プロローグ

 待ち合わせ場所は喫茶店だった。

 からん、とベルの音を鳴らして店内に入ると「こっちですこっち」と呼ばれる。

 そちらに視線を向けると、四人掛けの席を確保して真澄が待っていた。


「あれ?」


 真澄は、入ってきたのがクロアだけなのを見て、訝しげな顔をして言う。


「アカハちゃんは?」

「あいつちょっと遅れます。別の取材が立て込んでて」

「大人気ですねー、彼女。いえ――」


 と、真澄は目の前に置かれたクリームソーダを一口飲んでから告げる。


「――気鋭のエース『レッド・ロード』と呼ぶべきでしょうか?」

「どちらでも」


 と答えつつ、クロアは真澄の前に座る。店員さんに「なんか、こう、甘いコーヒーで」と注文したところ「こちらは如何でしょう?」とおすすめされたものをそのまま頼んだ。生クリームの載ったコーヒーだった。

 真澄の姿を改めて見て、告げる。


「……いつもと雰囲気違いますね」


 いつものスーツ姿ではなかった。


 水色のブラウスに紺のスカート。

 普段よりヒールの高い靴。

 胸元には――青色のリボン。


 そうでしょうそうでしょう、と真澄は満足げに頷く。


「今日は少し気合入れてます」

「デートですか?」

「気になります?」

「ちょっとだけ」

「可愛いこと言ってくれますね」


 そう言って、身を乗り出してクロアの頭を撫でようとする真澄に。


「俺は」


 と、クロアは言った。


「もう、子供じゃないです」


 ぴたり、と真澄は手を止めて。


「……そうですね」


 と、真澄は言って手を引っ込めた。


「何か、聞きたいことがあるのでは?」

「真澄さんは」


 と、クロアは言った。


「どうしてエースになったんですか?」

「……」


 真澄は黙ったまま、じっ、とこちらを見てクロアが続きを言うのを待った。

 だから、クロアは続きを言った。


「最強のエースであり続けるのってどんな気持ちですか――『ブルー・スコープ』」


 しばしの沈黙。

 それから。


「……あーあー」


 真澄は言った。


「ばれちゃいました」

「……否定しないんですね」

「薄々勘付かれてる気はしてたんですよね。君、心とか読んでそうですし」


 と真澄は平然と言って、クロアは危うく心臓が止まりそうになった。


「……確信したのは、私と戦ったときですね?」


 その通りだった。


「燃料カートリッジを増やすって話」

「ええ――あれ、教えたの真澄さんだけでですね」

「でも、実際にはカートリッジを減らしてましたよね。クロア君」

「ええ」


 と、クロアは言う。


「だからこそ――あのときのドッグファイトで、俺は貴方に競り勝てた」

「酷いです。騙し討ちなんて」

「お互い様でしょう。最強のエースが、記者を隠れ蓑にして情報集めですか」

「そりゃあ、貴方の教え子と違って、私はただの凡人ですからね」


 十五年間最強であり続けたエースが、当たり前のことのように言った。


「だからそれくらいしないと、勝てませんよ」

「……凡人」

「私からすれば君だって天才ですよ? クロア君?」

「俺が?」

「だって、たかだか二年ばかしエースやってただけの君に、十五年最強張ってるこの私が追い詰められかけたんですよ。ちょっと騙し討ちを食らった程度のことで」

「……」

「それに――

「……」

「正直、私は羨ましくてたまらないです。君のことも、あのお嬢様のことも、もちろん――あの赤い子のことだって羨ましくて――すごく、妬ましいです」

「……」

「だから、私は負けません」


 と、真澄は言う。


「負けてなんて、あげません」


 最強のエースは言う。


「……こんなところですかね。『ブルー・スコープ』の気持ちは」

「……そりゃどうも」

「がっかりしました?」

「いえ」


 と、クロアは言う。


「貴方は正真正銘、最強のエースですよ。真澄さん」


 真澄が笑った。

 最強のエースが、笑った。


「私がエースになったのは」


 と、真澄が話し始める。


「ちょうどあの子と同じ十四歳のときでした。

 当時の私には本当に何もありませんでした。

 天才でもなかったし。美少女でもなかった。

 そんな私にハルカが、居場所をくれました。

 だから私はハルカのことが今でも好きです」


 でも、と真澄は続けた。


「ハルカにとっては、私はただの道具なのかもしれませんね――私を倒せるような『何か』を見つけるための」


 ちょうどそのタイミングで、店員さんがコーヒーを運んできた。

 生クリームがたっぷりと乗っているコーヒーだった。

 気まずい沈黙が流れて。


「そう……あの頃は十四歳だったんですよね私。信じられません……」

「落ち着いて下さい」

「落ち着けるわけないでしょう!? 十四歳ですよ!?」

「……つまり、本当に美少女エースだったと。昔の『ブルー・スコープ』は」

「やですね。だから、私は美少女なんかじゃなかったんですって。お尻は綺麗でしたけど。昔は後に万年ランク二位になるおじさんによくチラ見されてたもんです」

「すみません。ランク二位の風評被害まき散らすのやめてくれませんか?」

「いやいやいやいや――あの人、今でこそ紳士気取ってますけどね。昔は、そりゃもうやんちゃな人だったんですよ。まったく、私のこともずっと待たせっきりで――」

「え、何です? もしかしてそういう関係なんですか?」

「気になります?」

「めっちゃ」

「ないしょ」

「それ絶対そういう関係ってことですよね!」

 

 ふっふーん、などと一しきり楽しそうに笑ってから。

 真澄は不意に真顔になっていった。


「ATFが始まった当時、十四歳の女の子をエースに担ぎ上げて参戦させることは、間違いなく非難の的になってたはずです――だから、私は正体不明のエースになった。そうならざるを得なかった。


 でもそれから、十五年。


 今ではもう、何もかもが変わってます。ちょっと変わってるだけの普通の男の子が、盲目の女の子が、そして当時の私と同じ十四歳の、私と違って天才で美少女な子がエースになっても誰も何も言いません。だから――私たちのやっていることは、やっぱり戦争なんです」


 戦争なんです、と。

 真澄は繰り返した。


「ずっと昔の戦争の話ですが、この島国は、子どもを戦闘機に乗せて自爆攻撃に送り出したそうですよ。みんなで万歳をしながら。それが素晴らしいことだと信じて」


 まあ今の時代じゃなくても狂ってますよね、と真澄は言う。


「それと同じです」


 と、真澄は言った。


「狂ったことが、いつの間にか、違う何かにすり替わっている――それが戦争です。例え戦争で人が死ななくなっても変わらない。変わらないんです。だから――」


 告げる。


「――だから君は、戻ってくるべきではありませんでした」


 ああ、とそこでようやくクロアは気づく――この人は怒っているんだな、と。


「クロアくん――いえ、道角クロア」


 と、真澄はクロアの名前を呼んだ。

 睨んだ。


「貴方は一人の女の子を戦場に送り出した――人が死なない『だけ』の戦争に」

「……」

「ですから貴方も」


 と、そこで一転して笑顔になって、真澄はこう言った。


「私やハルカと一緒に地獄へ落ちます――絶対に」


 からんからん、と。

 入口のベルの音が鳴った。


「――ごめんなさい!」


 と、言いながら息を切らせて飛び込んできたのはアカハで、さすがにジャージというわけにはいかなかったのか、格好は例の臙脂のブレザー姿。ぺたんぺたん、と赤いサンダルを鳴らしながらこちらにやってくる。


「遅れてしまって――」


 と、言いかけたアカハに「いえいえ、大丈夫です」と真澄は首を振って見せ「ね」とクロアに同意を求めてくる。クロアは黙って頷いた。


「では、まずはアカハさん。私からまず一つ――」


 それから。

 最強のエースは言った。

 最新のエースに言った。

 笑顔で。


「――私たちの戦争へ、ようこそ」

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エース・ザ・フリークショー 高橋てるひと @teruhitosyosetu

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