後編
単位の危うい授業ばかりが揃う魔の木曜日以外は図書館へ通い詰めた。
最初の頃は意中の君が来ず肩透かしの日もあった。
けれど私の狙いにどうやら気づいた様子のゴスロリ先生は木曜日以外の午後には自販機サイドに座ってくれるようになった。
日曜日も祝日も。
私たちはお喋りを楽しむ仲になった。
ファンだろう若い司書の嫉妬の視線はむしろ心地よかった。
「雑誌の取材とか受けないんですか」
「嫌いなの」
「テレビに出る小説家もいますよね」
「嫌いなの」
自分の心に素直な人だった。
そんな生き方がしたいと「私もポメラ買おうかな」と呟いてみる。
「小説を書きたいの?」
人気小説家からストレートに聞かれて戸惑う。
私は何がしたいのだろう。
「小説の書き方を教えてくれませんか」
「小説の書き方は教わるものではないわ。自分で書きたいように書けばいいの」
「わかりません。書きたいものが……わたしは何を求めているんだろう」
質問とも愚痴ともとれる吐き出された言葉にゴスロリ先生のそれまで嫋やかな視線が一変、鋭いキリのように私の心を貫いてきた。
数秒間の沈黙。
そっと長い睫を閉じると「ふーん、」と何事か納得した。
まるで占い師のような雰囲気だった。
「そんなに沢山の本を読んでいるなら悩みは解決しているでしょう」
ゴスロリ先生は不思議そうに首を傾げた。
心を覗かれたような言動に顔が火照っていくのがわかった。
「なぜ、どうして、」
私の戸惑いに応えることなくゴスロリ先生は静かに語る。
本の素晴らしさ。本によって人生が変わる事実。
確かに本を読んでいる間は楽しい。けれどそれが現実世界に置き換わるなんて考えたことも無かった。「でも、怖いの」私の呟きに「あたりまえでしょ」と受け流す。
「まったく恐れをしらない人生なんてロクなことにならないわ。適度な恐怖は生きていくための原動力よ。それを克服したらとってもハッピーになれるわ。影のないところでは光の存在なんて無いに等しいでしょう。同じ事よ」
「克服出来る自信がありません」
「克服しようなんて意気込まなくて良いの。見えているモノ、味や香り、色や形。万物は全て時間と共に変化する。いまの生活も十年後には全く別物になっている。自身を取り巻く環境は日々変化している──そんないい加減な世界なのよ、ここは」
私が黙ったままでいるとさらに続けた。
「必死に未来を照らそうなんて考えなくて良いの。世界にこれから何があるか。この国の日々の暮らしがどう変わるか。そんなこと誰にもわからない」
「じゃあ、どうすれば」
「笑いなさい」
ゴスロリ先生の優しい笑顔。
私の頬にはいつの間にか一筋の雫が流れていた。
両手を握って胸の前で合わせる。
目の前にいるのは凄い方だ。わからないけどわかる。暖かくて強い意志。
「わたしも先生みたいになりたい」
「揺らぐ心は自分自身が創り出した幻影なのよ。ただ願えば良いの」
ゴスロリ先生は万年筆を手にした。司書が遠慮がちに色紙を差し出した際にサインした太軸の万年筆だ。それを私の手に握らせ「あげる」と言った。
「え、なぜですか。これはどういう」
「わたしね、小説家を辞めるの」
突然の告白に返す言葉がない。
「ほら、ね。こんなにも簡単に取り巻く状況は変化するのよ」
頬を流れる雫は量を増していた。
「いやだ、こんな変化は望んでない」
「笑いなさい。悲しみを悲しいと感じてはダメ。楽しみなさい。どれほど辛い現実が降り注ごうとも悲しみに気持ちを奪われてはダメ。だって世界は変化する。いまの苦しみもやがて懐かしい過去に変わる」
「先生と別れたくない。これからも図書館で会えますか」
「おかしなことを聞くのね。あなたの心にわたしがいる限り、わたしはいつもあなたと一緒よ」「そんな誤魔化さないで!」万年筆を握り続ける右手をゴスロリ先生の両手が包む。「ここに、こうしてわたしの依代を残すわ。これでわたしを思い出して。あなたの中に存在するわたしが、あなただけのわたしよ」
止めどなく涙が流れ続ける。ゴスロリ先生はその小さな躰で私を抱きしめた。
「笑いなさい。笑顔でまた再会しましょう」
刻は流れ続ける。
母との確執は懐かしい青春の一ページとなった。今では笑い話だ。
駅前は長年の懸念事項だった再開発がはじまり、地方の一都市でしかなかった街は賑やかしくなった。
あの人と同じポメラをリサイクルショップで偶然見つけた私は、ちょうど外壁工事が終わったばかりの市営図書館へ足を運んだ。
久しぶりに会う顔なじみの司書はすぐさま私を見つけると、その服装からついたであろう愛称で声をかけてきた。
「おはようございます、ゴスロリ先生」
私のゴスロリ先生〜図書館の妖精に出会ったお話 猫海士ゲル @debianman
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