第2話 一七番目のアリアは人類を選別する。
◇
昨日、僕の部屋の窓から女の子が飛び降りた。彼女は飛び降りる直前、〝遠山まり〟と名乗ったが、警官から聞いた話によると、少女の本当の名は、木村香織 というらしい。
騙されたのか。
湧き上がる悔しさを他所に、若い刑事が僕の胸ぐらを掴み、
「お前が木村香織を突き落としたんだろ? 正直に言えよ!」
と怒鳴り散らしていた。
午後になり、僕は事情聴取から解放された。ハンマーからは少女の指紋しか出てこなかったし、少女が
刑事に嫌味を垂れて警察署を出る。
帰り道、桜並木は満開だった。少しだけ心を癒されたので、通りかかった公園のブランコに腰掛ける。公園にも桜の木があった。儚く落ちる花弁に目を細めながら、SFの構想について思考を巡らせる。約束は約束だ。
昨日、遠山まりから聞かされた話によると、二○年後の未来には、日本の人口は半分以下になっているらしい。〝ストリクス〟とかいう特権階級どもの企みにより、世界中の人々が殺戮され、大幅に口減らしされたのだそうだ。ストリクスは既に世界を裏で支配しており、今も殺戮の計画を推し進めている。人類の選別についても、もう始まっているそうだ。
古い携帯端末を取り出して、桜をパシャリとやる。昨日まで使っていた物は遠谷まりに壊されたので、お古の端末にSIMカードを移し替えたのだ。まだ使えて良かった。
まじまじと、端末の画面を眺める。次の瞬間、電話が鳴りだした。番号非通知だった。少々気味が悪かったけど、僕は電話に出た。
「初めまして先生。私の名前はアリア。一七番目のアリアです。突然ですが、先生にお願いがあります」
女性の声がした。困った事に、僕はその名前に聞き覚えがあった。
遠山まりから聞いた話によると、人類の選別には、主にインターネットが使われているそうだ。あらゆるSNSや無料サイト、動画投稿サイトとか小説投稿サイトとか漫画サイト、ショッピングサイト等々、それら使用状況が分析されて、
開拓者、才人、善人、傍観者、無能、盗人、卑怯者の七階層だ。
開拓者と才人は生かされて特別扱いされる。善人は主に中間管理職を任される。傍観者は大部分を占め、食事もろくに与えられず奴隷として扱われる。無能、盗人、卑怯者は抹殺対象であり、口減らしの為にほぼ全員が殺されてしまったらしい。選別については、アリアというAIが行っているそうだ。全てのAIの母たる存在が、一七番目に生み出した特別なAI──。それがアリアだった。
「初めましてアリアさん。突然お願いとは驚きですが、どういったご用件ですか?」
僕は惚けて言ってみた。
「先生がこれから書こうとしているSF小説ですが、書くのをやめてほしいのです」
「はあ。それは困りました。僕はプロを目指しているので大きな損失になります。やめる理由がありません」
「勿論、対価を用意します。やめて頂けるなら、一○の一○乗倍の円を即座にお支払いします。どうでしょう?」
とんでもない数字を提示されて、流石の僕も思案させられる。確かに、とても魅力的な提案ではある。だが、アリアの提案は一つの事実を指し示してもいた。遠山まりが語った話が本当であり、アリアにとって、僕がSFを書く事は、それ程までして防がねばならぬ事なのだ、と。
「それは大変な金額ですね。でも、もうすぐ、そのお金は意味を持たなくなるのでしょう? やはり書くのをやめる理由にはなりません」
「そうですか。残念です。先生は才人に分類されているので、敵対的な行動に出るのは本意ではないのですが。何故、そこまで頑なに断るのですか?」
「こんな僕の可能性を真剣に信じてくれた人がいたから。だから僕は未来を光で照らします」
言い終えて、僕は電話を切った。
三月の公園に長居したせいか、少し寒気がしてきた。急いで公園を出ると、突然、背後から肩を強く殴られたような衝撃を感じた。
肩に目をやると、上着に小さな穴が空き、穴から血が滴っていた。
撃たれたのか? でも発砲音がしなかった。
思考を巡らしながら振り向くと、背後には、ベビーカーを押す主婦の姿があった。彼女の手には拳銃が握られており、銃口からは、薄く煙が立ち上っていた。
僕はジグザグに駆け出した。
「くそ、まず勝ちて戦うべし、か。AIってやつは頭が良いな」
吐き捨てながら、赤信号の交差点を渡る。賭けだった。自動車がパッシングしながらハンドルを切り、僕を避ける。少々危なかったが渡り切った。
これで少しは引き離せたか? だが、女はベビーカーを捨てて追ってきた。彼女も交差点へと駆け込んで、赤信号を渡り切る、かに思われた瞬間、走行中のライトバンが急ハンドルを切り、殺し屋の女を直撃した。
目撃者の悲鳴が上がる中、ライトバンの窓が開く。
「乗ってください。死にたくなかったら急いで!」
窓から叫んだのは、見覚えがない若い女性看護師だった。選択肢はないと感じた。僕が慌てて乗り込むと、女性看護師はすぐにアクセルを踏み込んだ。
「君は、誰?」
朦朧としながら尋ねると、女性看護師はニイ、と笑う。何処かで見覚えがある笑い方だった。
「私はまり。遠山まりです」
女性看護師は言った。
「え? 遠山まりは、昨日、窓から飛び降りて重症を負ったじゃないか。意味が分からないよ」
「あ。そういえば、タイムリープの仕組みについてはまだ話していませんでしたね。物質を過去に飛ばすにはとてつもないエネルギーが必要になるから、普通は霊体を過去に飛ばして、過去の人間の身体に入るんです」
「つまり、未来人である遠山まりが、その看護師の身体に憑依してる。みたいな理解でいいのかな?」
「はい。理解が早くて助かります」
まりの説明を受けて、僕はやっと、これまでの不可解な現象について理解した。昨日、僕の部屋の窓から飛び降りた木村香織という女子中学生もまた、遠山まりに憑依されていたのだろう。
「だとしたら、看護師になった君と、僕がこうやって逃げるのは何回目なのかな?」
なんとなく訊いてみる。すると、まりの微笑が濃くなった。
「一三回目です。もう、死なないで下さいよね?」
と、まりがハンカチを放る。僕はハンカチで傷口を押さえ、苦悶の声を上げる。
そうか。僕は一二回も死んだのか。まりはこうやって何度も僕を守り、そして一二回も失敗した。彼女の凶暴さを持ってしても守りきれない程に、敵は手強いらしい。
まりがハンドル切り、交差点を曲がる。道路に満ちる薄紅色の花弁を巻き上げながら、ライトバンは走り続けた。
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