第5話 覇者

ケンジを追いかけて最上階への階段をすっ飛ばしながら、コウスケは少しずつ冷静になってきていた。あのシンネンの本拠だ。ロケット・ランチャーや、鉄砲や、見たことはないが車とかいうものが、たくさんあるのではないか。俺たちはまだ、一度も撃たれていない。


 タケダ=シンネンが立ち上がって、こちらを向いた。顎に真っ黒な髭が生えている四角い顔は、壮年期の力強さをたたえていながら、そこには深い皺が刻まれていた。彼は黒い、それはもう黒いスーツを着ていて、手首に腕時計を嵌めていた。

 最上階の窓から西日が差し込んでいる。そして、その向こうにはヤマナシの人々が生まれたときから見上げている、あの見慣れた山脈がシルエットになって厳然と立ち上がっていた。


 ケンジとコウスケはシンネンに対峙した。ケンジは持っていた角材でシンネンに殴りかかった、が、やめてしまった。

 彼の脳裏には、乳呑児の頃に何度も何度も語られた、シンネンの英雄譚や、叙事詩が浮かんでいた。裸身一つでヤマナシを平定した。堤防を作った。田圃の数をずっと増やした。アヘンを栽培して国を豊かにした。どこまでが本当でどこからが作り話なのかよくわからない。しかし、シンネンが「お上」なのは間違いなかった。

 オカミを殺す、ナンテコト、デキルワケナイジャナイカ……

 母親を殴れないのと同じだ。父親の金を盗めないのと同じだ。いや、少し違う。明確に自分と身分の違う人間を、殺していいものか。逡巡があった。その一瞬の迷いがどんどん大きくなってケンジの動きを止めていた。

 コウスケも似たようなことを思ったようだ。動かずに止まっていた。


 シンネンが顔をくしゃくしゃにして笑って、言った。

「名をなんという?」

「ケンジ」

「コウスケ」

「お前ら、コーフに土地をやる。足軽衆を指揮しろ」

ヤマナシの覇者、シンネン、今度はガハハとわらった。

 すっかりクスリが切れたケンジとコウスケは、困惑しきってただ覇者の顔から目をそらすように立っていた。

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戦☆国☆乱☆世 いそガバ @yokan01417

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