第24話 対魔法使い作戦本部、通称”対魔”

 空中都市エニグマ。その街の中心には大きな湖があった。飛行艇を停まらせるためにわざわざメルクが作った湖だった。飛行艇は湖に向かって下降していき、水飛沫と共に滑りながら着地する。メルクは座席から振り返ると、快活に笑って言った。


 「街を案内しよう。ああそうだ、今夜はうちに泊まってくといい」

 「ああ、頼むよ」


 飛行艇を降りたエリスたちは街を歩き出した。先ほど飛行艇に乗っていた時、上空から見た街は中心に湖があり、それを囲むように色とりどりの建物たちがひしめき合っているのが見えた。その中でも一際大きなコバルトブルーの建物。それがメルクの自宅兼工房だ。案内するメルクの後を歩き。そこに向かってエリスたちは歩き出した。人々は朗らかで、明るい喧騒がその街には満ちていた。


 「メルク! 隣は友達かい? 楽しんで!」

 「そうさ、ありがとう。君もねルロア」


 向かいから歩いてくる女がメルクを視界に入れるとパッと笑って話しかける。メルクは慣れたように手をひらりと振ると言葉を返した。話しかけるのは彼だけではなかった。笑い皺を作ったおばさん、荷物を運ぶ青年。走り寄ってきた子供に、女の子。

 

 「やあメルク、今日も男前だねぇ」

 「こんにちはメルク、お友達の方も。いい一日を!」

 

 エリスが見る限り、メルクは街の人々に心から慕われていた。みんなメルクを見ると揃って顔を綻ばせて声をかける。メルクもそれを邪険にすることなく、それぞれに名前を呼びながらフレンドリーに言葉を返した。メルクには……残念なことに嫌われてしまっているが、彼は案外いいやつなのかもしれない。エリスはそれを感心する心地で眺めていた、その時だった。


 「メルク!! メルク!!」


 血の滲むような叫びだった。一人の女がメルクの名を叫びながらかけてくる。エリスは少し警戒してその女の方を見た。


 「お願い! 助けて! 子供が拐われたの! 私、私ッどうしたら」

 

 立ち止まったメルクの前で崩れ落ちるように膝をついた女は大粒の涙を流しながらそう告げた。メルクはその女の肩を掴むと宥めるように言う。


 「落ち着け、相手は対魔か? 冒険者か?」

 「対魔よ、この街で子供を攫っていった男と女だったわ。間違いないわ、あの制服は対魔よ」

 

 すすり泣きながら女は答える。

 対魔とは何なのだろう。疑問に思ったエリスが問いかけるようにロイを見ると、ロイは「ああ」と思い至ったように口を開いた。

 対魔とは。────今はどの国にもある対魔法使い専門の部署。魔法使いの子供を攫ったり、封石でできた手枷を嵌めて管理するのが仕事の、碌でもない連中だとロイは語った。金で雇われて子供を攫う冒険者もいるらしいが。

 

 「対魔か……まだ遠くへ行ってないはずだ。ハハッ生きては返せないな」

 

 メルクは口を歪めながら笑い混じりに言ったそのセリフ。とても言葉には言い表せない怒りに満ちた声だった。声色は低く、その凄まじい怒気にエリスは手にじんわりと汗をかいていた。目には凍てつくような冷たさを湛えている。誰がどう見ても怒り狂っていた。飄々として軽薄な笑顔を浮かべていた姿はもはやどこにもない。それほどこの街の人々を大事に思っていたと言うことか。エリスの考えに同意するようにメルクは髪を掻き上げ吐き捨てた。


 「この街の奴らは皆俺の家族だ。手をだす奴には地獄を見せる、それが掟さ」

 「……街を出たかもしれない。転移装置や、魔法使いがいるとしても、お前が言った通りまだそう遠くに行っていないはずだ。手分けして探そう。俺たちも手伝う」


 ロイはピリピリとして殺気立つメルクに告げた。そして同意を取るようにエリスをチラリと見る。エリスも否はなかった。



 ◇


 

 リリアが対魔に入ったのは、給料が良かったから。それに限る。リリアの生まれは田舎の農家の生まれで、決して裕福ではなかった。だからこそ、リリアはエリートとしてのし上がってやる努力に余念がなかった。対魔は、腐っても国のエリート機関。実家の父と母に多くの仕送りを送ることは造作もない給料が支払われる。だから、少しぐらい苦しくても、リリアはこの仕事をやめる気はなかった。幸運なことに剣術の腕には自信があったし、このまま”上”に上り詰めるつもりだ。そのためならなんだってやるつもりだった。

 しかし……。


 「私、何やってんだろ……」


 リリアは泣き喚く子供を前にため息をついた。ここはエニグマの真下にある転移魔法陣。次の転移魔法陣がある場所まで連れて行かなければならない。次の転移魔法陣につけば、イシュナ国王都の本部へ移動できる。細かく分けている理由は単純に、長距離の移動は技術的に限りなく不可能なのと、安全のためだ。魔法使いの街から一直線に本部までつながればこちらにも危険が及ぶ。攻め込まれるリスクが大きいのだ。

 しかし、そこまで逃げ切ればリリアたちの勝ち。なのだが……。

 引きずるように連れてきた子供は、短パンを履いた男の子で、その小さな腕には封石でできた枷が付いている。リリアは現実逃避するように視線を逸らした。


 洗礼は受けたが、リリアは熱心なオリヘス教の信者ではない。リリアの住んでいた田舎はまだ教会の手が多く回っていなかったためか、リリアはそれほど教えに忠実な方ではなかった。だからか、いくら魔法使いと言う違う種族だと言っても基本的に姿形の同じ子供を攫うのは躊躇いがあった。だからと言って今更後には引けないし、自分の出世の方が大事だ。せめて”悪魔なら悪魔らしい姿をしといてくれ”と、半分やけのような感情だった。モヤモヤする罪悪感なんて持っていいことなどない。いざというときに刃を鈍らせるだけだ。

 

 その点、目の前のこの男は罪悪感など何もないように見える。子供の腕を掴んで乱暴に引きずるのは鉄の色の髪をした眼帯の男、レナ。この任務は魔法使いの子供を攫うことだった。枷をつけて魔法使いを管理するために、人材魔法使いを攫うのは国にとって重要な任務だ。そして、今回潜り込んだのは水銀の魔法使いメルクが作り出した空中都市。その情報をつかんだのはこの男だった。リリアにはこの男が理解できなかった。なぜこんなにも協力的なのかも。

 リリアは片手剣を油断なく構えながら口を開く。


 「さっさと転移装置のところまで行きましょうよ、水銀の魔法使いが来ちゃいますよ」

 「わかってるっつーの。こいつが暴れんだよ。大人しくしてろよッと」


 レナは子供を殴った。一応手のひらで加減はしたらしいが、それでもバシンと痛そうな音がなる。子供はひっと喉で声を漏らして固まった。


 「うわ、こいつションベン漏らしやがった。汚ねえな。誰が抱えていくと思ってんだっつーの」


 水たまりを足元に作りながらガタガタと震える子供に、リリアは顔を背けることしかできなかった。レナは茨の紋様の入った腕で指を鳴らす。すると子供の漏らした尿が綺麗さっぱり消える。紛れもない魔法だった。


 「魔法使い……なのになんで……」


 子供は呆然としていたが、レナは吐き捨てる。


 「テメエには関係ねえよ」


 その声には抑えきらない苛立ちが混じっていた。────そのときだった。声がしたのは。

 

 「見つけた。あんたたちだろ、子供誘拐したの」


 レナとリリアは声のした方を見る。二十メートルほど先で少し息を切らした様子の、刀を持ったエリスが立っていた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る