第23話 エニグマ


「そんな……まさか」


 倒れたベンガを見た騎士たちの一人が呟く。エリスは即座に刀を振るい、ベンガの横に転がった鳥籠を叩き切った。これでこの街を覆う結界は解除された。


「エリス、行くぞ!」


 そのセリフの前にもうロイは走り出している。エリスは刀を納めるとその背を追いかけて駆け出した。すぐに背後で男たちの怒号が聞こえてくる。しかし追いつかれる前にロイとエリスは難なく路地に滑り込んだ。そして、青い扉へ飛び込む。


 雑然としたものが存在する魔法の部屋。天井には星が瞬き、輝くようにいくつものモビールが揺れて、暖かい暖炉の火がひらひらと揺れる。

 逃げ切った。ソファにどさりと座り込んだエリスは息を整える。一言目の言葉を選んでいた。なんと言えばいいのだろう。ロイは己の過去について言いたくないから、今まで言っていなかったのだろう。ロイが言うつもりのなかったその過去の欠片を、今回エリスは知ってしまったわけだ。その間エリスの頭にはいくつもの言葉が駆け巡ったが、結局声にできたのは一つだけ。


 「次はどこに行く?」


 その言葉に不自然なほど重さはなかった。エリスはロイの顔を見ると眉を下げて笑った。本棚に寄りかかって息を整えていたロイは目を見開く。

 

 「……聞かないのか」

 「話したくなったら話せばいい」


 なんともないようにエリスは努めて明るい声を出した。エリスだって全てを話したわけじゃない。誰しも心に秘めたいことはあるものだ。エリスはロイの話したくないという意思を尊重したかった。それがエリスの信頼の証だった。


 「……そうだな。話したくないというわけじゃないんだが……悪いな。まだ整理がついていないのかもしれない。考えないようにしていたから……約束する。いつか必ず話す、エリス」

 「ああ」

 

 真剣なロイの目を見て、エリスは頷く。


 ◇

 


 「次に訪ねる魔法使いの街は、エニグマ。エニグマは空にある空中都市だ。魔法使いでないと普通行けないし、普段は人から見えなくなる効果のある雲がその姿を隠しているため肉眼では見ることすらできない」


 ロイは真面目な顔をして青い青い空を指差した。エリスも視線を上げて空を見る。そこには晴天が広がるばかりで、その空中都市は全く見当たらなかった。ただ青く澄んだ空と波の音、気持ちいい景色だった。


 「で、街があるとして、どうやってそこに行くんだ?」

 

 ロイとエリスは、ドラコヴィア国の北に位置する山の麓の湖にいた。水は透き通っていてかなり広い湖だ。湖はまっ平らで、空の色を映しているように真っ青。光を反射してキラキラと水面が煌めく。美しい景色に、エリスは湖を見渡して目を細めた。

 しかしこんなところになんの用があるというのだろう。ロイは少しも迷うそぶりをせずにここへエリスを案内した。


 「まあ、待て。そろそろ時間だ、迎えがくるはずなんだよ」

 「迎え?」


 エリスは怪訝な顔をしてロイを見る。

 その時。エリスはロイの背後、遠くの空の向こうから何かが向かってくるのを見た。小さな粒の影だったそれは、ちょっとずつ大きくなってこちらに近づいてくる。船のようだ。でも、空を飛んでいる! 

 エリスは目を丸くして叫んだ。


 「なんだ、なんだあれ!!」

 「飛行艇っていうらしい。エニグマを作った魔法使いメルクの趣味でね。人間の技術と魔法を使って発明することが大好きなんだ。あいつほど人間に好意的な魔法使いはいないよ」


 ロイが飛行艇といったそれは真っ赤な塗装がされていて、太陽の光を反射して艶々と光る。プロペラのような羽が回っているのが見えた。”メルク”と文字が書かれて、下にはカーブした船の底のようなものがついている。心躍らせる未知の気配にエリスはパアッと顔を綻ばせた。それは、特徴的なエンジン音を響かせて湖に着地する。そして水飛沫を上げながら滑るようにエリスたちの前にきて止まった。


 「やあ、ロイ。こうして会うのは久しぶりだぜ、元気にしてたか? ん?」


 扉が開き、中から出てきた男は手を振ると身軽そうに器用に飛行艇の上を歩きエリスの方までやってきた。鮮やかなピンク色の髪をしていた。かなり背が高く体格がいい。裾が広がった白いシャツと真っ青なフレアパンツを着こなしていた。顔のパーツは整っているように見えるが、何より内から滲み出る自信に満ち溢れて軽薄に笑っている。飛行艇の端から岸に飛び着地すると、ニヤニヤと笑みを浮かべロイの肩に腕を乗せた。


 「元気さ、お前も相変わらずだな。……こいつがエリス、俺の相棒だ」


 エリスはロイに相棒だと言われるのが好きだった。信頼されている感じがして。メルクは腕を下ろし、今気づいたかのようにエリスの方を向くと笑った。少年のような笑みだった。


 「そうか、君が……。俺はメルク・トリスメギス。お近づきの印に飴はどうかな? 天気の雨じゃないぜ、まあ望むのなら降らしてやれるけど」

 「あ、ああ。ありがとう」


 エリスは渡された飴を口に入れすぐに吐き出した。


 「ウッ辛っ!!辛いし、痛い!!」


 毒ではない、唐辛子の辛さだ。舌を焼け付くような痛みが襲う。メルクはケラケラと悪魔のように笑っていた。ロイは水の入った水筒をエリスに渡し、ため息をついた。


 「忠告しておこう、こいつはいたずら好きなんだ。おそらくこれは飴の味を魔法で変えていたな。俺も学生時代は何度引っかかったか」 

 「はは悪い悪い、ほら仲直りの握手だ、な?」


 メルクは水を飲むエリスに手を差し出した。飄々とした態度で悪びれる様子もない。エリスはその手のひらをじっと眺めた後、しぶじぶ手を重ねる。いくら観察してもどうせ、魔法の仕組みはわからないのだ。こいつからしたら、私はいたずらのいいカモだろうとエリスは思った。握手した瞬間、メルクは握ったエリスの手をぐいと引いた。前のめりに傾いたエリスの耳元に口を近づけ、メルクは囁く。


 「俺は今までロイを利用しようと近づく者たちを多く見てきた。君はどうかな?」


 パッと手を離されエリスは目を見開いたままよろめく。咄嗟にメルクを見るも軽薄に笑うばかりだ。ただ……その瞳には温度がない。今もこうして態度を見てエリスを観察しているのがわかった。


 「おい、いい加減にしろメルク。大丈夫か? 強く引っ張られただろう、見せてみろ」


 手を確認するロイにされるがままになりながら、エリスは黙り込んでいた。あったばかりだというのにメルクに誤解されて、嫌われているらしい。しかしロイはメルクと会って心なしか楽しそうだ。おそらく本当に仲のいい友達なのだろう。メルクに言われたことを告げ口する気にはどうしてもなれなかった。

 


 ◇

 


 飛行艇に乗り込み、エリスとロイはシートベルトをつけた。水面を水しぶりきを上げながら走り出し、ゆっくりと上昇して飛び立つ。ふわりと体が浮遊感に浸される。この時ばかりはエリスも目を輝かせて、窓からどんどん小さくなっていく湖を見ていた。空を飛べる日が来るなんて思ってもみなかった。


 「見たか!? 私たち空を飛んでるぞ!!」

 「……怖がると思ったんだがな」


 隣に座るロイは納得いかない顔でつぶやいた。そんな様子を見て、メルクがカラッとした声で言う。


 「ロイは初めて乗った時『下ろしてくれ』って泣き喚いてたよな。今でも覚えてるぜ」

 「泣いてはいない!! お前の都合よく過去を変えるな!」


 実のところ、エリスも一人で乗っていたらきっと怖がっていたと思った。しかし、今は一人でなくロイがいる。きっと墜落することになってもロイはなんとかしてくれるという信頼があったから、エリスはそれほど怖がらなかった。

 やがて、雲が見えてきた。真っ白で巨大な雲だ。もくもくとダイナミックに空に浮かんでいる。メルクは操縦席から言った。


 「もうすぐだぜ、何かに捕まっとくんだ」

 

 飛行殿はなんの躊躇いもなく雲に突っ込んだ。途端に強風でゴウゴウと音がして、うまく前が見えない。雨もガラスに向かって叩きつけるいるように降っている。おまけに雷も鳴っている。流石のエリスもこれには不安がった。しかしすぐに視界が晴れる。眼下に広がるのは街だった。地面ごと抉り抜かれたように、宙に浮かぶ美しい色鮮やかな街。その光景にエリスは息を呑んでいた。

 赤、ピンク、翠に、スカイブルー、コバルトブルー、白。カラフルな街並みが視界には広がっている。行き交う人々がこちらに気づき、手を振る。


 「ようこそ、俺の街エニグマへ」

 


 

 


 

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