第41話 報い

 悠馬は先生に根を張った心臓の淵をなぞるようにナイフを突き立てる。暴れる先生を力づくで抑え込む。


 心臓はなかなか外れない。

 だから悠馬はそれを抉った。

 

 抉っては口に放り込み、抉っては口に放り込み。


 そのうち先生の胸に三センチほどのへこみができた。

 その化け物を吐き出さないように、悠馬は口を押える。

 その隙に先生が悠馬の手を逃れる。


 その胸は歪に削れ、黒い血が滔々と流れている。


「何をする気なんだ……」


 先生は怯えたように悠馬を見る。

 悠馬はまだ言葉を発することができない。

 黒い心臓が喉の中で震えている。


「どうして笑っているんだ……?」


 笑っていたのか。そうかもしれない。

 今度は自覚しながら微笑んだ。

 そして、もう一度先生に向かい合う。

 

 自分がなすべきことを叶えるためにはまだ足りない。

 心臓を全て食べ終えなければいけない。

 

 篠倉悠馬はどこにも存在しない。

 そう口にし、全てを終わらせるためには。

 

 篠倉悠馬の存在が消えれば、この出来事も全てなかったことになるのではないか。

 黒峯ヶ丘は元に戻り、篠倉家の子どもは元より妹の友梨佳だけ。

 そんな世界ができるのではないか。

 

 踏切で二つの世界を繋げてしまったのだ。

 それくらいはやってほしい。


 そう、悠馬が望む未来は自分自身のものではない。

 この世界の、そして、亜里沙の未来だ。

 

 目の前がくらむ。

 それでも前に進み、青ざめた先生に近寄っていく。


「来るな!」


 そんな言葉ももう先生よりも化け物に近くなった悠馬に効くはずがなかった。

 おぼつかない足取りで、笑顔を浮かべながら先生を壁際に追い詰める。


 悲鳴をあげる先生を何度も何度も突き刺し、無心で肉を喰らい続ける。

 だんだんと思考が回らなくなってくる。

 頭に靄がかかったようだ。


 そんな中、耳に言葉を拾った。


「たすけ、て……。亜里沙」


 我に返った。

 かつて化け物の死骸を取り込もうとした時と同じだった。

 意識を乗っ取られかけていたのだ。冷や汗が湧く。

 

 そして、どうしようもない気持ちに襲われた。

 追い詰められた自分が助けを求めるのはやはり亜里沙なのだ。

 

 先生はもう動けないほど弱っていた。

 その身体を地面に横たえる。

 

 鳥が肉をついばむように先生の心臓を喰らい尽くしていく。

 何度も何度も吐きそうになった。

 それでも呑み込む。


 軽く咳をした後、自分の声が出るようになったことに気付く。

 目から涙をこぼす先生を見やる。


「ごめん」

「いたい……くる、しい……」

「うん」

「ありさ……あり、さ……」


 きっと自分のことだ。

 亜里沙を死んだことにしたのはきっかけが欲しかったから、それだけじゃない。

 

 亜里沙に醜い自分を見せたくなかったのだ。

 亜里沙の前だけでは優しい篠倉悠馬でいたかったのだ。

 

 先生はこの世界で、何度彼女の名前を口にしたのだろう。

 

 悠馬は先生の手を取る。


「大丈夫。亜里沙は生きるよ」


 もう振り払う力もなければ、握り返す力もない。

 そんな彼に悠馬は言う。


「でも、俺たちはやったことの報いを受けるべきだ」


 先生が微かに目を見開いた。

 そして、口を閉じ、瞼を下ろした。


 悠馬はナイフを振り上げる。


「さようなら。もう一人の俺」


 そのナイフは先生の胸板を貫通した。

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