第42話 悪夢の終わり

 悠馬は動かなくなったそれの肉を喰らった。

 もうほとんど残っていないそれを取りこぼさないように口に含んでいく。

 

 早くしなければならない。

 全てを喰らい終え、あの願いを口にしなければならない。

 その瞬間を彼女に止められるわけにはいかない。

 

 ガラスが割れた音に顔を上げると、亜里沙を連れた高梨がそこにいた。

 彼女は亜里沙の鎖から手を放し、先生に駆け寄った。


「悠馬、悠馬!」


 彼はぐったりとし、口を開くことはない。

 高梨はそんな彼を抱きしめる。


「約束が違う……」

「うん。ごめん」

 

 先生を止めて連れ帰るのが高梨の目的だった。

 もうそれは叶わないだろう。

 

 だが、初めからこうするつもりだった。

 後悔はない。

 

 そして、悠馬は高梨に頭を下げた。


「亜里沙のことをよろしくお願いします」

「え?」

「もうすぐこの世界は消える」

「何を言っているの……?」

「高梨さんは元の生活に戻れるはずだ。だから、亜里沙も連れて行ってあげてほしい」

「篠倉くんは?」


 悠馬は穏やかに微笑んだ。

 その頬が強く弾かれる。

 

 悠馬の口から黒い血が流れた。

 高梨は強く悠馬を睨む。


「帰って」

「これは俺の問題だから、俺が終わらせる」

「そんなのどうでもいい」


 首を横に振る悠馬に高梨は一つ深呼吸するとその目をまっすぐ悠馬に向けた。


「『悠馬、ボクはまだ君と生きていたい』」


 放たれた亜里沙のような言葉。

 分かっている。目の前にいるのは高梨だ。

 それでも身体が強張る。


「『まだまだ悠馬と見たい未来があるんだ』」


 高梨が悠馬の背を押した。

 その先は虚ろな目でこちらを見やる亜里沙だ。


「私はもう悠馬と新しい思い出を作ることはできない」


 背中に高梨の声が当たる。


「だからせめて、もう一人の私だけは悠馬と未来を歩いてほしい」

「でも、俺は高梨さんの悠馬を殺した」

「……きっと、こうなると思っていたよ」


 驚いて振り返ると、彼女は泣き笑っていた。


「私は誰よりも悠馬を、そして、篠倉くん、あなたを見ていたからね」


 何も返せなかった。

 

 自分もまた同じだった。

 亜里沙を、高梨を、誰よりも見ていた。


「でもね、きっと許せない」

「うん」

「だけど、幸せになってね」


 高梨の笑顔が目に焼き付いた。


 悠馬は奥歯を噛みしめる。

 そして、震える声で別れを告げた。

 

 悠馬は背を向け、亜里沙の鎖を強く握った。


「帰ろうか」


 亜里沙はよく分かっていないようで首を傾ける。

 悠馬はそんな彼女の頭を撫でた。


 二人で踏切に向かいながら、悠馬は空に向かって口にした。


「死んだ篠倉悠馬は思いを伝えることができる」


 それが叶うかどうかは分からない。


 踏切にたどり着く。

 遮断機は開いていた。


 悠馬はもう振り返らない。

 亜里沙と共に線路を渡る。

 

 三年ぶりに戻ってきた自分の世界は先生によって狂わされていた。

 だから、悠馬は口にする。 


「この悪夢は今ここで、終わる」

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