私のゴスロリ先生〜図書館の妖精に出会ったお話

猫海士ゲル

前編

 授業へ誘おうとする一切の声を無視し飛び出す。

 午後の体育はエスケープ。ここ最近ずっと繰り返している私の日課だ。


 学校近くの市営図書館。そこはお気に入りスポットだ。

 収容される本は雑多で小説から雑誌に至るまで揃っていた。奥の自習室には百科事典の類いがずらり棚に並んでいる。ブリタニカや日本国語大辞典など書店では見かけない類いの辞書も全巻揃えてあった。


 そして図書館の自習室にはゴシック&ロリータもやってきた。

 自販機サイドの席に毎日座り紅茶の入った紙コップを小さな口へ運んでいるのは背がちっちゃくて物静かな妖精。


 いつもポメラを開いて何やら書いていた。


 黒髪に長い睫。透明感ある白い肌。華奢な躰は中学生にしか見えなかったので当初は「授業中に抜け出して悪い子ね」と自身の悪行を顧みず毒づいていた。

 どうやら『ガチ』な小説家先生だと知ったのは少し経ってからだった。若い司書の女性が頬を赤らめ緊張した面持ちで色紙を差し出すとゴスロリ先生は笑顔で応えた。

 ちっちゃい手に不釣り合いなほど大きな太軸の万年筆で『みみずののたくった』線をぐるぐる書いて手渡すと司書は卒倒しそうなほど感激していた。

 まるで新興宗教の教祖と信者に思えた。




「わたしは、お母さんの人形じゃないわ」

 思わず怒鳴ってしまった。

 毎日感じていた違和感。そこから派生する正体不明の恐怖。

 イライラが募り母にあたる。


 母の悲しそうな表情に「ごめんなさい」と謝ってはみる。だけど本心は違う。やっぱりお母さんは鬱陶しい。


 物心ついた頃から母のお仕着せに従って生きてきた。

 言われるままに受験勉強を頑張って母の母校へ入学した。かつての母と同じ制服を着て登校する日々。付属校だから将来の行き先は隣接する女子大だ。

 そこを卒業して地元メーカーでOLをやりつつのような公務員と結婚するのだろう。娘が生まれた途端に浮気されて三行半……そんな人生を歩ませたいのだろうか。


 母が満足する母のために用意された私の人生。

 そこから逃げ出したいと反発してみたが……でも、他の生き方を知らなかった。


 ある日のこと担任からついに問い詰められた。

「授業をサボって図書館へ通い詰めているのね。制服のまま平日に毎日何時間もいれば目立つわよ」


 生徒の自主判断を重んじる放任主義とはいえ図書館からの問い合わせには応えなきゃならないらしい。

 司書が「チクった」と頭に血を上らせたが事実は少し違った。


「利用者から言われたそうよ。その方はうちの卒業生でね、学校へも直接電話してきたわ。いつから不良が通うレベルに落ちたのかと、教頭先生が困っておられたわ」


 世の中には他人の行動が気になって仕方のない人間がいることを知った。

 ちゃんと単位は取れている。無駄な授業に出ず図書館へ通うことの何が不良なのか。


 それでもその日から──だから私は制服を着替えて私服で通うことにした。

 ついでにベレー帽とダテ眼鏡もかけてみた。

 鏡をみたら別人になっていた。


「あら、気づかなかったわ」

 耳を擽る可憐な声に振り向く。ゴスロリ先生だった。

 わたしの驚きに「あっ、」と口を手で覆う。


 「ごめんね、突然声をかけたりして」

 白い顔にほんのり紅が差している。


「いえ、全然、全然かまいません」

 私は必死に言葉を選びながら上擦った返答をした。


「いつもは制服なのに……ああ、察するに」

 周囲をきょろきょろ見まわしながら「チクられたな」清楚で可愛らしいゴスロリ先生の口から「チクられた」なんて下賤な言葉が出ることに違和感を覚えたが小さな女の子にしか見えない彼女の紡ぐ言葉は不思議と全てが可愛らしく聞こえた。


「新作ですか?」

 生意気な質問だ。

 名前すら知らないクセに。


「知っていたんだ」と淡々と「いま書いているのは雑誌用のエッセイよ」と教えてくれた。

「どういう本を読んでいるの?」と逆に聞かれた。


「え、」と言葉に詰まる。


「女子高生がふだん何を読んでいるのか興味あるの」

 と、それは齢下の中学生から聞かれた質問に感じた。

 もちろん齢上だろう。いったい幾つなのだろう。

 ゴスロリ先生の年齢に興味を抱きながらも思いつく小説家の名前を何人か口にしてみた。六人目でゴスロリ先生の表情が変わった。


 そうか、この人がそうか。


 読んだ本のタイトルと内容を語り軽い感想も添えた。


「ありがとう」

 嬉しそうに微笑んでくれた。

 その日から怠惰で薄暗いだけだった私の生活が少しだけ鮮やかになった。

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