天竺町のテンジク様

柊木てん

第1話 コンビニと神様

 ――今日はとても疲れた。

 休日、都心まで出て友達と会った帰りの電車でそんなことを思う。充実した疲れではなく、神経をすり減らした心の疲労感であった。

 彼女とは長い付き合いで、お互い社会人になってからも一年に何度かは必ず会う仲だ。それ故に気心も知れているし、この子にしか話せないということも多い。だから今日は積もり積もった悩みをきいてもらおうと色々頭の中でシミュレーションをしていった。もちろん、相手の話を聞く心の用意も十分にしてあった。いつものように。

 電車が止まり、扉の横にある手動ドアのボタンを押して乗客が降りてゆく。この沿線を使う人々にとっては当たり前の光景だが、都会ではこのような扉は少ないらしい。たまに乗ってきた観光らしき人が、駅に着いたのにドアが開かずきょとんとしているのを何度か見かけたことがある。代わりにボタンを押してやると、まるで見知らぬ国のシステムに触れたかのようにほお、という顔をするので、ふふんという気分になる。

 この駅で降りるのは私が最後のようだったので、素早く閉ボタンを押して外へ出た。夏は冷気が、冬は暖房が逃げないようにこうして降りるのが暗黙のルールとなっている。生ぬるい風がじっとりと肌にまとわりついた。もうこんな時間なのだから、もう少し涼しくなっていてもいいのにと思いながら改札を通る。

「あれ? マナじゃん、久しぶり~!」

 駅前に若い女の子特有の甲高い声が響く。ついそちらを振り向くと、やはり大学生らしき女性が二人、互いにわっと走り寄るところであった。

「久しぶりじゃん! 元気だった?」

「元気元気! そっちは?」

 既視感のあるやりとりに胸がずんと重くなる。ひらりとした短いスカートを揺らし、きゃいきゃいと話す彼女たちを視界から外して歩くスピードを速めた。

 ――元気? ってきかれたら、なかなか「元気じゃない」とは言えないよね……。

 

 駅前の広場を抜けて大きな通りに出る。自宅に帰るには遠回りだが、少し寄り道がしたかった。それに、普段のルートは人通りが少なく、仕事帰りの夜以外はあまり歩きたくない。対してこちらの道は人の姿もちらほら見えるし、道路は車のライトでいっぱいで安心感がある。

 信号が変わって動き出した車の風を受けながら足を動かす。靡く髪は軽やかだが頭皮はべたついているのが分かって、暑いけれど湯船にゆっくり浸かりたい気分だった。熱い湯で、したい話の十分の一もできなかったもやもやを溶かしてしまいたかった。

 いつもなら食事をしながら悩みのひとつやふたつ、互いに話すものだが、彼女は最近仕事も私生活も充実しているらしく、とても幸せそうで暗い話など切り出せなかった。下がりそうになる口角に力を入れて、よかったね、すごいねと言うことしかできなかった。

 シャッターの降りた店や民家を通り過ぎると、やたらに広い駐車場の奥にぽっかりと明るい光が見えてくる。二十四時間営業、手軽で気軽、最近やや値段が上がってきたものの、それでもつい寄ってしまう、みんな大好きコンビニエンスストア。

 ――気分転換にちょっといいアイスでも買って帰るかな。

 街灯に引き寄せられる蛾のように、ふらふらと入口に向かって歩いていく。

 一台も止まっていない駐車場を横切り、自動ドアの前に立った時、傘立ての影にぼんやりと白い物が見えた。

「あ、テンジク様」

 大きなぬいぐるみのようにも見えるそれは、耳を僅かに動かし、きゅっきゅっと鳴きながら辺りを見回している。

 テンジク様はこの街の神様……だと言われている。左右に垂れた小さな耳、まんまる真っ黒な大きな目。丸くふっくらした体は白い毛で覆われており、手や足は毛に隠れていつもよく見えない。大きさは大人のコアラくらいあるだろうか。初めて見た人はよく「思ったよりも大きい」と言うらしい。

 夜も出てくるんだ、と思って近づいたら、黒い瞳に私が映った。ちょろちょろと歩いてきて、開いた自動ドアをくぐって店内に入って行く。自分じゃ自動ドアが開けられないから、誰か人が来るのを待っていたのかもしれない。

 いらっしゃいませとバイトから声をかけられ、堂々とレジ前を通って行くふわふわの後ろ姿を横目に雑誌コーナーを覗きに行く。特に読みたいものがあるわけではなかったが、後ろからついていってテンジク様の邪魔になってもいけない。一応神様だし。幸い店内は空いているのでゆっくりと物色できるだろう。何の目的で入店したのか不明だが。

 店の大きさと比例するようにスペースを取っている陳列ラックから適当に目についた雑誌を手に取りぱらぱらと捲る。流行りの服やメイク、人気のカフェの情報が鮮やかな写真と共に脳内に入ってくる。気になるところだけ摘んで読んでいる間、いらっしゃいませとありがとうございましたの声が何度も店内を飛び交う。

 ――……そろそろいいか。

 十分ほどそうしていただろうか。最後の星座占いまで目を通してから(特に良くも悪くもなかった)ラックに商品を戻し、この店に来た一番の目的であるアイス売り場へ向かう。店内はクーラーがかなり効いていてもうアイスという気分でもないが、家に帰ったら買っておけばよかったと思うに違いないので腕をさすりながら冷凍ショーケースの中を覗く。先にアイスを選んでいた客が、ソーダ味の棒付きアイスを引き抜いて去っていく。

 期間限定の高級アイスか、好きでいつも買っているモナカの新商品か。それぞれ手に取って迷っていると、不意にサンダルから出た足先にもふもふした毛が触れた。

「そっち、がいい」

「えっ」

 南部風鈴のような、心地よく澄んだ声に振り返ると、もう帰られたかと思っていたテンジク様が小さな体を伸ばして黒々とした瞳を私の手元に向けている。

 ――テンジク様って、本当にしゃべるんだ……。

 噂には聞いていたが、実際に話しかけられるのは初めてだった。店内にはコンビニ特有のラジオ風の宣伝が流れており、なんだか不思議な気分である。

 小さな神様はふわふわな毛の中から丸い手をにゅっと出し、左右を見比べてから右の手を振って、

「こっち、がいい」

 ともう一度仰られた。

「あ……よかったら召し上がられますか?」

 私の言葉にきゅきゅ、と小さく動物らしい鳴き声をあげ、伸びていた体が縮まる。少し傾げるようにして、まだ手に持ったアイスを見ていたが、やがて、

「いい。また、こんど」

 と言ってレジの方へ去っていった。またいらっしゃいませ、と声がする。

 ――自分が欲しいんじゃなかったの?

 両手にアイスを持ったまま首を傾げる。右手は高級アイスの方である。既に誰かから〝お供え〟してもらって、美味しかったから勧めてくれたのだろうか。もう一度ふたつのアイスを見比べて、折角なのでテンジク様が示した方を買うことに決めた。

 私が入店した時は寂しいくらいにがらんとしていたのに、いつの間にか客が増えていてレジは二、三人並んでいる。アイスが手の熱で溶けないように袋の端っこを持って待っていると、さくさくと客が捌かれてすぐに自分の番がきた。

「いらっしゃいませー」

 店員が流れ作業で挨拶を口にして、カウンターに置いたアイスのバーコードを読み取る。タッチパネルでICカード決済を選んで定期入れをかざすと、いつもの効果音の他にファンファーレのような音楽が流れて、ひとつしか買っていないのにやたらと長いレシートが吐き出された。

「あ、それ当たりですね」

「当たり?」

「うち、今キャンペーンやってて、商品を買うとたまに当たりが出るんです。ちょっといいですか」

 引き抜いたレシートを店員に渡す。どうやらそこに当たった品物が書かれているらしい。

「えーっと、入浴剤ですね。今引き換えることもできますし、引き換え期間内ならいつでもお渡しできますがどうしましょう」

「あ、じゃあ今お願いします」

 かしこまりましたー、と店員が一度バックヤードに引っ込み、すぐに小さな箱を持って戻ってきた。

「袋、有料になっちゃいますけど」

「エコバッグあるので大丈夫です。ありがとう」

 斜め掛けの鞄から小さく折りたたんだエコバックを取り出し、ささっとアイスと入浴剤を入れて出口に向かって歩き出す。その間にも入店する客がいて、店内はなんだか賑わっている。ふと空いている方のレジを見ると「レジ休止中」の札の隣でテンジク様が置物のように佇んでいた。


 家に帰ってからすぐにアイスを冷凍庫に放り込み、湯舟に湯を溜める。入浴剤は粉末タイプのもので、ハーブ系の香りが三種類入っているようだ。

「丁度ゆっくりしたい気分だったから、ラッキーだったなぁ」

 早速箱から取り出してどれにしようか考えていると、電車を降りた時のもやもやした気分が幾分ましになっていることに気がついた。

 よくよく考えれば大したことではない。どうしても聞いてほしい悩みならば直接でなくとも、メッセージアプリや電話でいつでも話せる。きちんと相談すればちゃんときいてくれる子なのだ。そんなことより今はお風呂に入れる入浴剤のことと、その後で待っているアイスへの関心が心を占めていた。

 幸せな話に水を差さなくてよかった、と思う。もし会った時に「元気?」ときかれて「元気じゃない」と答えていたら、彼女はあんなに楽しそうな顔はしなかっただろう。

 ――珍しくテンジク様にも会えたことだし……。

 コンビニで出会った白くてかわいい、小さな神様のことを思い出す。この街に住んでいても、目にする機会は少ない。よく商店街の方をうろちょろしているらしいが、今晩はあんな場所に、一体何をしに現れたのだろう?

「もしかして私に〝当たり〟を教えるために来てくれたのかな、なんて」

 ふっと笑って入浴剤の箱からラベンダーの香りの袋を取り出す。そろそろお湯も溜まってきた頃だろう。

 今日一日、よく頑張った。湯船に浸かって凝り固まった神経をリラックスさせ、自分へのご褒美にアイスを食べよう。そしてその後「今日は楽しかった、ありがとう」とメッセージを送ろう。

 重かった胸の内はどこへやら、私は足取り軽く浴室へ向かった。

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