第3話 潜む者たち
昼間のロンドンは、積もる雪を景観に取り込み、沈着な雰囲気を漂わせる。しかし、それも人が居なければの話だ。ヨーロッパでも有数のゴシック風の建物を並ばせる大都市は、どんな時も人々の雑踏で溢れていた。
そんな中、可憐な少女が3人。1人は桜色の髪をたなびかせ、1人は寡黙に佇む銀髪少女。最後の1人は、自信満々に胸を反り返らせる金髪碧眼の少女である。
「改めて思うけど、性格変わりすぎじゃない?」
「このシルクハットがあれば、私は泣き虫のリンじゃなくて、有名マジシャンのリン・エフォードだからね!」
「思い込みの力ってすごいねぇ…ねぇルゥ?」
「…(コクリ)」
先ほどまではおどおどしていたはずのリンは、シルクハットを頭に飾った瞬間、自信に満ち溢れた笑顔を振り撒くようになった。
まるで二重人格。驚きに近い感嘆が私を襲う。私もドジじゃないと思い込めば、失敗しなくなるかな?
「じゃあ、2人とも! 今日はよろしくね!」
「ま、あんま期待しないでね?」
「…!(右手を上に勢いよく掲げる)」
珍しく、ルゥもやる気満々だ。その白銀の髪をキラキラとたなびかせながら、活力を全身で表現している。まぁそれでも、顔に張り付いた表情のない仮面は剥がされることはないのだが。
しかしそんな彼女をみていると、俄然私もやる気が湧いてきた。軽く両の頬を叩き、仕事モードに入る。
今の私は、世界的大スターのアシスタントA。
(ちなみにルゥがB)
「それじゃ、いくか!」
「はいはーい、ちゅうもーく!」
小柄な体躯のどこから出ているのかわからないくらいのハキハキとした声量で、リンは響く雑踏の音を小さくする。何人かが足を止めてしまった。
立ち止まった人にぶつかってまた1人。さらにぶつかってまた1人。そうして、彼女が声を大きくしただけでもう、彼女のステージは完成してしまった。ものすごい影響力だ。
「みんなー! 今から天才マジシャンのリンちゃんがー! ここでゲリラショーしちゃうよー! 見逃し厳禁! さぁさぁ! はっじまっるよー!」
そういうと、リンはシルクハットを掴み、空に投げ上げる。観客がシルクハットに目を取られてしまった。これでもう、彼女のトリックからは逃げられない。
シルクハットはしばらくクルクルと宙に舞ったのち、誰もいない道端に舞い落ちた。誤解しないで欲しいのが、そこにはさっきまでいたはずのリンがいないと言うことだ。
一斉に観客が響めき始める。すると、軽快な笑い声と共に、観客の背から可愛らしく、一切の悪意のない嘲笑が投げつけられた。
「あはは!みんな、どっち向いてるの?僕はこっちだよー!」
観客が一斉に振り返ると、そこには尖った八重歯を覗かせてケラケラと笑うリン。そのすぐ後に、拍手喝采が彼女に送られる。
「さてさて!早速マジック…と行きたいけど、今日はみんなに新しいメンバーを紹介しちゃうよー!」
今一度、観客が響めきに包まれる。
聞き慣れた声を振り切りながら,私たちは舞台に上がる準備をする。今から私たちは、彼女を見上げる存在ではなく、隣で彼女を抱え上げなくてはならないのだ。
「しょーかいするね!今日からアシスタントをしてもらう、サッキーとエルちゃんでーす!」
「どうもー。」
「…(ぺこり)」
控えめなルゥのお辞儀とは反対に、会場からは驚きの声が鳴り響く。ここまでは、私たちが予想していた通り。
私は正直、楽観視していたのだろう。適当にこなせば、優しい観客は快く迎えてくれるはずだと思い込んでいた。
だから、観客から懐疑の眼差しが向けられたと分かった時、ひどく心が打ち付けられる気がした。
「誰?」
「急に出てきたんだけど。」
「サッキーって…ダサくない?」
「そう? 普通じゃない?」
「あの銀髪の子かわいいね?」
「仮面とってみせてー!」
などなど…なかなかに辛辣な意見も飛び交っているようだ。それらもそうだろう。彼らがみたいのは、私たちみたいな脇役ではなく、光り輝くスターなのだから。
ちなみに、正体を隠すために、私たちは仮面をつけてある。私が白で、ルゥが黒。私も黒が良かったのだが、ルゥに譲ってあげた。
「むむ、みんな、あんまり酷いこと言っちゃいけないよ!彼女たちも私に負けず劣らず凄いんだからね!」
結局、リンのフォローでこの場は乗り切ったが、問題はここからだ。
このショーで私たちの立場を確かなものにしないことには、リンを助けるなんて、夢のまた夢だろう。
「皆様。まずは快い歓迎をありがとうございます。」
私は精一杯の皮肉を込めて、観客に謝辞を垂らす。案の定、滑稽な私の言動に、彼らからクスクスと嘲りが聞こえてきた。
これでいい。
「私たちはただのスタッフですから、どうぞ我々のことは空気のように扱ってください。」
「…(こくり)」
私は思い直す。この場での私たちは主人公でもなんでもない。ただの脇役だ。リンという主役をさらに際立たせる滑稽なピエロを演じる必要がある。
なんとなくじゃ務まらない。時に滑稽に、時に惨めに。目の前の金髪の少女の輝きを際立たせる、最高の影にならないといけない。
大衆だって人間だ。彼女が嫌いな人間も一定層いるし、突然のショーに辟易している人だっている。
そんな彼らの不満を、私たちが受け止める。要は、最悪のヒールを演じるのだ。
「じゃあみんな!新しいメンバーも加わったことだし!マジックショー、はじめちゃうよー!」
少しだけ悪くなりかけた空気をリンが一蹴する。さらに注目がリンに集まった。
作戦は上々。あとは心地よく彼女がショーをこなすのを手伝うだけだ。
「さぁさぁ、瞬き禁止のマジックショー、開演だよ!」
圧巻のマジックショーは瞬く間に観客を魅了し、時の流れを加速させた。
気づけば、私とルゥに向けられていた嫌な目線は無くなり、代わりにリンがその視線を釘付けにしている。
カリスマ、とでも言うべきその所業には、誰でも憧れを感じてしまうだろう。
「さぁさ、名残惜しいけど次が最後のマジックだよ!」
楽しいマジックショーも、どうやら幕引きらしい。彼女が夢の終わりを仄めかすと、観客からは残念そうな声が響いてくる。
「あはは! 今日はありがとう! 最後のマジックも、楽しんでって!」
そういうや否や、彼女は観客の前から忽然と姿を消してしまう。私たちも含め、辺りの人々が彼女の行方を探したが、全く見当たらない。
「ど、どこ行ったの、あの子! ルゥは見つけた!?」
「…!(首を横に振る)」
暫くの間、リンは現れかった。辺りは騒然とし始める。
(聞いてないよ、リン…!)
私たちは彼女からある程度マジックの流れを聞いている。つまるところ、私たちにも今の状況は想定外なのだ。
注目を集めていた存在が急にいなくなる。そうなれば、次に向く視線は、私たちの方だ。
「おい、どうなってんだよ、アシスタント!」
「まさかあんた達…」
「ご、誤解だってば!」
懐疑の目が私たちに集まりかけたその時。
「お待たせ〜! みんな、上にちゅうもーく!」
大衆の皆が聞き慣れた彼女の声が、天高くから降り注ぐ。一斉に空を見上げると、そこには空飛ぶ彼女がいた。
いや、空飛ぶ彼女が、「沢山」いた。
「は!? おいおい、リンがたくさんいるぞ!どうなってんだ!?」
「そっくりさん…? いやでも、それにしても似過ぎだし…?」
「あっはは!やっぱすげぇな!リン・エフォード!」
観客達が一斉に沸き立つ。
空には無数のリン・エフォードが、布を広げて空を滑空する姿がある。この布で滑空するマジックは、彼女が得意なものの一つ。見事な体捌きで空を舞う彼女に、咲は思わず見惚れてしまう。
いや、少し語弊があるだろうか。彼女が本当に見惚れていたのは、彼女の芸の方だった。
(……ムササビの術、まさか現実で見るとはね。)
忍術、というのは元来地味なものである。
例えば火遁の術、これは諸々を省いて言えば、ボヤを焚いて騒ぎを起こし、その隙に敵城から逃げるという術である。フィクションでよくある口から炎を噴き出すのは大道芸の部類で、忍ぶ彼らにはむしろ必要のないものだ。
ムササビの術も例外ではない。そもそも風呂敷一つで人が宙に浮くこと自体ありえないのだ。
それでも、そんな当たり前のことを理解していても、柳原咲という少女は感動せずにはいられないのだ。
何故なら、初めて自身とルゥ以外が披露した、日本文化そのものなのだから。
彼女は深く感動を噛み締める。沸き立つ観客とは対照的に、目を潤ませる少女と、その袖を静かに握る銀髪の幼女がいたらしい。
桜と雪が舞う夜に かるら @RebiRa0727
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