SFを書いてくださいと彼女は言った

真田宗治

第1話 スレッジハンマーは突然に



 私のこと、忘れないで。

 言い残し、彼女は窓から飛び降りた。それなりの落下時間を経て、アスファルトに肉がぶち当たる音が響く。ある三月の、夕暮れのことだった。窓の外を見る気にはなれなかった。

 斜陽を背に、お気に入りのソファーに腰掛ける。疲れがどっと押し寄せた。目の前のテレビ画面は粉々だった。テーブルの上の携帯端末も粉々で、なんならテーブルも粉々だ。僕のお気に入りの猫さんマグカップも粉々で、猫さんマグカップだった可哀想な何かに変わっていた。トイレのドアも砕け、玄関のドアノブはへし折れている。どうやってこの部屋から出よう?

 きゃあ。と、一階の女子大生が悲鳴を上げる。近所の男性の叫び声も聞こえてきた。ここは三階だから、運が良ければあの子は助かるだろう。でも、もう二度と戻らないで欲しいなと、薄情な本音が湧き上がる。

 確か、イエス=キリストは三三歳で十字架に架けられたんだっけ。救い主は十字架の上で何を思ったのだろう。エリ・エリ・サバクタニは有名だけど、結局のところ、救い主が最後に感じたのは絶望だったのか。それとも、ということなのか? 本当のところはわからないし、僕には関係のないことだ。どうせキリストは蘇ったのだから。どうであれ、僕が三三歳で学んだのは、おさげ髪の女子中学生には、絶対にスレッジハンマーを持たせてはいけない、ということだった。


 時間は、昼過ぎまで巻き戻る。

 職務質問から解放されてやっとアパートに帰ると、僕のソファーに見知らぬ少女が座っていた。長い黒髪を三つ編みに束ねた、黒縁眼鏡の地味な子だった。そう、地道だ。ダボっとしたセーラー服も、少し埃っぽい感じがする。地味なのに顔立ちは整っており、微かに陰鬱な色気がある。一目で、普通ではないと感じた。


「SFを書いてください。断ったら殺します」


 第一声から正気ではなかった。


「君は誰? どうやって部屋に入ったのかな」


 尋ねると、彼女は窓へと視線を滑らせた。窓ガラスが割られていた。つまり、不法侵入した訳か。


「私は未来から来ました。SFを書いてください」


 と、彼女は微笑する。

 成る程。頭がおかしいのか。

 理解して、僕は携帯端末を取り出して一一◯番に電話する。が、呼び出し音が鳴る前に少女が素早く手を伸ばし、携帯端末を取り上げた。彼女は端末を床に叩きつけて、ゆるりとを振り上げる。端末どころか床が砕ける音がした。振り下ろされた大きなハンマーを見て、僕は悟る。

 狂気って、こういう事をいうのだな。


 こんな僕でも命は惜しいので、とりあえず、彼女の話を聞いてみることにした。まずはコーヒーを沸かして、彼女に差し出して向かい合う。


「SFを書いてください」

「突然それだけを言われても困るよ。どうして僕で、どうしてSFなのかな?」

「貴方が小説投稿サイトに上げている作品を読みました。感動しました。だから貴方じゃなければならないのです。そして、どうしてSFでなければならないのかは、貴方が〝何故SFを書かないか〟を考えた方が早いでしょう」

「は? 言ってる意味がよくわからないのだけど」


 言った次の瞬間、スレッジハンマーが振り下ろされた。ハンマーは一撃で木製のテーブルを半壊させて、二撃目で粉々に打ち砕いた。それでも修まらず、彼女は四回ハンマーを振り下ろし、再び椅子に腰を下ろした。


「何故、SFを書かないのですか?」


 可愛らしい微笑は、寧ろ、彼女の狂気を鮮明に浮かび上がらせていた。ともあれ、下手な答えれば死を招く。それは理解した。では、彼女が喜びそうな答えを用意して、それっぽく語るか、それとも──。


「──嫌いなんだよ。ディストピアってやつが」


 観念して言うと。少女はハッと口元を抑え、眼を見開いた。どうやら、本音を話したのは正解らしい。


「どうして嫌いなんですか?」

「僕は引き寄せの法則ってやつを信じていてね。知ってるかい?」

「はい。人がイメージした事は実現する。という法則ですね? 引き寄せの法則は、未来では科学的に証明されています。その事と、SFを書かない事と、どう関係があるのですか?」

「過去、SFは沢山あっただろ? そのほとんどがディストピアだった。まるでディストピア以外は悪で、ディストピア以外は評価されないみたいにね。でも、今が充分ディストピアじゃないか。ノーベル賞? 大御所? 凄い、素晴らしい。でも権威を得て、皆んなに褒められて歴史に名を刻んで評価されたらなんだ? それで、こんなクソみたいな未来を引き寄せた責任はどうするんだ? 書くなら、子供達が希望を持てるようなマシな未来を描くべきなんだ!」


 吐き捨てて顔を上げると、少女が泣きだした。背筋が寒くなった。そして少女は徐に腰を上げ、ハンマーを引き摺りながら玄関へと向かい、派手にドアノブを破壊する。


「どうして、いきなり壊すんだ!」


 叫ぶ僕に、少女が振り向いて人差し指を立て、しぃ。と沈黙を促す。泣きながらの薄笑いがあんまり不気味で、僕は思わず黙らされた。


「これから三分後に、貴方は逃げ出そうとします。だから前もってドアノブを破壊させてもらいました」

「三分後? どうして三分後のことが分かるのかな」

「言ったじゃないですか。私は未来から来ました。三分後の貴方は最後まで話を聴いてくれなかったので、仕方なく」

「仕方なく?」


 返ってきたのは含みのある、ちょっぴり寂し気な微笑だった。僕はハンマーに目をやって、なんとなく理解した。確かに、僕はどう逃げ出すか? という事だけを真剣に考えていたからだ。同時に、気付きたくなかった事に気が付いてしまう。


「もしかするとだけど、君と僕とが出会うのは、これで何回目なのかな?」

「流石は先生。話が早くて助かります。私達がこうやってお話するのは、これで八回目です」

「つまり、七回目までの僕は、そのハンマーで撲殺された。そういう理解で良いのかな?」

「もう。そんなこと、言わせないで下さい」

「僕も聴くべきじゃなかったよ」


 胸を満たしていたのは、次なる恐怖だった。彼女の要求を断れば即座に殺されるだろう。そして彼女は再び時間を遡り、過去の、僕の帰りを待ち伏せるのだ。だが、要求を呑んだとして、僕が書くSFが彼女のお眼鏡に適わなかったらどうなるだろう?


「要求は分かった。書くしかないんだろ。でも、僕はプロ作家じゃない。小説投稿サイトで細々書いてる素人なんだ。それでも良いのかい?」

「勿論です。貴方でなければならないのです」

「僕は知識が不足しているし、世にはSF警察とかいう面倒な連中がいてね、気に入らない作品をボッコボコに叩きに来るんだよ。心を折られて作品を消してしまうかもしれないよ?」

「ご安心ください。もうすぐ、世界はそれどころではなくなります」

「そうか。なら、一つだけ条件がある。答えてくれるなら、全力でSFを書くと約束する」

「条件とはなんでしょう?」

「未来の話を聞きたい。どうして君が、そんなにイカレてるのかって事も含めてね」


 僕の条件を聞き、彼女は少し逡巡する様子を見せはしたが、ポツリ、ポツリと語り出した。僕は時折質問を挟みながら、一時間も話を聞き続けた。終始、衝撃的な内容だった。


「小学校に入学したのは八六人でした。でも、生きて卒業できたのは二三人でした」


 少女は全てを語り終わり、再びハンマーへと手を伸ばす。そして、僕のお気に入りの猫さんマグカップを打ち砕いた。


「どうしてマグカップを壊すんだ」

「取手にヒビが入っているので。次に使う時に先生が火傷を


 答えたついでに、彼女はペタペタ床を歩き、トイレのドアも破壊した。もう、どうして壊したのか訊く気にもなれなかった。

 そうして彼女は少し寂しそうに窓辺へと向かい、窓枠に足をかける。


「最後に、私の名前は 遠山まり です。約束ですよ。もし破ったら殺します」

「わかったよ。約束する」

「私のこと、忘れないで」


 言い残し、まりは窓から飛び降りた。それから一五分、僕はソファーで未来について考えていた。まりが語った未来は、ひたすら暗く、引き寄せの法則で変わるほど甘いものではない気がした。

 だが、僕は約束は守る主義だ。

 やがて、けたたましく玄関のドアが叩かれる。やっと警察が来たらしい。連中は怒声を上げているが、こちとらドアが開かなくて困っているのだ。早いところ突入してもらいたかった。


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