第二話 リン・エフォード
午後8時。
夜のロンドンは、陽に照らされていた時とは違い、どこか神聖な祭壇のような雰囲気を醸し出していた。
そんな街を私とルゥは暗躍する。
目的はマジシャン、リン・エフォードの捕獲及び拉致。
依頼主からの情報によれば、この時間、リンは毎日欠かさずと言っていいほどある場所に訪れるらしい。私たちはそこに向かっている。
しかし、人を拉致するのなんて本当にいつぶりだろうか。気絶させた人を運ぶ時、私は改めて人間を持っているんだな、と毎回思うんだ。
…うん、そうしよう。少し考えて私は決める。帰ったら、今後は拉致や誘拐の類の依頼は断らせてもらおう。断る時の言い訳は…まぁあとで考えるか。
今後のことも考えつつ、私たちは目的地へと向かっていった。
大きな噴水のある広場についた。
「いた。」
「…(コクリ)」
確かに、リン・エフォードがいた。昼間の時とは違い、可愛らしい服装で、ぼーっと噴水の頂点を見つめていた。手に何か写真のようなものを持っているが、よく見えない。まぁ、関係ないか。
「じゃあ、作戦通りに。」
「…(コクリ)」
私たちは二手に分かれて作戦に移った。
私はなるべく警戒されないように、座っているリンに近づく。
「ねぇ、もしかして…リン・エフォードさん?」
「へ…?あぁ、はい。そうですけど…」
「やった!本物だ!サインもらってもいいですか!?」
「い、いいですよ。」
「やった!じゃあこれにお願いします!」
私は彼女のファンを演じる。まぁ実際、彼女のマジックは素晴らしかった。このサイン入りの色紙は大事に取っておこう。
私たちの作戦は、私が彼女と会話して気を引いている間にルゥが背後に静かに近づき、私の合図と共に彼女を手刀で気絶させる。その後、麻袋に彼女を詰めて運び、そのまま依頼主が用意してくれたジェット機に乗って帰国する手筈になっている。
まぁ、広場の周りには誰もいないし、多少雑にやっても成功しそうだが、念には念をってやつだ。
ルゥが静かに寄ってくれているのを尻目に確認して、彼女との会話に専念する。
「ちなみに、どうしてこんなところに?そろそろ夜も冷えてきましたし、お帰りにならないのですか?」
「は、はい。そうなんですけど…ここは、『私たち』の大事な場所なので…」
なんだか、昼間の彼女とは大違いだ。弱々しく、頼りない。あの自信満々で大仰な態度のマジシャンとは似ても似つかない。本当に本人なのだろうか。そんな疑いまで出てきた。
もちろん、顔は新聞に載っていた彼女そのものだったので、すぐに疑いは晴れたのだが、もう一つの単語が気になった。
「『私たち』?」
「はい…ここは、私とアレクシスが、たくさんマジックを披露したところなんです…」
「アレクシス…?」
聞いたことのない名前だ。それに、情報だと、リンはソロのマジシャンで、コンビで活動していたと言う話は聞いていないのだが…
しかし、関係のないことか。ちょうどルゥが配置についたらしく、私に準備完了の合図を出していた。私はルゥに合図をする前に、最後にその顔を拝むつもりで彼女の顔を一瞥する。
本当に、昼間の時とは大違いだ。弱々しく、儚げを感じる。まるで生まれたての赤子のようだった。
その姿を、過去の私に重ねてしまう。誰からも助けてもらえず、日々を食い繋ぐのに必死だったあの頃を。彼女からは私と同じような悲壮感を感じた。
私は、一つ予定を変えることにした。ルゥに待機の合図を送る。そして、彼女が座っているベンチの空いているところに座る。
「その話、詳しく聞かせてくれないかな?見ず知らずの私でよければ。」
「…!!いいんですか…?」
「うん。聞かせて。」
私は彼女と話をすることにした。もしかしたら、弱みを握れるかもしれないからだ。
そうすれば、それで脅して無駄な苦労をしなくて済む。人間が気を失って脱力した体を見なくて済む。そう言う打算的な行動だ。うん。決して他意はない。
心のうちに、誰に対してか自分でもわからない言い訳をして、私は彼女の話に耳を傾けるのだった。
「アレクシスは、私の幼馴染で…本当に、いつも一緒って言っていいくらい、ずっと二人でいました。」
「仲良しだったんだね。」
「はい。私は、彼にたくさん助けられて生きていたんです。」
「助けられてっていうと?」
「私、昔っからドジで。何してもうまくいかなくて。かけっこもビリばかりだし、勉強だって良くて中の下。音痴だし、とろいからよくこけちゃうんです…」
「へ、へぇ〜?」
なんか聞いたことある話だなぁ…はぁ。自己嫌悪だ。
「でもそんな時、決まってアレクシスは笑わせてくれるんです。」
「『かけっこの順位はビリでも、ラストの頑張りはリンが一位だったな』って。」
「『この問題解けたのか!?すげーなリン!』って。」
「『リンは意外と低い歌声がカッコいいんだよな』って。」
「…いい子だね。」
「はい。本当に助けられてばっかりでした。」
本当にいい子だ。私に取ってのジークさんのように、彼女はアレクシスという子が支えていたのだろう。
「ある日、なんでかは忘れちゃいましたけど、私が泣いている時に、アレクシスがマジックを披露してくれたんです。本当に、簡単なやつですが。」
「それでも、私はびっくりして泣き止んでしまいました。これが私のマジックとの出会いです。」
「へぇー、そういう経緯だったんだね。」
「はい。マジックに興味を持った私は、アレクシスと一緒にいろんなマジックをやってみることにしました。」
アレクシス。きっと、彼女の原動力は彼なんだろう。私にとってのルゥのように。
「それからたくさん練習をして、いろんなマジックができるようになりました。そんな時、アレクシスに誘われたんです。『広場に行って、一緒にマジックを見てもらわないか?』って。」
「それの提案に乗ったんだね。」
「最初は断りました。でも思ったんです。このままじゃ、情けない自分のままだって。だから、思い切って飛び込んでみました。」
知らない世界に飛び込むのは相当勇気のいることだ。ましてや他人の目に触れるようなものなら尚更だ。私は彼女の選択に尊敬を禁じ得ない。
「もちろん、子供がするような幼稚なマジックですし、今みたいに奇抜なマジックというわけでもないので、ほとんどの人が私たちのことを無視してました。」
「けれど、アレクシスの助けもあって、私はマジックをやり切りました。気がついたら、目の前に5歳くらいの子供がいて。それで、ちゃっちゃな手で拍手をしてくれたんです。」
「私、本当に感動しちゃって。思わず泣きながらその場にへたれ込んじゃいました。やってよかったな、頑張ってよかったなって。そう思ったんです。」
「それからも、私たちは定期的にここでマジックをしました。少しずつ観客も増えて、ちょっとした公演になってました。でも。」
刹那、リンの表情が暗く沈む。
「私が『コレ』を拾ってから、全てがうまくいかなくなったんです。」
私が『コレ』を拾ったのは、だいたい半年前でした。気分転換に、郊外にあるアルカスの木の下でランチでも食べようかなと思い、そこへ向かったんです。
だけど、その日はなんだかいつもと違いました。珍しく誰もいなくて、当時はラッキーなんて思ったりもしました。でも、今になって考えれば、少し薄気味悪い感じだった気がします。まるでアルカスが私を引き寄せてるみたいな、そんな感じでした。
そんな違和感に気づかずに、私が木の下に行くと、普段なら落ちないはずのアルカスの『枝』がそこに落ちていたんです。
「わぁ。珍しいなぁ。アルカスの枝なんて。」
不思議に思いつつも、私は『枝』を拾ってみました。珍しかったので、つい好奇心が勝ってしまったんです。
手に取った瞬間、知らない情報がたくさん入ってきました。それは、ニホンという国の、ニンジャというスパイのような人達に関わる情報でした。
「え…!こわい!」
最初は急に流れてくる情報が怖くて、手放したくなったのですが、固定されているかのように『枝』は手から離れなかったんです。結局、私は話そうとするのをやめました。
その後、私は突然得たその情報を、いや、記憶と言った方がいいかもしれません。その記憶を目を閉じて反芻してみました。まるで曲芸師のようにアクロバティックに動く様。ニンジュツという、まるで魔術のような技。それらを見て、私は思いつくんです。
コレをマジックに活かせないだろうかって。
私は急いでアレクシスの家に向かいました。そして、彼にこのことを教えたんです。だけど。
「リン。それはマジックじゃない。」
「え…?」
いつもは私を肯定してくれるアレクシスが、初めて私を否定したんです。
なんで?と思いました。当時の公演はマンネリ化してきて、観客も減り始めてました。だから、この記憶を活かして、観客に驚いてもらうチャンスだと思ったんです。
でも、何度私が説得しても、アレクシスは私のマジックを認めてくれませんでした。
私たちは、この時からすれ違うようになってしまったんです。広場での公演も、二人で別々に行うようになってしまいました。
そして、1ヶ月後、事件が起きます。
いつもの公演時間より少し遅れて到着すると、なんだか広場の中が騒がしかったんです。
「何かあったんですか…?」
「あ!あんた、あの子の友達だろ!?マジシャンの男の子の!」
「アレクシス?アレクシスがどうかしたんですか?」
「あの子、突然苦しそうに胸を抱えて、倒れちまったんだ!」
「え…!?」
これは後で検査して分かったことなんですが、元々アレクシスは心臓病を患っていたみたいなんです。今までは発作も起きず、成長と共に完治したと考えられていたそうです。
その発作が、今になって起こってしまったのでした。
私はすぐにアレクシスに駆け寄りました。その時のアレクシスは、苦しそうな顔のまま、息をしていませんでした。心停止もしており、このままでは死んでしまう状態でした。
「アレクシス!しっかりして!アレクシス!」
「…」
返事はありませんでした。すると、大人たちが私をどかして、何かし始めました。今思えば、蘇生法を施していたのでしょうが、混乱していた私には、アレクシスをさらに苦しめようとしているように見えてしまいました。
「やめて!アレクシス!アレクシス!!」
「嬢ちゃん!落ち着いて!」
「やだぁ!はなして!アレクシス!」
何度も私は、羽交い締めにしている男に抵抗しますが、敵うわけもなく、先に私の方が力尽きてしまいました。
そこからは、記憶が曖昧です。
「私が間違ってたんです。私が譲歩しておけば、アレクシスの異変にもっと早く気づけたんです。」
「…」
私は驚く。『桜の枝』がこんなところで見つかるなんて思ってなかった。彼女には警戒しないといけないが、どうにも敵には思えない。
とりあえず、私はそのまま彼女の吐露に付き合うことにした。
「幸いなのは、そこまで難病、と言うわけではないことでしょうか。手術すればかなりの確率で助かるらしいんです。でも、最新の医療機械を用いるので、手術費がかなりの額でかかるらしくて。誰も払えないんです。」
「アレクシスの両親とかはいないの?」
「アレクシスは幼い頃に両親を亡くしてて、今は親戚が保護者になっているんですけど、その親戚は一切治療費を出さないと言うんです。」
「ひどい保護者だね。全く。」
「幸い、入院費は私の親が出してくれました。幼い頃から娘仲良くしていたアレクシスは我が子も同然だから、と2人は言っていました。」
「だけど、流石に2人も手術費は払えなくて。今のアレクシスは病院で擬似心臓を用いて延命措置している状態です。」
「けど、それも限度があります。だから。」
リンがベンチから立ち上がる。手に持っていた、リンと知らない同い年くらいの男性が写った写真を、夜空に浮かんだ月に重ねる。
その後、抱きしめるように写真を胸に埋めた後、私を振り返って宣言した。
「だから、私はたくさんマジックをして、お金を稼いで、アレクシスの治療代を稼ぐんです。」
なるほど、彼女のマジックの根幹はそこにあったのか。大切な友人を守るため。それが彼女がマジックを披露する理由。
「良かったらそれ、私にも手伝わせてよ。」
気づいたら声に出していた。彼女の境遇が、あまりにも私に、ルゥを守る私に似過ぎていて。
まぁ、依頼主にはどうにか誤魔化して、また後日飛行機を出してもらおう。飛行機に乗る時に依頼が達成されていないかもしれないが。
「え…?いいんですか…?」
「ぜひ。」
「ありがとう…ござい…ます…!」
彼女は泣き始めてしまう。慌てて私は宥める。
しかし、私もまだまだだなぁ。あれだけターゲットには感情移入しないようにしてたのに、このザマだ。またジークさんに稽古をつけてもらおうかな。
でも今は。今だけは。彼女が幸せになって欲しい。その思いでいっぱいだった。
こうして私は、ほんの30分前までは思っていなかった方向に足を進めることになったのだった。
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