第5話 星と神様
十二月。天竺町では駅前の木が煌びやかに飾り付けられ、商店街では小規模ではあるがイルミネーションが始まって一年で一番夜が賑やかな時期だ。
そんな町にある小さな公園で、女が一人、空になった缶ビールをかつんとベンチに叩きつけた。
「だからね~私ほんと、何にもできないんだよね。役立たずってマジで私のことっていうか、私のための言葉じゃない? って思うくらいぴったりなわけ」
綾乃はくしゃりと缶を潰すとコンビニの袋から今度はチューハイの缶を取り出す。袋の中には既にへしゃげた缶が何本か入っていたが、躊躇うことなくプルタブを開けた。そして縁に口をつけようとしてふと動きが止める。
「ごめんごめん、私ばっかり飲んでても悪いよね。えーっとどれがいいかな」
チューハイを片手に持ったまま袋を漁る女の隣には白くてふわふわした、垂れ耳で尾が長いぬいぐるみのような生き物がおつまみのピーナッツをカリポリと齧っている。
この犬でも猫でもない不思議な生き物はテンジク様と呼ばれる、この町の小さな神様である。あまり人前に出ることは無いが、時々戯れに姿を見せては食べ物を〝お供え〟してもらったり、行事に勝手に参加したり、時々悪戯を仕掛けたりする。基本的にはここに住む人々の生活を見守る存在……だと思われている。
「ごめんビールしかないや。っていうかテンジク様ってお酒飲めるんだっけ」
「のめる」
長い毛の奥からにゅっと両手を伸ばして缶を受け取ろうとしたので、綾乃は自分のを一旦足の間に挟んでタブを開けてから渡してやった。テンジク様はすんすんと匂いを嗅いでから、側からみればこぼれるのではと心配に思うほど一気にそれを傾けた。しかし酒は溢れることなくごくごくとテンジク様の喉を通り過ぎていく。
「おーいい飲みっぷり!」
その様子を見て綾乃も酒を煽る。既に大量のアルコールを取り込んだ綾乃の身体はその動作だけでふらついた。
「今日もバイト先でお皿割っちゃったしさぁ。あっ当然初めてじゃないからね? しかも一枚ならまだしも四枚も一気に落としちゃって。こんなことある? 店長はまた綾乃かしょうがないなーって感じだったけど、もう呆れて怒る気にもなれないんだよあれ」
はあ〜とアルコール臭いため息を吐き、そのまま流れるように足の間に首を垂れて動かなくなった。
「……ほんとにヤダ。ほんとに……」
「だいじょぶ?」
テンジク様は広げられたおつまみの袋を避けながら綾乃に近付き、もふもふの手を太ももの上に置く。その瞬間バネのように上半身が起き上がった。
「だからさぁ~! 私が死んだらせめてみんな笑ってほしいわけ。いい奴だったな、面白い奴だったなってね! 分かってくれる? って、ありゃ」
振り向いた先のテンジク様はさっきの衝撃でピーナッツの上に倒れ込んでいた。ごめんごめん、といいながら意外と重いその体を起こし、散乱したピーナッツを手で払って地面にまき散らす。
「ごめんねぇほんと、いっつもこんなだからさ私」
ふるりと身を震わせたテンジク様は長い尻尾を自分の体に巻き付け、ゆったりと綾乃を見上げた。
「なんで、ほしになるの、まつ?」
「……なに? 星?」
頷く代わりにもう一度ゆっくりと瞬きをする。
「みんな、わらってくれる。ここにいるあいだも」
テンジク様の鈴のような澄んだ声が、冬の透明な空気を伝って綾乃の鼓膜を震わせた。
「……そう、かな……そう思ってもらえるかな、だってずっとダメなままで生きてきたのに……」
黒く大きな瞳に自信なさげな女の顔が映っている。それは綾乃が一番嫌いで、だけど本当は一番愛したい人だった。
「だいじょぶ」
涙で視界が揺らぐ。街灯に照らされたテンジク様が白く、大きく輝いて見える。
「ちゃんと、ひかってる」
ふわふわしたものが手に触れたと思ったその時、強い風に吹かれてレジ袋がベンチから落ちた。中に入っている空き缶は凹んでいるため転がっていきはしないが、いくつかが袋から飛び出して虚しい音を立てた。
「わーまたやっちゃったよ」
覚束無い足取りで立ち上がり、ひとつずつ缶を袋へ戻していく。その途中でひとつ、へしゃげていないビールの缶がころころと転がって、綾乃のスニーカーにこつんと当たった。
「あっいたいた! アヤさーん! お疲れ様ですー!」
冬の夜の寂しい公園に明るい声が響く。
「……ハナちゃん?」
大きく手を振って走ってくるのは先月店に入ったばかりのバイト、大学生のハナだった。
「私と入れ替わりに店を出る時のアヤさんがあんまり落ち込んでたから気になって。先輩方に聞いたら時々ここでお酒飲んでるのを見かけるって教えてもらったんで、シフト終わってから探しに来ちゃいました!」
見つかってよかったぁと白い息をほわりと吐き出した彼女は明るく笑った。
「えっ、うそ、見られてたの?」
「はい! それはもうこの世の終わりのような顔してらして……」
「そ、そうじゃなくてっ! いやそれもだけど!」
この公園で行う一人反省会を職場の人に知られていたことを知り、さっきまでの酔いもどこかへ吹き飛んでしまった。
「あーもー恥ずかしい……」
手に持ったままのビール缶をくしゃっと握り、ビニール袋へ放り込む。肩を落としたまま公園のゴミ箱にそれを捨てに行くと、後ろからついてきたハナが綾乃の顔を覗き込んだ。
「ところでアヤさん、なんであんなに落ち込んでたんですか?」
「……知らないの? お皿いっぱい落としたこと」
「聞きました! 豪快に割ったって、みんな笑ってましたよ!」
「え~やだぁー……次どんな顔してみんなと会えばいいの……もう仕事行きたくない……」
両手で顔を覆ってしゃがみこんだ綾乃を見てハナは不思議そうに首を傾げる。
「えっなんで? 別にいいじゃないですかいつも通りにしてれば」
「いやだめでしょ普通に……」
「だってアヤさんのシフトの時、めちゃくちゃ忙しかったんでしょ? お皿はそりゃ、割らないほうがいいですけど、わざとやったわけじゃないし。それにアヤさんはいつも一生懸命だってことみんな知ってますもん! ミスしても他人のせいにせずに素直に謝るし」
「……ほんとにそう思ってる?」
「はい! 私だったらつい、店の通路が狭いせいとか、注文がいっぱい入って焦ってたからとか言い訳したくなります! っていうかすると思います今後!」
元気いっぱいに宣言する後輩に「そこは胸を張るとこじゃないでしょ」と苦笑する。でもその清々しさはもやもやした胸に快かった。
「私はそうやって失敗から目を逸らしちゃうから、アヤさんみたいにちゃんと認めて反省会できる人のこと、尊敬します!」
綾乃はしばらくそのままの体勢でいたが、やがて指と指の間からちらりとハナの方を見上げた。
「なんか……最近の若い子って結構ストレートなのね……」
「あーっ! アヤさん、もしかしなくても照れてます?」
「照れてる。けど嬉しい」
「もう~嬉しいならそんなとこにしゃがみ込んでないで、どっかあったかいとこ行きましょ!」
そう言ってハナは綾乃の腕を引っ張って立ち上がらせた。歩き出してからも繋いだままのその手は、まるでカイロのようにあたたかかった。
「そういえばさっきまでテンジク様と一緒だったの。いつの間にか行っちゃったけど」
商店街にあるコーヒーチェーン店で向かい合いながら、綾乃はふと思い出したように言った。公園を出る前に振り返って見たが、ベンチには誰も座っておらず、置きっぱなしだったおつまみの袋も、散乱したはずのピーナッツすらなくなっていた。
「えっテンジク様と飲んでたんですか? めっちゃラッキーじゃないですか! 確かテンジク様って商売繁盛の神様とも言われてるんですよね?」
じゃあきっと明日もまたお店が忙しくなりますねぇと綾乃の奢りで頼んだラージサイズのキャラメルラテに口をつける。たっぷりのホイップを髭のように鼻の下にくっつけて幸せそうだ。
「……ハナちゃんさ、私のこといい人だと思う?」
「もちろん! お店の人も常連さんもそう思ってるはずですよ。だっていつもアヤさんの話してるし」
「えっそうなの?!」
「知らなかったんですか? まだ入ってそんなに経ってない私が知ってるほどですもん、めっちゃ人気者ですよ!」
「うそ……」
綾乃の脳裏に店長や同僚、常連の顔が浮かぶ。思い出すのは優しい表情ばかりだった。
――ちゃんと、ひかってる。
テンジク様の言葉がこだまする。
――いつも失敗にばかり目を向けてたけど、そのせいでもっと大事なことを見逃してたかもしれない。
「……ね、ケーキも食べる?」
「わぁっ! 私、あの期間限定のやつがいいです!」
流れ星を見た時のように瞳を煌めかせるかわいい後輩に、綾乃は目を細めて立ち上がった。
天竺町のテンジク様 柊木てん @hirgten
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。天竺町のテンジク様の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます