地上400mの死体

れんぞれんぞ

「地上400mの死体」

「通報された山田さんですか?」

私は、通報した山田だ。登山好きの友人から誕生日プレゼントに登山道具一式をもらったので、仕事の夏休みに白滝山に来ていた。普段は探偵として生計を立てていて運動不足なのだが、白滝山はその友人が初心者にもおすすめだと言ってくれたので選んだ。久しぶりの大自然を前にして非常に満足していた。青々とした木々に、チョロチョロと流れる小川に、度々見られる滝も絶景だった。赤色のウインドブレーカーは少々自然と合わない気がするが、友人の好意にケチをつけるのはダメだ。初心者におすすめということもあって、山道はさほど急ではなかった。だからこそ、景色に誘われて山道から少し外れていたのが運の尽き。私は死体を発見してしまい警察に通報する運びとなったのだ。

「そうです、私が山田です」

警察の男は一見すると細身ではあるものの、太くなった首からは屈強な肉体を彷彿とさせた。ギロリと大きな目で見られたので、私はつい目を逸らしていた。

「発見したのはいつ頃でしたっけ?」

逸らした目を追うようにして、警察の男は顔を覗き込んできた。

「30分ほど前です。最近の警察はすごいですね、こんなに早く来てくれるとは思いませんでしたよ」

今度は目を見つめながら答えた。

「そうですか、包丁で一刺し。なかなか手慣れた犯行だな」

「え、他殺ってことですか?てっきり事故かなって思ったんですけど」

「いやあ、詳しくは調査しないとわからないですが、他殺だと思いますよ。この腹部の切り傷は刃物によるもので間違いはない。しかもこの辺に刃物が落ちてないってことは自殺でもない。他殺でしょうね、これは」

「怖いな、自分が襲われていたらと思うと」

「そうですね。ところで、山道から少し離れていると思いますけど、どうしてこっちまで来たんですか?」

「いえ、特に理由はないんですが」

「そうですか」

警察の男は冷静な声とは裏腹に、食い入るように尻尾でも掴むかのように凝視してきた。

「失礼ですが、職業は?」

「探偵をしています」

「ほう、では専門家じゃないですか。ぜひ名推理のひとつでも教えてほしいものですね」

「そんなことはできませんよ、外傷が刃物かどうかさえわからないんですから。私はもっぱら浮気調査ばかりしていますからね、殺人事件なんてのはコナンにでも任せてくださいよ」

「そうですかそうですか、これは失礼しました。儲かるものなんですか、浮気調査というのは」

私は顎に手をあて、思い出すふりをしながら首を横に振った。

「依頼自体は多いですが、儲かりはしませんね」

「依頼は多いんですね。いや、それは意外だ。結婚する人も少なくなっているし、なんでもオンラインになっているのに、いつの時代も男というのはダメなもんですね」

「いえいえ、浮気するのは男性ばかりじゃないですよ。男性も女性も性的マイノリティーの依頼だって受けるんですから。いつの時代も人間はダメですよ」

警察の男はケラケラと笑った。死体を前になかなか能天気なものだ。

「でも大変な仕事じゃないですか?浮気調査なんてなかなか感謝もされないでしょう?」

「それがされるんですよ意外とね」

「ほう、それはどういう時なんですか?」

「相手がしっかり浮気していた時ですよ。証拠を見せると皆さん笑顔になって帰ります」

「それはまた気分の悪い話だね。もともとは最愛の人だったのに、その人の罪を喜ぶだなんて」

今度は私がケラケラ笑ってみせた。警察の男は眉をひそめて、顔で続きを話すよう催促してきた。

「探偵に浮気調査を依頼してくる人っていうのはね、どういう人だと思います?浮気を疑っている人?それとも人を信じられない人?どちらも違います。簡単ですよ、もう確信している人なんです。確信して、気持ちを整理して、戦う覚悟を持った人だけが来るんですよ。疑っているくらいじゃあ来ませんよ。そこにはもう最愛の人の面影なんてありません。あるのは一日でも早く敵を倒してやろうという破滅的な感情だけです」

警察の男は天を見て、ため息をついていた。自分にも当てはまる経験でもあるのだろうかと、つい探偵心が発作を起こしたが胸に手をあて、なだめた。

「ところで、忘れていましたが。この死体を見てみると、どうも死後そんなに時間は経っていないようなんです。犯人はまだこの辺りにいるか、下山してもそう遠くへは行っていないでしょう。他の登山者とか見ていませんか?」

「いえ、見ていませんね」

「そうですか、でも不思議ですね。さすがに、殺した後に山頂まで登るなんてことしないでしょう。犯人は山に登りに来たんじゃなくて、人を殺しに来たわけですからね。すぐに下山するなら、やはり山道を通っていくはずですから、山田さんとすれ違っていてもおかしくはないのですがね」

私はゴクリと唾を飲み込んだ。

「すれ違っていませんね、もしかしたら犯人はまだこの辺にいて、私たちのことでも見ているのでは?」

「いえいえ、それはないでしょう。犯人は現場に戻ってくるなんて言いますが、いくら隠れる場所の多い山でも近くにいたら容疑者になるリスクが高すぎますよ。まあそれでいうと山田さんが犯人だったというなら納得できますが」

私は全身から妙な汗が出てきたが、それを悟られるまいと口角を上げてみせた。

「私は違いますよ、この人もまったく知らない人ですしね」

「殺人をする奴には2通りの人間がいるんですよ。人間関係で殺人をする奴と、完全犯罪に自信があって殺す奴です。山田さんなら完全犯罪できそうだなと私は思うんですがね」

「できませんよ、そもそも私が犯人だったら警察に通報しないでしょう?」

「警察に通報すれば、後で容疑者リストに上がるよりマシでしょうからね」

「凶器はどうしたんです?私はずっとここにいましたよ」

「そんなのは近くの川にでも流せばいいでしょう。そういえば、一年前にここで同じような殺人事件があったんですよ。調査は今もされているのですが、もうどうしようもないですね。八方塞がりだった。唯一ある目撃証言は真っ赤な服を着ていたと。そう、今の山田さんみたいな服だったんでしょうね。犯人は現場に戻ってくるとはよく言ったものですよ、山田さん」

「知りませんよ、私じゃない」

「ええ、そうかもしれませんね。でも念のため署までお願いします」

ここで断ったらいよいよ怪しくなってしまう。私は観念して、警察署まで行くことにした。

「わかりましたよ、犯人ではありませんが行きます」

「ご同行ありがとうございます。ではこれもまた念のため、緩くですから手錠かけさせてもらいますね。もし犯人だったら私の命が危ないですから」

「疑わしきは罰せずでは?」

「手錠は罰ではありませんよ、ただの不自由です。さあ、後ろに手を回してください」

私は警察の男に背を向ける形で、両手を差し出した。

「いやあ、いつの時代も人間はダメですね」

警察の男が耳元でそう囁くと、腹部に強烈な痛みが走った。腹部を見ると赤色になった包丁の先端が貫通していた。

「いやあ、私も完全犯罪に自信があったんですがね、まさか警察が殺人犯なんて思わないでしょう?」

私は声にならない「う」とか「あ」とかを言っていた。

「いやあ、さすがに警察がすごいと言っても、30分で登山はできませんよ」

私は地面に倒れながらなんとか最後の力で警察の男の方を見た。そこには私の返り血で赤色に染まった警察の男が、包丁片手にギロリと大きな目で見つめていた。

「いやあ、あなたは証拠を見ても笑顔にはならないんですね」

警察の男は天を仰いでいた。破滅的な感情でも開放するように。

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地上400mの死体 れんぞれんぞ @RenzoRenzo

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