とある吸血姫の半生

安達 明

ロリババア、霧崎リエル(短編)

 永遠……それは私に課せられた呪い。きっとこれからもこの忌まわしき鎖が解かれる事が無いのは長い時を漂って来た経験から絶対なのだと思い知っている。

 絶対……そんなものは現実には存在しないと言いたいのに、それが私の身には当て嵌まらない事も悠久の時の中で思い知らされているのも事実だ。

 そんな悠久の時の中であっても、その人の最後を看取りたいと想えた人物は過去を振り返れば少なからず存在した。だが、そんな想いを言葉にした事は無い。

 そうして来たのは私自身の幼いと云っても良い見た目から来るものだった。

 私の様に世の理から外れた者達はあまり知られていないだけで以外にも多く存在していると云うのは、その永遠に続くであろう時間の中で知った事だった。

 世界は日進月歩で変化しているのに、私だけがその刻の中で肉体の変化が無いまま時代だけは進んで行く。


 産業革命と呼ばれていた貧富の差が顕著に現れはじめた時代、私は日本では無い海外の地方都市でこの刻に取り残される呪いを受けた。

 きっと私の親は今の時代で言えば負け組と呼ばれる存在だったのだろう。物心ついた時には私は路上で生活をするストリートチルドレンと呼ばれる存在になっていた。故に生を授けた存在を私は知らない。

 あの時代は表通りは華やかで栄華を謳歌する者達で溢れていたのも事実だが、同時にその栄華のおこぼれに縋るしか無い存在も同じくらい、否、それよりも多くの存在が居たのを私は知っている。

 そんな中、あの今でも忌まわしい存在として忘れる事の出来ない人物に拾われた。表向きには彼に仕えるメイド見習いとしてだったが、その実は歪んだ欲望の捌け口として都合の良い使い捨ての存在として側に置かれたのだったが、拾われてすぐの年端も行かない幼子の身でそれを察する事なんて出来なかった。華を散らせたのは私がまだ女として蕾にすら届かない年齢の頃。蕾を乱暴にもいだ後もあのペドフィリアは何度も私を欲望の捌け口にし、その行為が随分とお気に入りのようだった。

 アレは歪んだ欲望を抱えており、それを思いのままに私にぶつける事に快感を得ていたが、その様な歪んだ者の方が世間では認められると云う現実も思い知らされた。

 自身の持つ財力と云う札を景気良く切る事でその財を増やし、現在では陰謀論を語られる時には必ずあの変態が属していた家の名前が出る程の巨万の財を築いている状態だ。その家名が【幼命の簒奪者】とは何とも皮肉の効いた話だ。

 私が忌まわしき鎖に縛られたのは蕾として認識される様になった頃。アレの玩具として扱われるようになってから数年が過ぎた頃の事だ。いつもの様に欲望を私の中に吐き出した後、冷たくも鋭く薄い鉄を突き立てられた。

 その突き立てられた鉄から真紅の体液が溢れ出す。この家に正規で仕えている者達から聞いた事がある。精々飽きられない様に生き延びなさいよ、と。どうしようもない痛みを感じながら過去に耳にした言葉を思い出し、アレに飽きられたのだと云うのを悟る。

 だが、その悟りと同時に今まで感じた事の無い怒りと云う名の心の火が燃え上がるのを実感した。自らの流れ出す体液で命が灯火が弱くなるのとは対象的に熱くなった胸から冷たかった刃を抜き、欲望をぶつける事だけしかしか出来なかった輩に自らに突き立てられた物を引き抜き、そして力任せに突き立てる。今までは逆らえばより大きな暴力で抑え付けられるばかりだったが、鋭い鉄を力任せに突き立てただけで何とも呆気なく崩れ落ちた。だが、まだ足りない……私は何度も何度もそれに自身の灯火が消えるまで私の体液で汚れた鋭い鉄を突き立てる。

 そして短いともいえる私の人生は終わってしまった。


 ──終わってしまったはずだった。

 身体全体が痛痒く、それで意識が覚醒する。どうやら私は昨晩本当の意味で肉塊になってしまったアレと共に陽の光に晒され、それ故に痛痒さを感じていたみたいだ。

 昨夜私はあの今では肉塊と化したものに刃を突き立てられ力尽きたハズだ。その箇所を触れて確認するが、陽に晒され乾いた自身の体液と思われるものがこびり付いているだけだった。だが傷らしきものは……

 自身の胸にこびり付いた赤黒い乾いた体液を触れながら部屋の中央で無駄に占拠しているベッドに目をやる。そこには昨晩凌辱の限りを尽くし、今は肉塊となり、動かなくなっているアレを中心としてベッドをその溢れ出した体液で染めていた。だがそれを確認しても何の感情も湧き上がっては来ない。ただ昨晩の出来事が夢などでは無く、現実だったと云うのを再確認するだけだった。

 そもそもアレに飼われはじめてからと云うもの、私自身に感情と云うものはあったのだろうか?

 昨晩の激情とも言える心の変化を感じたのは、ここに連れて来られてからと云うもの、はじめてでは無かっただろうか?

 その一点においてはアレが人としての感情を取り戻せたと云う意味で唯一感謝すべき点なのかもしれない。

 さて、少しの口ごたえしただけでも何度も殴り付けて来たアレの事だ。肉塊にしてしまったとしても、その家の者も同様と思った方が良いだろう。だとしたら私がこの家に留まるのはどう考えても良い状態で無いのは理解できる。幸いにしてアレが欲望を吐き出す為に、身に着けていたワンピースとは赤黒く変色してしまった体液に侵食される事無く、ベッドから離れた場所に放られていた。それを手早く身に着け、金糸で飾られ衣服として用いていた物から貨幣の重さを感じる革袋を抜き取り、飼われていた家から逃げ出したのだった。

 感情を爆発させたであろうか?

 部屋の惨状とは裏腹に私はここに連れて来られてから久方ぶりに気持ちの良い朝を迎えられて気がしていた。


 飼われていた屋敷を抜け出し、華やかな雰囲気を持った表通りとは対象的な治安の悪い裏通りに身を置く事で私はやっと人心地を得る。どれだけお金を持っていたとしても私の本質は変わらない。この薄暗い雰囲気を持ち、気を抜けば明日を迎える事すらままならない不衛生な裏路地こそが私の生きる場所。数年振りに訪れたが、私はそう確信する。

 そんな裏路地で奪ってきた革袋の中身を確認すると、その中には場違いな程の見慣れない銀貨が詰まっていた。そのあまりの銀貨の多さに私は恐ささえ感じる。私が知っている銀貨はこの革袋に入っているものよりも一回り小さく、くすんだものだった。

 流石にこの場で中身全てを広げて確認でもしようものなら、逃げ出した場所に放置してきたあの肉塊と同じ状態になるであろう事は想像できた為、まずは安心して休める場所を探さなければならない。

 これだけの銀貨があれば少なくともしばらくは住むのと食べるのには困らないはずだ。


 あの肉塊と化した男の元から逃げた後に私は孤児院に身を寄せていた。

 奪ったお金を孤児院の職員に見付かってしまったのは失敗だと思ったが、無理矢理奪われたりする事は無く、時たま食料を買う時に援助を求められる程度だった。

 だが、知らないが故に幸せである時間を得られると云う現実。援助を求められた時の少しだけ豪華な食事を孤児院の皆と、笑顔で食べる時間が好きだった。

 だけど実際のそれは誤魔化しに過ぎず、その殆どは職員の懐に消えていた。知る事で、見たくもない現実を叩き付けられる事もり、それ故に排される事もあるのだと。

 私は体良く引取先が決まったからと売春宿の奉公人として孤児院から追い出される事となった。その頃には奪った財布の中身が空になる寸前であったのは振り返ってみれば予定調和だったのだろう。




 そんな体良く孤児院から厄介払いされ、その時ですら名すら持たなかった私に天使を冠するリエルと名付けてくれたのは奉公先である売春宿の姐さんの一人だった。私はその姐さん達に何故かいたく気に入られる事となった。

 そしてその時に姐さん達が世話になっている医師の元で下宿し、その助手として手伝いながら読み書きやそのほか様々な事を学んだ。それは知らないでいる事で得られる幸せと、知る事によって叩き付けられる現実と云うものを。そして随分後になってから知った事だが、私が町医者の元で下宿する様に段取りを取ってくれたのは、この様な場所では幼い子供に性欲を向ける汚い大人も多く、その様な相手をしなくても良い様に私の事を頼み込んでくれたのだった。

 ……だと云うのに、天使として愛でてくれていた姐さん達を本能に抗う事ができずに無惨な姿に変えてしまった。今でも脳裏に鮮明に焼き付いた一八八八年の秋、私が完全に人でなくなったと実感をし、その後に戒めの名を語る素因となった出来事。

 その日、いつもの様に優しく言葉を掛けてくれた姐さんを私は何故か美味しそうと思ってしまった。一度そう感じてしまうと、もうどうしようもなかった。首を振り、思考を奪うような感覚を追い出そうとどれだけ強く思い振り払おうとしても、最終的に抗う事ができず、人ならざる本能のままにその熟れた肉体に喰らいついた。

 喰らい付かれた姐さんは自身の身に起こった事が理解できないと云った体で、しばらく抵抗していたものの、自らの躯体を体液に染めながら崩れ落ちる。抗えない本能に従い貪り付いたそれはなんと芳醇で甘美な味わいなのだろう、体温で程良く溶け出した脂肪がその溢れ出す体液と共に私の口の中を満たす。人として真っ当な生活を過ごすだけでは得る事の出来ない経験をし、欲望の捌け口として飽きた者の命を散らしてきたあの男のしていた意味を大好きだった姐さんを貪る事で理解してしまった。あの男も今の私と同じ様に抗うことの出来ない本能に従い、幼い命を自らの糧にしていたのだろう。だが、そんな人ならざる鬼畜な所業も同類となってしまった今の私なら嫌悪を抱きながらも理解できてしまう。この多幸感はどれだけ言葉を尽くしても言い表す事の出来ない。

 本能に抗う事が出来ず姐さんを貪り、気持ちが落ち着いた時、私は大きな後悔と同時に最後まで美しいままで人に見て貰いたいと云う感情が湧き上がった。

 猟奇──の一言で済ませせしまえばそれまでだが、あの簒奪者を肉塊に変えた時には湧き上がらなかったものが私を突き動かす。姐さんを味わった首筋から腹にナイフを滑らせ、内に隠れていた美しい朱を白日の元に晒していく。そしてその朱をフリーハンドを用いて私の名を表す天使の羽根を描く。体液で描かれたそれは生命の力強さと美しさを見事に表現しており、我ながら渾身の出来といっても良いくらいのものだった。

 その描いた翼に力尽きた姐さんの身体を重ねる。命の根源で描かれた力強い翼とは対象的に輝きを失ってこれから朽ちるのを待つだけの投げ出された身体。そのコントラストが限られた時間の中だけで存在できる芸術品として今完成された。姐さんは最後まで美しいままでいて貰いたい。これは私が奪ってしまった命のせめても贖罪として姐さんにできる最後の贈り物。私は何故かこの時は本能に抗えない糧を得た事で正常な感情とは掛け離れた行動をしていたと後に思うのだが、この時はより美しく姐さんを飾ってあげなくてと云う使命感だけで行動していた。


「なぁリエル、ここ最近世間を騒がしている猟奇殺人を題材に話を書いてみないか?」

 そう問い掛けて来たのは当時下宿先で世話になっている町医者からだった。

 彼は医者をしながら新聞社に小説の投稿もしており、最近はその探偵小説の執筆が忙しいらしく、医者としての活動もままならない状態になっている。書きたいと思える題材は多数あるが、それを週刊連載の新聞小説の執筆に追われてかたちに出来ない状態が続いていた。

 住み込みで様々な事を教えて貰っていた私は今では彼の執筆活動の良きアシスタントであり、同時に師弟の関係に近い状態のものでもあった。私は師である町医者の提案をどうしたものかと思案したのを覚えている。


「原作のアイデアはあるんだ、リエルはそれを自分の言葉で物語にしてみてくれないか?」

 最近街で起こっている猟奇殺人、それらを行ったのは私自身だ。物語として装飾するにしても、それを形にしてしまってはきっとその行いが世間に知られる事となる。あの後、自身の中で湧き上がる衝動に抗う事も出来ず、数度姐さんと同じ様な存在を襲い、そして糧にしてしまっていた。この衝動はあの簒奪者を肉塊に変えた時に受け継がれたものであろう。だがアレの傍に居たからこそ狂乱の衝動が頻繁に起こるのが納得する事が出来ない。少なくとも私が簒奪者の元に居た数年は私と同じ様な扱いを受けていた子達が突然居なくなる様な事は無かった。それから考えればあの狂乱の渇望が私の様に頻繁に起こっていたとは思えない。私もいずれはこの呪われたと云っても良い衝動に抗う事ができる様になるのだろうか?

 罪悪感は……少ないながらもあった。だが餓鬼感をも上回る狂乱じみたあの感覚からは逃れられる事は当時の私では想像すらも出来なかった。

 そして新聞社に出入りしている物書きの耳に入る程、私の行った行為は自分で思っていた以上に世間に知られていた事を町医者から手渡された過去の新聞によって知る事となった。その記事を読み、自身の衝動をどれだけ抑え込めるか全く自信なんてものが無かったが、それを何とかしない事には人の世の中で生活は出来ないのだろうと恐怖に似た感覚を得たのを覚えている。そしてこの町医者の元に下宿をはじめてから数年と云う時間が経過しており、全くといっていい程成長しない私に対しての目も気になる材料のひとつだった。幸いにして町医者の身の回りの手伝いをしてきた賃金もあり、少ないながらもそれなりの手持ちもあった事から私は長年身を置いていたスラムを出ていく事を決めたのだった。




 住み慣れたスラムを出てから少なくとも三〇年以上は経っていた。幸いな事に世の中の情勢は私に味方していた様で、世界のどこを歩いても戦争の機運が高まっていた時期だった。それ故にその世論に反対する様な場所では人死にが出ようと世の中の関心は薄く、以前に居た場所で行った様な死を美しく飾るような色気を出さなければ、あの狂乱の衝動に流される事はあっても騒ぎになる事は無いに等しかった。

 探偵小説を書いていた町医者の本は戦争の機運の高まる中、娯楽全てを制限される国でも多くのファンが存在し、国を跨いで歩いてきた土地でも愛読する人と出会う事があった。私はあの町医者の元を黙って出て来たが、当時提案された猟奇殺人をテーマにした物語を異国の地から送った。その物語は今で云うところの暴露本にあたるのだろうが、犯行者視点から語られる物語は人気作家の秘蔵っ子の書として出版されたのだと云うのを風の噂で聞いた。あの猟奇事件の実行者は私であったハズなのにその犯人像は私とは掛け離れた人物であり、私があの地を去った後も似たような殺人がいくつも起こっていたようだった。それ故に私の独白を綴ったものは物語として受け入れられ、一部の界隈ではそれなりに知られる書となっていたのだった。

 そうやって世界的な戦争が勃発していた時代、私の発作とも言えるあの血への欲求はいくつもの命を糧にする事で次第にその間隔は空くようになり、今では数年に一度起こるかどうかな状態で落ち着いていた。それと血を求めるのは何も人のそれで無くても渇望を抑えられる事を知れた事は死が身近にあった時代に感謝するべきだろう。

 そうやって血と糧を求めながら戦火で死が身近に感じられる地を渡り歩いていくうちに、私が長く身を置いていた地では黄金郷と呼ばれていた島国にまで来てしまっていた。その国は独自の年号を持っており、皇帝が変わる度に新しい年号が定められるらしく、私がその地に降り立ったのは世界的な戦争が一応の落ち着きを取り戻したかに見えた大正一〇年の事だった。

 降り立った地の第一印象は私がかつて過ごして来た産業革命時代にその雰囲気が似通っているものがあるにも関わらず、同時に呪術的な信仰も強く残っており、あの町医者が人生の末期に到達したと言われる心霊主義の雰囲気を持つ独特な土地だった。そういえば彼の探偵小説の中にもこの地を出身としていた登場人物が存在していたっけ……

 きっと彼が実際にこの地を訪れていたなら歓喜に打ち震えていたに違いないだろう。実際に彼が追い求めていた以上の存在がこの国には多数存在していのを知る事になるのはもう少し時代が進んでからの事だった。


 外の国々からは黄金郷と謳われていた日本と云う国に身を置いて置いてから一年程が経った頃、この国にとって大きく動く出来事が起こった。後に五・五一事件と呼ばれる事となるクーデターである。この事件が直接のきっかけになった訳では無いが、日本と云う国が軍国として強く走り出したのはこの出来事があったのは間違いないだろうと云うのが後の見識者達の共通の意見であった。

 私はまたしても歴史の波と云う幸運に乗る事が出来た。戦争と云うものは人のフラストレーションを無限に増大させる営為である。この日本と云う国は外から見れば摩訶不思議な思想を持つ民族であり、隠す事を美徳としながらも同時に個性を開放するのを咎める事もしない。周りと足並みを揃える事を由とするのに個としての尊厳は他の国と比べても大いに尊重されると云う二面性をいくつも内包している扱い辛い国民性を持っていたりする。

 そんなある意味面倒くさい連中にこの国来て一年程の片言でしか会話の出来ない私が激動の時代を生き抜く為には童女である事を売りにするしか無かった。過去にだってその様に扱われていた事もあった訳だし、その事に対しての嫌悪感は無かった。

 ただ私自身を売る事によって驚かされたのが、どの階層の人であろうと他の国と比べると非常に高い知識人が多く、こと物書きにしても娯楽小説を提供する人物と云うよりは思想家や学者といった方が良い人物も存在していたし、何よりも女性の社会進出に目を見張るものがあった。そんな驚かされる国民性ではあったものの、私は文字通り自信を売る事によって、この国での地位を少しずつではあるが、確実に固めていったのである。




「霧崎さん、最近はまた随分と戦争の機運が高まってきましたけれど、お国に帰らなくて大丈夫ですの?」

 そう茶屋で給餌をしている桜色の小粋な着物に身を包んだ女性に問われた、その問いに対し私は曖昧な笑みで誤魔化す。

 昭和一四年、私がこの地に腰を落ち着けて、もう二〇年近くが過ぎていた。当時は何とか片言で喋っていた言葉も今では随分と流暢になり、こうして日常会話するのには困らない程度にはこの地に慣れた。

 そして語り掛けて来た人物は私と同様に人成らざるもの、世間的には妖怪や妖精と呼ばれる類の存在。私が人から変化した存在なら、彼女は自然崇拝から生じた類のもので桜の精霊との事だった。人成らざるものと云う意味では同類である。

 この様な【人成らざるもの】がこの日本と云う国には多く存在し、人社会の中に昔から当たり前の様に存在していた。その事を知った時には私自身大層驚いたが、その驚きも時の流れと共に薄れるもので、今ではすっかりその状況にも慣れてしまっていた。

 あの町医者の晩年は彼女だったり私の様な人成らざるものに心酔し、それらを追い求めていたようだが、そんな彼が実際にこの地に居たとしたらどんな反応を示すのだろう? 今ではこの世を去った人物に思いを馳せる。

 私もそんな人成らざるものたちが普通に生活している日本と云う国にあの町医者と同様かそれ以上に心を惹かれ、数年前に帰化をして今では日本国民として生活をするようになっていた。もちろんそれまで自身は出生さえも分からない身であった訳だから、日本国民となる為に身体を売って繋がりを持つようになった権力者達の力添えがあった事も忘れる事はないだろう。そして日本国民となった際に私は霧崎の姓を名乗るようにした。

 この姓を名乗るのは私が抱えている猟奇的な渇望は今でも極稀に起こったりするが、彼女の様に先駆の人成らざるものたちが身近に居る事によって取れる対処というのもあった。血を欲する渇望は何も人のものに限らず、動物のものでも充分に満足感を得る事ができるのを彼等、先駆の智によって知れたのは僥倖だったと言えよう。それ故にこの国に来てからと云うもの、人を糧にした事は無い。とはいえ私自身が大切に想っていた人を糧とし、その肉体を凌辱に等しい状態で手を加えた過去を消す事はできない。当時の新聞にはその事件の人物を切り裂き魔として報じていた為、私は戒めの意味も含めて霧崎の姓を名乗る事にしたのだった。霧崎リエル、それが人の世を生きる私の名前となったのだ。


 それから更に二年後、日本はアジア諸国の開放と云う名目で第二次世界大戦に参戦する事となった。

 その頃には私はすでに自身の地位を云うものを盤石なものとしており、経済的なものも含め安定した生活をおくれるようになっていた。とはいえ見た目が西洋人であり、少女といっても過言でない程の容姿をした私への世間の風当たりは良いものでは無い。

 自身が人で無いのも含めて容認してくれる人物も相当数にはなったが、それでも日本人らしからぬ容姿の私は外に出る事も少なくなり、屋内で身を隠すように生活する事が多くなった。

 そんな身を隠すような生活をしていても日に日に人々生活が厳しくなっていくのを感じながら私は何ができるのだろうと思案する日々を過ごしていた。幸いにして私個人だけでいえば食べる事に関してだけは困る事は無かった。だが数年前に比べて外を歩く人々の活力は衰え、子供たちからは笑顔が見られる事は少なくなっていた。

 子供たちの笑顔が陰るのも仕方のない事なのかもしれない。元々日本は資源の少ないと言われていた国であり、先の大戦の参加も資源確保故の領土拡大の為だった。領土拡大に成功したものの本国との間には海で隔てられており、大陸で得た資材や食料を本土に輸送するには時間差も生じ、戦時中ともなれば戦線にそれらの物資を送るのが優先され、本土に住まう国民にそれらが行き渡るのは戦火が長引けば長引く程難しくなってしまったのだった。

 大戦に参戦を表明してから三年も過ぎた頃には大陸からの物資は完全に絶たれ、かつては豊かさを謳歌していた昭和初期の頃と比べるとその当時と同じとは思えない程に各地は荒れ果てたものとなっていたのだった。更に追い打ちをかけるように日本各地の大都市に爆撃が行われるなど、大陸からの物資もままならないのに国内の流通さえも破壊され、これが決定打となり日本は敗戦する事となった。

 結局この戦争でアジアの多くの国は日本の参戦宣言通りに西洋圏からの脱却を図る事はできたが、その宣言を行った日本は大きな打撃を受ける事となり、戦前はあれだけ輝く笑顔を振り撒いていた子供たちの姿はなくなり、変りに空腹で膝を抱えた暗い表情の者達を年齢に関係なくそこかしこで見る事となった。その姿はかつて裏路地で空腹で身を抱えていた自身と重なり、気持ちが重くなる。そんな覇気の無い人々の様子を見て真っ先に思い浮かんだのがそんな彼等を少しで何かをしたいと云う想いは強くなったのだった。


 さて、その想いを形にするにあたって自身が持っている資金力があまりにも弱いと云う現実を突き付けられた。私個人が生きていくだけなら困らないだけのものを持っているのだが、より多くの者達を救いたいと思うならそんな端金では全く役にたたないのを突き付けられていた。

 なので私はその個人資産を増やすべくまずは闇市で市場で不足している食料品の供給からはじめたのだった。

 闇市に物資を供給するのは過去に築いた人脈を利用する事でそれ程困難な事では無かった。だが私を悩ませたのは食料品を市場に流す事よりもソレを扱う人についてだった。私自身が積極的に人と関わる事をしてこなかったこその弊害なのだが、それらを捌く人材の確保に苦労する事となっていたのだ。はじめの頃は私自身が髪を染めて売り捌いていたのだが所詮は個人で賄える程度なんて精々で、人手はあっと云う間に足りなくなる。それだけでは無く、この忌まわしい姿のせいで大人たちから何度も搾取される事となり、思った以上に物事は進まないでいた。

 大人に暴力で採取される存在と云うのは私だけでは無く同じ様な存在は他にも多数存在し、私達は自然と徒党を組むようになり、何故か私はその集団のまとめ役として頼られる様になっていた。まぁ、子供の姿ではあるものの、この世に生を受けてからすでに一三〇年以上も過ごして来た婆さんであるのも確かだから、生を受けてたかだか十数年程度の子供たちの面倒を見るのも吝かでも無いと思ってしまったのもまた事実だった。

 私の元に集った子供たちは戦争で親を失った戦災孤児と呼ばれる者達であり、彼等は自然と我が家で生活する様になっていた。私は孤児たちと生活していく中で、生きてきて知り得た知識を与えた。子供達と共に時間を過ごしていた時にはあの抗えない血への渇望はなりを棲ませており、大切と思える人を手に掛ける事は無くなっていた。長い時間一緒に生活する中で私の姿だけは変わらずに他の子達は立派な大人に成長し、私の呪われた血について秘密を抱えたまま巣立っていったのだった。私は呪いと称していたが時間を共にした子供たちは祝福だと称えてくれた。子供たちのその想いだけが闇市で商売をして良かったと思える出来事だったと断言できる。




「りえるチャン、今日は何して遊ぶ?」

「お義母さん、いつも息子が御迷惑おかけします」

 子供達と闇市を通して生活を共にしてから更に三〇年程、後に高度成長期と呼ばれる時代、当時の子供達は皆立派になり、会社を立ち上げ経営する者、土地売買で立身する者、家庭を築き次代に生を残した者、彼等とは血の繋がりも無く、年々その私の姿から乖離するものの、どの子も私の可愛い息子や娘であると胸を張る事ができる。今ではその子らに私は支えられる事も多く、人との繋がりの有り難さを感じられる。

 声を掛けて来たのは闇市で時間を共に過ごした娘の子であり、久しぶりに人里離れた地にまで母親と共に足を運んでくれていたのだった。しかしこんな山奥に隠れ住んでいる永遠を生きるに等しい化け物に会いに来るなんてこの親子は何と物好きな事であろうか。そんな思いを抱きつつも私は連れて来られた男の子と共に一日中野山を駆け回って過ごしたのだった。その後も男の子は母親の存在に関係なく何が気に入ったのか毎年足繁く私の元に通い、その度に数日の間野山に篭って私との時間を楽しんでいた。

 大戦が終わり、焼け野原と化した都会も国際的な祭典を前に大いに盛り上がり、日本は凄まじい速度で復興を果たした頃、毎年私の元を訪ねて来た幼子も少年と呼べるくらいには成長ていた。その頃には私が何年経とうとも顔を合わせた当時とほとんど変わる事が無い事に疑問を持ちつつも、少年の母が何故お義母さんと呼ぶのかも納得はせずとも理解はしていたようだった。

 聞けば少年は経済的に結構恵まれているようで、この時代には珍しく大学まで一貫の学園に通っているとの事だった。だが少年はその環境に馴染めず、夏休みを利用して田舎の自然と私に会いに来る事を楽しみに日々の時間を過ごしているのだという。私はそんな少年の身の上を黙って聞く事しか出来なかった。永く生きているのは確かだが、私自身に学がある訳では無い。あるのはその悠久とも取れる時間の中で人の歪んだ欲望を受け止める事で形成した権力と云う繋がりと、激動の時代で経験した事でしか理解できないつまらない存在でしかない。

 それから数年、少年はしばらく私の元に訪れる事は無かったが、親の説得も聞かずに学園を辞めて銀幕俳優として活動していると少年の母親から聞く事となった。少年が学園を辞めた後の事までは聞いてはいなかったが、野性味を感じられる容姿を持った少年は確かに銀幕映えすると言えなくも無い。元気にしているならまぁ良いと訪ねて来なくなって少し寂しさを感じながらも時たま訪ねて来る闇市時代に世話した子達の相手をしながら過ごしていた。

 日本は国際的なスポーツの祭典を成功させ、それらの特需によって人々の生活は見違えて豊かになり、私の元にもテレビジョンなる機械が世話した子から送られ、外界から遮断されていた生活をする私でも世の中の色々を足を伸ばす事無く知る事ができるようになった。時の中に置き去りにされた私からしたら文明の発達と云うのは目覚ましいものであり、同時に驚かされるものでもあるが、知らないが故に得られていた幸せがあるのだと改めて感じさせられる出来事があった。それはテレビジョンの中で放送されていたニュースのひとコマであるが、英国の資産家が目覚ましい発展をする日本を視察する為に来日したと云うものだった。そこに映し出された資産家はかつて私に呪いを与え、肉塊にしたはずのあの男であり、当時のほぼ変わらない姿が映し出されていた。それを見て私が抱いたものは大いなる疑問、そして得体の知れない恐怖。あれとの関係を断ったのはすでに一世紀半以上も前の事ではあるが、あの時に確実に肉塊にしたはずだ。故にテレビジョンの画面にあれが映し出されている現実を受け止める事が出来なかった。だが大物投資家の訪日を歓迎するニュースは報じられているのは現実であり、その映像も忌まわしき記憶の中にあるそのままの姿を映し出していた。

 私自身、当時は童女といっても良い姿であったが、流石に一世紀以上も経つとその姿は少女のそれへと亀の歩みの様な遅さながら成長はしていた。それ故にあの男が私を見掛ける事はあってもすぐに気付く事は無いだろうが、アレの興味を持つ対象であるのは間違いないだろう。それを理解しているが故にどうしても身構えてしまうのであった。


「世界には不可思議な存在って沢山存在するんだろ?」

 そう尋ねて来たのは幼い頃に足繁く通ってきてたかつての少年であり、銀幕俳優から身を引き、実業家としての活動が主となった人物だった。その質問に私自身の存在もそうだと答えると、立派な大人と云う年齢になったのにその瞳はかつて野山を駆け回っていた頃の眩しいくらいに輝いていた瞳を向けて言葉を続けた。


「なら、一緒にそう云う存在に会いに行かないか?」

 冒険心と言って良いのだろう、その期待を込めた瞳でかつての少年は私に問い掛けて来る。付き合いのある精霊から聞くところによると日本は特にその様な存在が多く集まる土地との事であるが、日本だけが特別なのでは無く他の国でも人成らざるものはそれなりに存在している。ただ日本の様に生活まで共にしていると云うのは奇異な状態で、それら怪異と呼ばれる存在は人とは距離を置いて隠れ住んでいるのが普通である。なので私は気が乗ったら付き合うと曖昧に返事をしておいた。だがその返答が彼には肯定と捉えられ、それからの行動は早かった。なまじ実業家と成功していた事もあり、彼の行動を咎める経済的生涯は存在せず、世界に散らばる不可思議な存在の情報を集め、話を持って来た翌年には再度私を誘いに来たのだった。

 私自身もそうだが、ある一定以上の資産を得ると不思議な事にそれらが減る事が無くなる。とある人物はお金と云うのは寂しがり屋で、多く集まる場所にお金自身が惹かれるなんて皮肉を言っていた人もいたっけ。そんな彼の行動力に呆れながらも成長してもその中身は少年のままであった事に嬉しさを覚えた事もあり、冒険に付き合う事にしたのだった。

 私を流石実業家と言われるだけの事はあると驚かせたのは、この不可思議な存在に会いに行く冒険をフィルムに収め放送局に売り込んだ事だった。それら不可思議な存在は公には存在しない事になっているので、一部に過剰な演出を加えたり、詳細を濁す事でその存在が本当に有るのかどうか濁したままの演出にする事でエンターテイメントとして仕上げたのだった。

 彼が売り込んだフィルムは世間で大いに受けて約一〇年の間におおよそ五〇箇所を冒険し、その全てに私も突き合わされた。このおかげで私は世界中に人成らざるもの達と新たな交流を持つ機会を得る事ができ、独りで生きていただけでは得られない経験もおおいにさせてもらった。

 そして得難い経験をさせてもらったのは冒険を繰り返す彼だけに限らず、かつて戦後に世話をした子やその子孫たちからも同様であり、私は自身も含め周りは生涯で使い切れない程の富が集まっていた。




「まだまだ見て歩きたい場所は一杯あったのになぁ……リエルさんと行けないのは残念だ」

 だが楽しかった冒険の日々は永遠には届かず、忙しくも無茶が祟ったせいかまだ初老と呼ぶには早い頃に彼は病院のベッドでその身を預けて弱々しく嘆く。彼がエンターテイメントとして残した冒険の数々は今後も証跡として語り継がれる事は間違いないだろう。


「私はこれからも永い時間を生きねばならん。一緒に冒険する事は出来ないが、あの世やらを案内できる様に色々と見てまわって待っておればよかろう」

 私はベッドの脇で彼の手を優しく握りながらそう応える。


「それは良いな、余りにも待つ時間が長かったなら生まれ直してまた一緒にあちこち行くのも良いかもな」

 うっすらと笑みを浮かべながら静かに返し、彼はそのまま眠る様に新たな旅立ちをしたのだった。


「早ぅかえって来るのじゃぞ、馬鹿孫……」

 昭和と云う変革の時代にそのその身の存在を示した相手に私は多少嫉妬心を抱きながらも最後の言葉を贈る。血の繋がりは無くとも孫として扱っていた者を看取った私はこの先もいくつもの命を看取る事になるだろう。大戦から復興し、その過程で私と共に時間を過ごした者達の多くは大成し、私自身も永遠に等しいこれからの時間も含めて困る事の無い程の資産を手に入れている。産業革命時代に華やかな表通りから隠れるように生きていたあの頃からは想像も出来なかった生活をしているが、私はこれからもあの当時の私の様な人に手を差し伸べながら生きて行くのだろう。今はそれを出来るだけの資産が潤沢にあるのだから。だが、その資産に溺れてはあの【幼命の簒奪者】と呼ばれるアレと同様になってしまう。大戦時には日本の敵国であり、現在は同盟国となった国には【大地の子】と呼ばれる大富豪の資産家が存在するらしい。この国に来てから縁を繋いでいる仲の良い怪異によればその存在もまた人成らざる者か、それに関係の深い者だろうとの事だ。それらがこれから先、どう関わって来るか分からない以上、私もそれに対抗するだけの物を持たねばならない。

 親しい者の旅立ちに立会い、頬には熱さを帯びる一滴が頬を伝ったが、それが看取る事の悲しさからか、限られた生への羨望によるものなのか永い時間の中で見付けるしか無いのを自覚するのだった。

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とある吸血姫の半生 安達 明 @Bansankan

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