第3話 未来への座標




 小さな、アルミ製のアタッシュケースを渡される。


「携帯端末とかキャッシュカードとか、半導体が内蔵されている物を持っていると追跡、盗聴されます。中にしまってください」


 まりに言われ、僕はアタッシュケースに端末やカード類を全てしまう。ケースには医療用品が詰まっていた。とりあえずサルファ剤と痛み止めを飲み、肩の銃創を確かめる。幸い、弾は貫通していた。


「これから何処に?」

「安全な場所に向かいます。それより、あと三秒ですよ。掴まってください」


 まりの言葉から三秒後、どおん、とライトバンが横転した。横っ腹にパトカーが突っ込んだらしい。間もなく、パトカーから警察官が降りてくる。見覚えがある顔だった。午前中、僕を尋問していた男だ。男は、大きなハンマーを手にしていた。


「どうして、警察官が?」

「あれは警官じゃありません。私と同じ。未来人が憑依しています」


 と、まりは車を降りて警察官へと突撃する。力強く、スレッジハンマーが振り下ろされる。その一撃をかわし、まりは警察官の顔面に肘打ちを叩き込む。そして怯んだ腕を掴み、躊躇なくへし折った。

 まりは転げ回る警察官からハンマーを奪い、コン、と頭部を小突いて無力化する。そして、此方へと手招きした。

 僕らはパトカーに乗り換えて、その場を去った。そして二○分後、まりはとある団地で車を止めた。


「そろそろ、この身体も手配されている頃です」

「どうするんだい?」

「身体を換えます。暫く待っていてください」


 まりはそう言って団地の階段を上がってゆき、三階から飛び降りた。

 看護師がアスファルトに落下して、ピクリとも動かなくなる。その光景に、僕は衝撃を受けて固まった。直後、僕の目の前に軽自動車が停まる。窓から見知らぬ若い女性が顔を出し、「乗ってください」と手招きした。


「君は、その」

「遠山まりです。早く」


 僕は軽自動車に乗り込んだ。


「どうして一々飛び降りるんだ?」

「ある程度の高さから落ちないと、未来に帰れないので」

「あと、どうして君はそんなに暴力的なんだ。話し合うとか交渉するって事を知らないのか?」

「どうして交渉するんですか? 殺せば全部奪えます。そういう時代で育ちましたから」


 なんて、物騒な会話をしながらも軽自動車は進む。僕らは三時間程の距離を走り続け、山奥のキャンプ場へとたどり着いた。


「ここなら見つかりません。必ず一ヶ月で作品を書き上げてください。できますか?」


 と、まりがノートパソコンを手渡した。僕のノートパソコンだった。どうやら、僕の部屋に押し入ってきたらしい。


 ◇


 こうして、僕はテントで寝泊まりしながら作品を書き始めた。今回、まりが憑依したのは、このキャンプ場の管理人の女性だったらしい。電源については、まりが太陽光蓄電システムを用意してくれていた。ここに来たのは一度目ではないという事か。ともあれ、執筆は、思っていたよりも捗った。どうせなら、素敵な宇宙人が登場する話にしよう。可愛らしい宇宙人の女の子と少年が出会い、大きな敵を打ち破って未来を光で照らす。そんな痛快な話にしよう。まりの話に触発されたせいか、筆がはしっている。食事とか身の回りの事についても、まりが全部世話をしてくれた。まりはたまに、夜中に姿を消して朝方に血塗れで帰って来ることがあった。が、問いただす気にはなれなかった。どうせ追っ手と戦ってきたのだろう。

 ある夜、僕はまりから興味深い話を聞かされた。

 歴史には〝時の座標〟という改変不可能なポイントがあるらしい。例えばキリストが復活し、マグダラのマリアが『ラボニ』と呟いて泣いた瞬間だったり、明智光秀が織田信長を追い詰めて、信長が『是非もなし』と呟いた瞬間だったり、釈迦が入滅して弟子達が泣いた瞬間だったりするらしい。それ以外の歴史についてはタイムリープによって捻じ曲げることができるそうなのだが、時の座標に限っては、絶対に捻じ曲げることが出来ないそうだ。ビデオゲームでいうところの開始地点とか、セーブポイントのようなものだそうだ。

 まりの狙いは、僕を時の座標に導くことだった。理屈は解らないが、僕が作品を書き上げて小説投稿サイトに掲載するエンターキーを押した瞬間に、僕の行為が時の座標に定まるらしい。そして座標はバタフライ効果の発生源となり、未来が変わる。時の座標はもうすぐだ。だが、書き始めてから三○日目の夜に、僕は急に書けなくなってしまった。

 最後の最後、物語が一番盛り上がる場面での、主人公の台詞がしっくりこない。タイムリミットはもうすぐそこなのに、どうしても良い言葉が浮かばないのだ。時間は、刻々と過ぎていった。

 僕はテントを飛び出して、木に、何度も頭を打ちつけた。


「何をやってるんですか!」


 まりが慌てて僕を組み伏せる。


「僕はなんて馬鹿なんだ。あと少しなのに、肝心の希望が紡げない。このままじゃ、あの作品はバタフライ効果を産まない。僕には分かる。どうして、君は僕なんか選んだんだ!」


 僕らはテントに戻り、折り畳み椅子に腰掛けた。焚火で、まりが珈琲を淹れてくれた。砂糖とミルクを多めに入れた珈琲を飲みながら、僕はまだ落ち込んでいた。

 ふいに、まりが口を開く。


「先生の作品では、必ず、誰かが未来の話をしますよね。絶対絶命の場面で、誰かが未来を叫ぶんです。私はそういうところが好きなんです。そして先生は『今がディストピアだ』って言いました。でも、こんな時代に力一杯未来を叫ぶ話がどれだけありますか? 絶望を知りながら未来を諦めない人が、どれぐらいいるでしょう?」

「買い被りだよ」

「いいえ。私は先生を信じます」


 揺らめく炎に照らされたまりの眼差しを、僕は初めて素敵だと感じた。何故だか、今なら納得のいく言葉が紡げる気がした。

 書かねば。

 腰を上げた瞬間だった。紙袋が破裂するような音が響き、僕の腹を何かが貫いた。何者かに撃たれたのだ。


「先生、先生!」


 まりが絶望を浮かべて叫ぶ。でも、僕は崩れ落ちたまま声が出せなかった。たった一言。あと一言なんだ。それで作品が完成する。まだ死ねない。

 目眩と苦痛を押し殺し、僕は小型発電機へと這いずってゆく。一方、まりは薪の束を盾に、ハンマーを引きずって狙撃者へと突撃してゆく。彼女の行く手には、何人もの男の影があった。いくらまりが戦い慣れていても、今回は流石に分が悪い。

 だとしたら、やるべき事は一つだ。

 僕は発電機へと辿り着き、血を撒き散らしながらワイヤーを引く。一回、二回、三回。

 四回目で、やっとエンジンが動き出した。実は、このキャンプ場の受付の小屋にはコンピュータが置かれていて、インターネットが使える。が、ネットを使えば位置を特定されてしまうので、まりが電源を断っていたのだ。

 そして、僕は這いずってテントを目指す。たった一○メートルの距離が、とても遠く感じられた。背後からは、ハンマーが肉を打つ音と、銃声と悲鳴とが聴こている。状況は分からない。這って這って、やっとテントに転がり込んでノートパソコンを開く。インターネットを起動して小説投稿サイトの、未完成のページを開く。その間にも、銃声は鳴り続けている。

 さあ、僕の人生で最大の危機だ。僕の小説の主人公も、最後の敵を前にピンチを迎えている。宇宙人の女の子が泣きながら叫ぶ、呼応して、女の子を守って旅をしてきた少年は、強大な敵を前に声を張り上げる。一つも迷わずに、僕はその言葉を入力した。


『任せろ。俺が未来に連れてってやる!』


 その言葉以外にはあり得なかった。

 書き終えて、〝今すぐに投稿する〟にカーソルを合わせる。そして、倒れ込みながらエンターキーを押す!

 その瞬間、僕自身の電源が落ちた。音も光も、何もかもが消えた。


 長い闇と空白を経て、目を開ける。

 そこは僕のアパートで、僕はソファーに腰掛けていた。


「まり!」


 慌てて腰を上げ、部屋を見回す。が、まりの姿はなかった。前に、粉々に砕かれた筈のテーブルやテレビ、猫さんマグカップが、壊れる前の状態で置かれていた。まりに壊された全ての物が、復元していたのである。

 夢、だったのか。

 そんな考えが過った次の瞬間、僕の視界にそれが飛び込んで来る。部屋の隅に、見慣れたスレッジハンマーが置かれていたのである。

 そうか。僕等は勝ったのだ。

 歴史の座標が定まって未来が改変された。きっとまりは、未来で幸せに暮らしているに違いない。未来が平和になったから、まりが過去に来たという事実もまた、なかった事になったのだろう。彼女が積み重ねた罪も消えた。まあ、ハンマーが残されていたことについては謎だが。


 僕は上着を羽織り、外へと繰り出した。もう桜は散っていた。街路樹の群れは緑色に変わり、木漏れ日を落としている。風が気持ちよかった。ふと、前方の曲がり角からセーラー服の少女が駆けてきて、僕とすれ違う。


「SFを書いてください」


 少女が言った気がして振り返る。黒縁眼鏡におさげ髪の少女は振り向かず、軽やかに行ってしまった。僕も再び歩き出す。

 書くよ。これからも書くさ。ここから始めよう。愛や優しさに溢れた、明るい未来をイメージしよう。だからどうか振り向かないで。僕は唯々、叫び続けるよ。

 未来はこっちだよ。







               おしまい。


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