第22話 竜騎士ベンガ・ヴォルフレッド

 ────動き出したのはほぼ同時だった。

 地面を蹴り付け駆け出し、お互いの距離を一気に詰める。強烈な風切り音と共に降り出される全力の打ち下ろし。刃が交差する。鋼音を散らし火花が爆ぜた。振り下ろされた刀の刃を、剣の刃が受け止める。エリスが体勢を変えて再び刀を振るうが、エルリックはその刃に剣身をぶつけることで攻撃を止めた。

 エリスは唇を舐めると、ほんの少しだけ刀を押し込んだ。相手は反射的に押し返そうとするが、その瞬間。素早く刀を引きつつ体を捻った。ロングソードが空を切る。エルリックは前のめりに僅かに体勢を崩す。

 その一瞬、膝が地面につくほど低い姿勢をとったエリスは、エルリックの脇腹から肩にかけて、斬り上げた。呻き声と共に血潮が飛ぶ。

 

 傷を負ったエルリックはよろよろと後ろに後退し崩れ落ちるように地面に膝をついた。


 騎士たちが動揺したようにざわめく。


 「おい嘘だろ……」

 「あのエルリック隊長が……」

 「あの女よくもうちの隊長をッ」


 中には敵意を乗せて睨みつける男もいたが、エリスはそれらを無視して歩みを進め、エルリックの元に向かう。直接立ち向かってくる勇気もない者の視線などどうでも良かった。そんなことよりも、この国を脱出するために竜の鳥籠を破壊しなければ。



 「おいおい、楽しそうにやってるじゃねえか」


 突然その場に響いたのは愉快そうな声だ。エルリックの背後からこちらに歩みを進める上半身が裸のその男は、かなり大きな大剣を片手で軽々と持っている。吊り目の三白眼、傲岸不遜な面構えだ。真っ赤な赤髪を乱暴に撫で付けたオールバックで頬から唇には傷があった。かなり体格がよく剥き出しの上半身は彫刻のように引き締まった体をしている。エリスは注意深くその男を見ていた。


 「休暇中だってのに呼び出しがかかったからこんな国の端まで来てやったが……来たかいあったぜ」


 その男はロイを見ていた。その瞳がギラギラと異様な光を放っている。

 

 「あなたが素直に召集に応じるとは……しかし助かりました」


 息も絶え絶えにエルリックは言う。そして歩み寄ってくる男にその手にあった竜の鳥籠を託した。男は「フーン……」と気乗りしない表情でそれを受け取ると、指に引っ掛けくるくる回す。


 「あのヴォルフレッドさんが来るなんて……」

 

 エリスはざわめく騎士たちに視線をやった。その男を見て誰もが驚きの感情を顔に浮かべている。味方だと言うのに彼らの顔には畏怖や妬みと言う感情さえ浮かんでいた。ベンガ・ヴォルフレッド。それがこの男の名だ。この国でたった三人しかいない竜騎士の称号を持つ男。

 ベンガはロイに向かって馴れ馴れしく口を開いた。


 「よお、アール。お前が消えてから何年ぶりだ?」

 「……その名は捨てた」


 ロイの声は固い。

 

 「ガハハ、俺はよぉお前が消えて悲しかったんだぜ。まあ、逃げ出してくれたおかげでこうしてお前と殺し合いができるんだ。今となっては感謝したい気分だがな」


 ペロリと舌で唇を舐めるその仕草。エリスは直感していた。おそらくこいつは戦いを楽しむ類の人間、エリスと同類だ。今もベンガは新しい玩具を見つけた子供のように瞳を輝かせている。

 

 「じゃ、殺るか」


 ピリピリと肌を刺す殺気。完全に瞳孔が開いた目の前のベンガから発せられているものだ。ベンガは軽々と大剣を持つと、一直線に駆けてくる。その先はロイだ。エリスは冷や汗をかきながらも、少し口角を上げてロイの前に踏み出した。

 頭上で、刀を使って大剣を受け止める。ものすごい衝撃が腕を襲った。エリスは歯を食いしばる。さらにジリジリと、徐々に僅かに、しかし確かに力が込められる。このまま押し切る魂胆なのだ。受け止めるのは悪手だったかとエリスは唇を噛み締めた。どう考えても力ではエリスが劣る。


 その瞬間、ベンガの足元がどろっとした質感に変わり、それに足を取られ少しよろめいたベンガは「お」と声を漏らした。


 「エリス!」


 ロイが叫ぶ。ベンガの重心がブレる。その作られた隙に、エリスはすかさず首を狙った突きを放つ。しかしそれはフェイントだ。刃の軌道が変化する。狙うは手首。大剣の切先がそれを防ぐ。これも読まれた。


 ブン、と空気を切る音がして、顔目掛けて大剣が振るわれるのがかろうじて見えた。エリスはのけぞって避けた。ベンガの顎目掛けて蹴り上げる。大剣でガードされた。渾身の蹴りだったのため骨まで響いて、エリスは歯を食いしばり飛び退いて姿勢を正す。真正面の二段構え。


 最初の攻撃から、エリスはベンガの攻撃を受け流すことを意識していた。受け止めるのは二つの意味で骨が折れる。


 この男の剣は”重い”。

 剣に乗せられた攻撃に重さがあるという意味だ。それをエリスは身をもって実感していたのだった。しかし、……このままではまずいのは事実。エリスはベンガと睨み合いながらも唇を舐めた。


 ロイは背後で他の騎士たちを捌きつつ、エリスの援護をできるよう様子を伺っていた。しかし隙という隙が見当たらない。この二人の戦闘は接戦で、息を吐く暇もなく剣戟が繰り広げられる。やっと二人が距離を取ったので、ロイは手を伸ばして焔の蝶をいくつも作りベンガに向けて飛ばした。幻想的な蝶たちが次々ベンガに群がって獲物を焼き焦がそうとする。ベンガは眉を顰めると大剣をブンっと振る。起こした風で蝶たちを吹き飛ばすと、そのままの勢いで駆け出した。蝶の速さが追いついていない。ベンガはぎらつく目で楽しそうに頬を緩めると地面を蹴り付け距離をつめる。素早く大剣を振りかぶる。そして、振り下ろされる。


 その一瞬を狙って、エリスは思いっきり剣を振り上げた。金属音が響く。これは大剣を跳ね上げる動作だ。ベンガは体制を崩し、胴体が空く。エリスはガラ空きの胴体目掛けて腹部に刀を刺した。そして足で抑え刀を切り裂くように抜く。ベンガは数歩後ろによろめく、そして顔を上げる。その表情は満面の笑み。ギョッとするエリスに構わず、ベンガは髪を掻き上げ大声で笑い出した。


 「く、ハハハハ! 面白え。こんなに面白え女がいたとはな。アールも趣味がいいじゃねえか。見直したぜ」


 そしてふう、と息をついたベンガはニヤと笑って大剣を構え直した。まだやるらしい。深くまで抉った傷から赤黒い血がとめどなく流れている。地面に膝をつき、見守っていたエルリックが見かねて声を漏らした。


 「おい、ベンガ────」

 「止めんじゃねえ」


 静かな声だった。しかしその瞳にはギラギラとした焔が燃えている。どうやっても消せない焔が。


 「分かるだろ? 俺はこの闘いを心の底から楽しんでんだよ。邪魔するな」


 エリスはフ、と息を吐くと黙って刀を構えた、何があってもこいつは向かってくると理解したからだ。ベンガが駆けて向かってくる。腕を上げ、大剣が振るわれる。一気にスピードが上がる。

 鋭い斬撃が、迫る。

 振り上げは間に合わない、いや今度は対策を練っているだろう。ならば。エリスは先端を鍔に近い根元で受けた。ガキン、と金属質な音が響く。鋭く強烈な一撃だった。刃を捻って力を逃がそうにも、ベンガはその顔に似合わず器用に繊細に流れに逆らわずついてくる。

 エリスはわざと重心をずらした。これは賭けだった。ベンガはピクリと眉を動かすと大剣を深く強く押し込んでくる。掛かった。


 エリスは左足を、前にした状態で、後ろの右足で踏み込む。ベンガが押すと同時に左足を寄せながら、真っ直ぐ右手を使い下ろすように打つ……と見せかける。当然ベンガは右からくると予想する。だから右を避けるところを左から回して打ち込む。この間、0,5秒。その攻撃はベンガの銅を深く切り裂いた。致命傷だ。



 

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