第25話 レナという男

 「ああ……来ちゃったじゃないですか。どうするんですかこれ」

 「なんのためにお前を連れてきたと思ってんだよ、いけ」


 レナは吐き捨て、追い払うように腕を払う。ため息をついたリリアは瞬間、跳ねるように駆け出した。そして数メートル離れたところに立つエリスに向かって一気に間合いを詰めて鋭く切り込む。エリスは刀を左手で持った鞘に収めながら”そうこなくちゃ”とでも言いたげに不遜に首を傾けた。その体が前方に倒れ出すと思えば、次の瞬間エリスは地面を力強く蹴っていた。前傾姿勢をとりつつも刀を鞘に収めて右膝を曲げる。

 お互いに間合いをつめ、刀が届く範囲に入ったその刹那。エリスは抜刀する。目にも止まらぬ速さだ。大抵の場合はこれで終わる、はずだった。

 

 リリアはフッと息を吐くとわずかに片手剣の刀身が刀を弾く。リリアは瞬きもせずにじっとエリスの刀を見て一瞬を見極めていた。そして息をつく暇も与えずエリスの腕目掛けて振り下ろされる。エリスは咄嗟に後ずさるが避けきれず左腕が裂け、血が垂れた。痛みに歯を食い縛る。だが致命傷ではない。

 傷の具合を確かめる隙を与えず、リリアはさらに剣を振り下ろしてくる。

 リリアの剣はやや湾曲している。片刃で身幅の広くて重い、断ち切り用の片手剣だ。そして、その上段から振り下ろす初太刀は速くて重い。刀で受けるべきではないと判断したエリスは地面を蹴り付けて大きく跳ね上へ回避する。

 跳躍し木の幹に飛び乗って上の優位をとったエリスは脂汗を浮かべつつも、ふと視線を上げて「あいつ……」と声を漏らした。視界から子供を抱えて逃げるレナの姿が見えたからだ。咄嗟に追いかけようとするが、それを阻止しようと跳躍してきたのがリリアだ。


 「悪いけど、行かせないから」


 エリスは舌打ちをこぼした。そして体を捻るように回してリリアの顔目掛けて強く蹴り付ける。エリスはブーツに鉄板を仕込んでおいて良かったと思った。「グッ」とかいう声を漏らしてリリアは地面に落下する。その隙を見逃すほどエリスはお人好しではない。エリスはそのまま上から切り掛かった。狙うは心臓ただ一つ。リリアは上から刀を振り下ろして迫るエリスを視界に入れると鼻血を出したまま目を見開いて横に転がり避ける。そして転がるように立ち上がると距離をとって体勢を整えた。ここで止めをさせれば良かったのだが、……エリスはリリアが体勢を整える間に地面に刺さった刀を抜いた。リリアは荒い息をしながらもぼやく。


 「もう最悪。こんな仕事わりに合わないでしょ。金払いが良くなきゃやめてる」


 鼻血を拭いながらも、その目はギラギラと闘志が燃え盛っているのがわかる。逃げるつもりも、降参するつもりもなさそうだ。

 なかなか楽しめそうな予感に、エリスは笑った。唇を舐めて機嫌が良さそうに笑みを浮かべている。リリアはうげっと顔を顰めた。


 「戦闘狂とか勘弁してよ、きもっ……」

 「言ってろ」


 エリスは吐き捨てると走り出した。お互いの距離を一気に詰める。先に動いたのはリリアだ。強烈な風切り音とともに湾曲剣が振り下ろされる。エリスはリリアの剣を伝うように刃を滑らせて流した。そして、鍔元で切先を捻る。ここで反射的に剣を引けば鍔が外れて切先が自由になる。そのまま相手の指に引っ掛ければ指が落ちるという寸法だ。しかしリリアは逆に押し返してきた。

 エリスは鍔迫り合いの中で汗をこぼしながらも笑みをこぼしていた。楽しい。


 この時、エリスはすっかりと目的が頭から抜け落ちていた。リリアは体を捻り、右手で剣を構えながら、エリスの視界から隠れた尻のポケットから何かを出そうとする。エリスはこれにピクリと眉を動かすとすかさず切り掛かる。咄嗟にリリアは剣で防御するも、手元が伸びるような一閃にリリアの胸を大きく切り裂いた。血を流しながらよろめくリリアだったが、片手剣の構えを下さずに油断なくエリスを視界に入れている。思わずエリスは褒めた。


 「なかなか根性あるな」

 「はあ……はあ……そりゃどうも」


 リリアはうっすらとした微笑みを浮かべると何かを放った。瞬間、その円形状の何かからモクモクとすごい勢いでピンクの煙が出てくる。あっという間に視界が見えなくなった。エリスは必死に手で顔周りを払うが、咳が止まらない。リリアを追うにも方角さえ分からないこの煙の中では不可能だと察していた。

 リリアはエリスの足止めという自分の仕事を達成するばかりか、撒いて撤退することにも成功した。これは間違いなくリリアの勝利だった。


 そして、何分か経った頃だろうか。煙が段々と消えて視界が晴れてきた頃。エリスは少し途方に暮れて刀を鞘に戻した。これではロイたちに合流するしかないが……もし子供と誘拐犯を見つけていたのに取り逃したとメルクにバレれば、軽蔑の目で見られそうだ。


 その時、遠くから火の手が上がったような煙が見えた。続いて爆発音も。エリスは顔を上げると迷いなくそこへ向かって駆け出した。



 

 ◇


 


 レナには両親の記憶はない。物心ついた時から、イシュナ国で首輪付きの魔法使いとして生きていた。

 ──首輪。文字通り、レナを含む国の支配下に置かれた魔法使いたちは特殊な首輪が装着されている。この首輪は魔力の流れを制限し、国の命令に逆らうことができないようにするためのものであった。

 基本的に外出はできない。常に監視者が付き、暮らすのは高く塀が聳えるまるで監獄のような灰色の建物。収容所だ。そこで、レナは育った。幼い頃から国一番の優秀な成績を納めていたレナは特別な待遇が受けられることもあった。街をのぞいてみたこともある。だが、外の世界に憧れを抱いことはない。

 

 苦しくはなかった、悲しくも、寂しくもなかった。

 

 レナにとってもはやこの毎日は当たり前のことだったからだ。不自由? 奴隷の生活? 別にいいだろう、結構だ。とレナは思った。他人になんと思われようと、もはやここ以外にレナの居場所はない。

 そうだ、この国になんの思い入れもないが、ここには仲間がいる。同じ環境で育った仲間が。

 

 レナはお世辞にも善人ではない。レナにとって他人は利用するための道具だった。しかし……いつからだろうか、ただの道具だとは思えなくなったのは。視力を失った少女が、片腕を失った男が、いつしか隣に居座って離れない彼らが、レナの名を呼ぶ。いつも、なんでもないみたいにレナの名を呼ぶのだ。


 「レナ」

 

 どうでも良かったはずだ。自らを救うのは己自身だ。危険な任務もある。結局は力が全てなのだ。弱肉強食、それ以外にない。任務でヘマをした奴が間抜けなのだ。馬鹿馬鹿しいとレナはせせら笑ったことさえある。

 そうして、ずっとレナは一人だった。いや……違うな一人のつもりだった。一人っきりで生きていいると思い上がっていた。

 木陰の下、芝生の上で魔導本を読んでいたレナは服の袖を引っ張られた。


 「レナ、遊ぼうよ」

 「うるせえな、どっか行けよ」

 「ええー」


 目元を包帯で覆った麦色の髪をした少女が、不満げに頬を膨らませて地団駄を踏む。着ている衣服はボロボロで髪は傷んでいる。少女はレナの言葉にも動じた様子はない。レナはあからさまに舌打ちをこぼした。

 

 「相変わらずだな、レナ。ナルルも寂しいんだよ、同じ年頃の奴もいないしさ」


 腕組んでいた、義手をつけた男が呆れたように頬をかく。浅黒い肌をした少し背は低いが体格のいい男だった。ジュードという。

 

 「そうだ、あんたも勉強ばっかりしてないで、少しは遊んだら?」

 

 ジュードの妹のアニラが少し微笑んでいう。頬に切り傷のある野生みのある女だった。彼らはナルルという少女といつも一緒にいた。いつから出会ってなぜ一緒に行動しているのか、詳しいことは知らない。興味もなかった。

 

 「知るか。どうでもいい。俺に構うな」

 

 レナはそう言い捨てて立ち上がると本を脇に抱えてその場を去った。


 そうだきっかけは……そのすぐ後のことだ。

 任務を繰り返し、レナにとってつまらない退屈な毎日を送っていたある日。食事の時のことだ。食堂は首輪付きの魔法使いで溢れている。監視員も何人か立っている。いつもの光景だ。質素なテーブルに味気のない食べ物がトレーに置かれて並べられていた。レナは優秀かつ比較的従順だったため、りんごなどの果物や、肉が特別に与えられていた。あとはいつの時代も安価な豆、硬いパン。

 本を読みながら事務的に食べ物を口に入れていたレナは顔を上げる。やけに静かだった。あいつがきてからは考えられないほどに。あの鬱陶しい暑苦しい笑顔がない。どこにもいない。向かいに座っていたジュートとアニラに、レナは迷った末話しかけた。


 「なあ……あいつどうしたんだ?」

 「……」

 

 二人とも落ち窪んだ目をしていた視線を合わさない。嫌な予感がした。レナは言葉を続ける。

 

 「ほら、いつも俺に話しかけてきたあいつだ。ちびっこいの」

 「……死んだよ。スパイとして隣国に潜り込む任務だったらしい。そんで、ヘマして捕まった。そう聞いた」

  

 疲れ切った声でジュードが言った。

 ナルルは特に特筆すべきこともない、落ちこぼれの魔法使いの卵だった。死ぬのも当たり前だ、まだ実力がないのだから。優秀なレナとは違う。だから、死んでも不思議じゃない。


 カラン、と音が鳴ってレナは自分がスプーンを落としたことに気づいた。何か言葉を紡ごうとするが言葉にならない。

 愕然とした自分に驚いた。何か大切なものを失ってしまった気がするが、その何かがわからない。胸が痛い気がして抑えるが、そこにはいつも通り何もない。


 「死んだのか……まあ……そうだよな。あいつ実力なかったし、は、はは」


 ジュートとアニラは何も答えず、黙々とスプーンで豆を掬う。口に入れる。それを繰り返す。


 スパイとして潜り込んで死んだと言った。それは……つまり、彼女は拷問を受けて苦しんで死んだ可能性があるということだ。スパイにはその危険性がつきものだ。だから、少しは頭の働く部下をちょっとでも大事に思うような、対魔の監視役や上官は危険な任務にあんな落ちこぼれを送らない。なぜ危険な任務に彼女が選ばれたのか……それは使い捨ての駒だったから。それしかない。

 


 その日から、レナは変わった。


 仲間という言葉に執着するようになった。ジュードやアニラを守るために積極的に任務を代わった。ナルルはもう、戻らない。そんなことはわかっていた。だが、……これ以上失いたくなかった。怖かった。初めてそんなふうに他人を思った。自分が守れなかったナルルの代わりにこいつらを守らなくてはと思った。

 仲間。そんなものいらないし、どうでもいいと思っていた。

 


 だが、今のレナは違う。

 仲間のためなら、この居場所を守るためならば、レナは鬼にも悪魔にもなれるだろう。どんな手でも躊躇わない。躊躇うほどの善い性格もしていない。そうだ自分なら守れる、レナは子供を引き摺りながらそう言い聞かせた。

 

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夜の魔法使いと女剣士〜二人が最強のバディになるまでの冒険譚 一夏茜 @13471010

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