終章

第43話 もう一人のあなたへ

 二年が経った。


「すいません。バス停はどちらですか?」


 駅の改札口で親子連れに尋ねられ、悠馬はスマホを手にする。

 首を傾げる親子にその画面を見せた。


『向かって左の遊歩道を降りたらすぐですよ』


 何度もお礼を言う親子に手を振り、悠馬はスマホに打ち込んだ文字を消す。


 今も化け物は悠馬の中で生きている。

 自分の発した言葉でどう現実を歪めてしまうか分からない。

 悠馬は自分の声を封印した。


 未だに血は黒く、時に暗い情動に駆られる。

 だが、決めたのだ。

 

 それを背負い、生きていくと。

 

 時計を見やる。

 楽しみでつい早く来てしまった。


 悠馬は時間つぶしにコンビニに入る。週刊誌が目に入る。

 その表紙には黒峯ヶ丘と大きく印字されていた。

 悠馬は苦笑する。

 

 こちらの世界でも黒峯ヶ丘は禁忌の土地となっていたようだ。

 住人は悠馬も含め、皆、行方不明になっていた。

 それがある日突然何事もなかったかのように戻ってきたのだ。


 踏切は消え、世界は元通り。

 生き残った黒峯ヶ丘の人々は恐ろしい記憶があるようで、悠馬を見ると飛んで逃げていった。


 そして、各地に散り散りになった。


 悠馬はぼんやりとこの二年のことを思い返しながらお菓子の棚を見て回る。

 見知ったお菓子があった。期間限定のサツマイモチップスだ。

 悠馬はそれを手に取り、レジに向かった。

 

 改札に戻ると、彼女は時計と改札を代わる代わる何度も見ている。

 そして、悠馬を見つけると目いっぱい手を振った。

 微笑み、サツマイモチップスの袋を渡す。


「今、食べていいか?」

『バスが出ちゃうから後で』


 目を輝かせる彼女にスマホの画面を見せる。

 彼女が頬を膨らました。

 

 かつてのことを思い返す。


 幸せになってほしかった。だが、自分が隣にいてはいけないと思っていた。

 今だってそうだ。

 自分がどれだけ彼女を傷つけたか。

 

 それでも傍にいたかった。

 そして、それでも彼女は傍にいてくれる。

 

 だから、伝える。


『好きだよ。亜里沙』

「な、なんなんだ! 急に!」


 亜里沙は顔を真っ赤にして叫んだ。

 周りの視線が集まり、彼女は悠馬の背に隠れるように縮こまる。


「どうして今言うんだ……。もっと家の中とか、プライベートな空間でだな……」

『今言いたかったんだ』


 画面を見せると、亜里沙がむくれる。

 そんな、彼女に悠馬は手を差し出す。


『手、繋ごう』


 亜里沙は無言で頷き、悠馬の手を握った。

 あたたかいその手は確かに悠馬と共に生きた亜里沙の手だった。

 

 あの日、触れることができなかったもう一人の亜里沙のことを思う。

 伝えたいことがある。

 

 ありがとう。

 俺は今、幸せです。


 ***


「高梨さん」

 

 上司に呼ばれ、彼女は速足にそちらに向かった。


 黒峯ヶ丘の禁忌は破れた。あの悪夢は終わりを告げた。

 それはひとえにことだま様であった悠馬が死んだからだろう。


 だが、そこにあった命は戻らなかった。

 その場所には内臓の飛び出た死体が溢れかえり、外傷のないものも死んでいた。

 アンデッドにされた者は皆、命を落とした。

 

 上司から書類を受け取り、ふっと窓の外を見る。

 

 最愛の人のことを思う。

 胸を抉られ、動かなくなった彼が最期の力を振り絞るように言った。


「ありさ」


 たった一言だった。

 

 その言葉にどういう意味があったのか今も分からない。

 だが、その時に彼が浮かべていたのは大好きな悠馬の笑顔だった。

 

 もう一人の彼はどうしているのだろう。

 もう一人の自分と仲良く暮らしているだろうか。

 

 最愛の人を奪った彼を今でも彼女は許していない。

 だけど、幸せであってほしかった。

 

 窓の外にはどこまでも澄み切った秋の空が広がっていた。


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パラレルワールドクライシス 針間有年 @harima0049

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