつける。周囲を警戒している人もさっきよりは散開気味で辺りを見回しているようだった。ただラズヴィーンさんの周りだけはしっかりと騎兵が付いて守りを固めていたけれど、当のラズヴィーンさんはなんだか鬱陶しそうにしている。

 何故か騎士は僕が別の馬に乗っても自分の馬の背に戻ってずっと傍にいる。多分きっと僕がものすごく弱そうに見えるからだろう。どうにもこういう時は情けなく感じずにはいられない。

 馬に乗って分かったけれど、鞍の形からこの分だと二人乗りはできそうにない。騎士もおじさんも馬を降りた理由が今更ながらわかった。

「心配はいらねぇ、そう遠くない」

 僕の居心地の悪そうな様子を勘違いしたようでそんな風に僕を元気づけようとする騎士だった。根は悪い人ではないのだろう。理由はともあれ平民の僕にもこんなに良くしてくれるわけだから。

「何事もなければいいのですが……まあ、わたくしが狙いとわかればもはや恐れることなどありはしませんけれどね」

 ラズヴィーンさんが僕が何かを言う前に答えた。

「お前狙いねぇ……んん? お前狙い? 何がだよ?」

「あの魔物ですわよ」

「あり得ない。お前、何した? 巣でも焼いたの?」

「馬鹿なことを言わないで。理由がわからなくて困っておりますのよ。いつか知るところになるから言いますけれど、ベイオルが襲撃されましたわ、魔物にね。3日間もよ」

「それがお前と何の……ああそうか、お前そこにいたのか」

「それも修道院送りになる前、使者を待っている時にね。先ほど魔物が追いかけて来た事を見るに、偶然ではなさそうですわね」

「……誰がどうやったかは知らんが、結果的に魔物を引き入れることになったのについては何も言わねえでやる。だがこれは別だ。お前修道院送りって言ったがそれはどうした」

「勘当されたからにはわたくしも勝手にするってことですわ」

「お前よ、とりあえずここで放り出しはしねえけど後で誘拐されたとかそういうの絶対止めろよな。さすがにタダでは済ませない」

「当たり前です。それは無理筋な難癖でしょうに」

「チッ、どうするか。まあイーデルムまでは連れて行く、そう言ったからにはな。だがその先は父上と話してからだ。場合によってはそのまま出て行ってもらう」

「あなたね、どうせなら城に連れて行くところまでにしなさいよ」

「ふざけんな、ウチをベイガーの揉め事に巻き込むんじゃない。ただでさえ面倒事を抱えてんだ、これ以上望むならラムズ男爵と組んでケンディスを挟み撃ちにする算段じゃないことを証明しろ」

「……」

 どうにも不満そうな顔のラズヴィーンさんだった。しかしこの人が立場と言うものを理解していない訳もない。いじけたようにそっぽを向いてしまったけれど、その振る舞い以上に色々思う所があるのは僕にもわかる。ただ、それ以上何を言ったところで仕方ないと黙り込むのも今は良いことに繋がらない。こういうらしくないことをするのはこの人にとってかなり不服だろうが、そうせざるを得ないらしい。

「ああくそ……」

 その様子を見て都合が悪そうな顔をする騎士だった。相手の心境を察することができるというのは必ずしも良いことではないのかもしれない。

 そうしているうちに先行していた騎兵が帰ってきた。彼らの様子を見て何事かを察したようで多少騎士の顔色がよくなる。そのまま僕たちに向けて口を開いた。

「馬車までは安全だとさ。もういいだろう、早く終わりにしよう」

 その言葉をひとまずの決着として、このままここにいても良いことなんてない僕たちは先を急いだのだった。それに、そうする他に選択肢もなかった。


「ああもう、気に入りませんわねえ」

 ラズヴィーンさんは馬車に乗り込んですぐ、苛立ったようにぼやいた。

 僕たちは馬車までたどり着いて、今度はそれで移動することになった。馬車は僕たちが襲われた場所からは距離のある小高い丘の上にあった。見晴らしの良い場所だったので辺りを伺うには良い場所なのだろう。

 馬車に乗っても相変わらず周りは騎兵が警護しているし安全になったと言い切れるわけではなかったけれど、それでも腰を下ろせば多少は気が落ち着いてくる。それでやはりというか、ラズヴィーンさんの様子が見る見るうちに暗いものになっていった。気を張らなくてよいと言うことが悪い方に作用しているのかもしれない。それを見かねたアリオールさんが口を開いた。

「どうしたどうした、何を子供みたいな。連れ戻されると決まったわけではあるまい。それに今は身の安全を心配するべきだ」

「……言われなくたってわかっていますわ。ただ、どうしてもやり切れないの。我が道を行くと宣言してすぐこれですもの。わかってはおります、そんな簡単なことではないということくらい。それでも、あれだけ我を通しておいて、今度は我が身可愛さでのこのこ戻れるとでも? そんなの……わたくし自身が許せませんわ!」

「……」

 突然のラズヴィーンさんの癇癪を聞いたアリオールさんの表情は冷ややかな煩わしさを感じさせるものだった。まあそれはそれとして僕にも少しだけわかったことがある。ラズヴィーンさんは日頃の振る舞いのせいで分かりにくいだけで、やはりどこか世間知らずなのかもしれない。良くも悪くも前を向けば物事が進むと思っている節がある。

「なんだよ、勇ましさはどこ行ったのさ?」

「わたくしの出来、不出来で事が決まるなら受け入れますけれど、どうしてもそれだけでは終わりませんもの。こんな時は良くない胸のつかえも表に出てくるものですわ」

「ふぅん、そうかい。で、どうするのさ」

「どうもしません。あなた方と一緒に行きます。ここは別に終点ではありませんから。ただ前にも言ったことですけれど、足手まといになるならわたくしを置いていきなさい」

「それなら私も言っただろう、そう言うのは好かないって。元よりケンディス子爵の世話になる気なんてなかったし、面倒事になるなら適当にあしらって別れればいい」

「……まあ、そうね。……それに、あのぼんくらに裏切られたような気でいるのは、自覚している以上に縋る気でいたことの証左なのでしょうね。……不愉快ですわ」

「それでいい、今はね。どうせ安全な道のりと言ってもあれやこれやと関わらざるを得ないんだ。ラズヴィーンの道も見つかるだろうよ。もし駄目ならその時は……うん、伝手が無いわけでもない、でも期待はするなよ」

「伝手って、そうやってあなたは……全く……ふん! 余計なお世話だと言わせてもらいますわ! だってわたくしは自分で自分の道を見つけますもの!」

 どうにかラズヴィーンさんの調子が戻ってきたように見える。たださっきの会話でどうにも気になるのはアリオールさんの言った伝手と言う部分だ。この人は一体何者なんだろうか。今までの様子からだと元気づけるための方便ではないのだろう、確かな実感があるような気もする。僕の知らないアリオールさんの謎がまた増えた。それを知らないでいることが果たして良いことなのか。

 僕が変なことに気を回しているうちにも馬車は進む。同じように皆の様子も変わっていく。ひとまずラズヴィーンさんがいつもの調子に戻ったことで少しばかり安心した様子のアリオールさんと、元気が出たせいかイライラしているのが手に取るように見て取れる、子供のような癇癪を良家の子女の自制心でも覆い隠せていないラズヴィーンさん。何ともまとまりのない光景だったけれど、何故だかこれだからこそ、と言う気さえする。

 もう外のこと、これからのことに考えを巡らせるのは止めよう。さっきの騒がしさで忘れていたけれど、相変わらずへとへとなのを思い出すようにまた眠気が襲ってきた。行先はイーデルム、全てそこについてから。今は眠ってもいいだろう、きっとみんなと一緒なら大丈夫、そんな気がする。瞼が勝手に下がっていくけれど、アリオールさんが横にいるなら安心だ。そして僕はこの人に付いて行く。それ以上のことは無いのだから。

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もたないもののみちゆき 軽佻冗長 @sentanfuhaku123

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