第40話 未来へ

 鎖の音を立てて亜里沙が大人しくついてくる。

 目の前のアンデッドたちが引いていく。


 それは命令をしたからだ。

 拡声器はもう置いてきた。きっといらない。

 

 悠馬は咳込み、その場に蹲る。

 手にこびりつく血の違和感に顔をしかめながら、また歩き出す。


 亜里沙の家は相変わらず燃えていた。

 黒くしつこい憎悪がまだ火柱を上げている。

 自分の心の中にも燃え続けているのを知っている。


 捨ててはいないのだ。

 

 先生の家の前はアンデッドが固めている。

 その中でもがく高梨が見えた。

 会いたくなかったが仕方ない。


「去れ」


 悠馬が一つ声をかけるとあっという間にそれらは引いていった。


「篠倉くん、どうしてここにいるの!」


 高梨が目を丸くし、駆け寄ってくる。

 悠馬は手から鎖をほどき、彼女に手渡す。


「高梨さん、亜里沙と一緒にここにいてくれる?」

 

 受け取らない高梨に悠馬は押し付けるようにしたが、その手は払われ、鎖が地面に落ちる。


「亜里沙ちゃんを守るのはあなたの役目でしょう?」

「お願い」

「駄目」


 悠馬は覚悟を決め、指を噛み切った。

 そして、その指で高梨の手の甲をなぞる。


「亜里沙と一緒にここで待っていろ」


 強く静かに言った。高梨の動きが止まる。

 その手に鎖を握らせた。

 高梨は悠馬の血の付いた自分の手を見つめる。


「悠馬、なの……?」

「違うよ」

「だったらどうして……」

「ごめんね」


 悠馬は微笑んだ。

 二人に背を向ける。


 蔦に覆われたグロテスクな家の前に立ち、扉に手をかける。


「おかえり」


 先生が朗らかに悠馬を迎える。

 

 一度先生が家に来たことがあった。

 悠馬はその時のことを思い出す。


 先生を殺そうとした。亜里沙に止められた。

 殺しておけば、こんなことにはならなかっただろうか。

 そう思う時もあった。


 だが、あそこで亜里沙が止めてくれなければ、きっと悠馬は壊れていただろう。

 今はそう思える。


 通されたリビングは相変わらずきちんと整頓されていて生活感がない。

 椅子に座る。

 すっかり元通りになった手で先生がカーテンを全開にした後、悠馬の正面に腰を下ろした。


「ねえ、理想郷だと思わない?」


 窓の外に見える地獄の様相に悠馬は頬を緩め、頷く。


「うん、そうだね」

「わあ、やっと理解してくれた。嬉しいな」


 照れ笑いを浮かべた先生が身を乗り出してくる。


「悠馬の世界の人間はまだ生かしてあるよ。ちょっと殺したけどさ。でも悠馬のために取っておいたんだ。いつか分かってくれると思っていたから。だから――」

「ねえ、気になってたんだけどさ」


 悠馬は先生の言葉を遮り、問う。


「どうして俺にそんな気を遣うの?」

「だって俺もお前も篠倉悠馬じゃないか」

「俺さ、自分のことなんて大嫌いなんだけど」


 先生が目を見開いた。

 その口元にやがて嫌な笑みが浮かぶ。


「そうだよな。俺に嘘が通じるわけがないよな」


 小さく自嘲的な笑みをこぼすと、彼は窓の外に目をやる。


「ねえ、俺のやってることってさ、間違いだと思う?」

「……」

「あの日、アレを、化け物を喰らった俺は間違っていたと思う?」


 先生の横顔はどこか苦しそうに見える。


「実はさ、俺、時々呟いていたんだ。『あの日に戻れたらいいのに』って」

「奇遇だね。俺も時々、そう口にしていた」


 確証は持てない。だが、二人の篠倉悠馬が同じ願いを口にした。

 それが二つの世界を繋げる踏切ができた原因かもしれない。


「俺は許せなかった。踏切を渡ってきた篠倉悠馬は亜里沙を宝物みたいに守っていた」

「うん」

「それがたまらなく気に入らなかった」


 先生が唇を噛む。


「お前だって亜里沙が憎くてたまらないくせに」

「うん」


 悠馬は穏やかに返事をする。

 先生の顔に苛立ちが浮かぶ。


「亜里沙さえいなければ、亜里沙さえいなければ! あの化け物を喰うまでに何度そう思ったか」

「うん」

「亜里沙さえいなければ、復讐なんて簡単にできた。亜里沙が笑うから、亜里沙が愛しいから。その愛しさが憎しみだった」

「だから、亜里沙を殺したことにしたんだね」


 先生は崖から落ちた高梨が生きていたことに気付いていたはずだ。

 本当に殺すつもりだったらきっと徹底的に嬲り殺していただろう。


「亜里沙というしがらみさえなければ、篠倉悠馬は復讐ができる」


 悠馬の言葉に先生は黙った。


「ねえ、先生。いや、悠馬。本当は気付いていたんだろう?」

「何に?」

「復讐を捨てたいと思っている自分に」

「何を言ってるんだ?」

「だから、俺はそちらを選んだ」


 怒りの滲んだ先生の声に悠馬はひるまない。


「だけど、捨てられるものでもなかったんだよ。怒りも、憎しみも」

「そうだよね? そうに決まっている!」


 浅く笑いながら先生が叫ぶ。


「忘れられるわけがない! だから悠馬は戻ってきたんでしょう? ねえ!」

「違うんだ」


 悠馬は静かに答える。


「忘れられなくても、たとえ、許せなくても、前に進めるって分かったんだ」


 三年前の自分は全てを捨て去ろうともがいていた。

 怒りも憎しみも存在してはいけないものだと思っていた。 


 だが、自分の心に気付いた。


 黒峯ヶ丘への怒りはやまなかった。

 父のことが憎かった。

 そして、亜里沙が愛しかった。


 それはどれも事実で、どれも大切なものだった。

 それを認めた時、自分自身が戻ってきた。


「俺は一生忘れない。あの出来事も、この恨みも」


 悠馬は放つ。


「それでも、未来に期待したい」


 それが今の悠馬の答えだった。


「未来、未来ねぇ。なんて綺麗事なんだ」


 先生が俯き、肩を震わせ笑う。


「もう俺とは違う生き物じゃないか」

「そうかもね」

「今の悠馬には俺がどう映るの? そりゃもう哀れだろうね」


 悠馬は首を横に振る。

 初めて先生と出会ったあの日から思い続けてきたことをやっと口にする。


「俺はお前が羨ましくてたまらない」


 先生の顔から表情が消える。


「復讐をしつくしてみたかった。だけど、俺にはできなかった」


 それはどこまでも本音だった。


「だから、俺は俺の道を行くよ」

「何を言ってるのか分からないな」

「復讐できなかった篠倉悠馬は、未来を望むよって話」


 穏やかに言い放った悠馬に対し、先生はその顔に怒りを滲ませる。


「お前は俺が一番殺したい篠倉悠馬だ」

「そうかも」

「未来を生きようとする俺なんて殺してやる」


 先生が椅子から立ち上がる。

 悠馬は静かに、強く声を放った。


「お前は俺を殺せない」


 先生の動きが止まる。


「え……?」

「俺は死なないよ」


 穏やかに笑い、悠馬は椅子から立つとポケットからサバイバルナイフを取り出す。


「動ける」


 言葉少なに呟いた先生の動きがまた戻る。

 悠馬はまだ動きがぎこちない先生に向けてナイフを振りかざした。

 先生は身を翻す。

 

 だが、結局はただの高校生だ。目立って機敏な動きができるわけでもない。

 落ち着いてナイフを動かせば、彼に傷を与えるのは簡単だった。

 先生の頬に血が流れる。


「どういうことだ?」


 先生の問いに悠馬は微笑む。

 喉からこみあげてくるものを抑えきれず咳込んだ。

 口から血が流れる。

 

 その色は黒。


 血の付いた手のひらを先生に見せる。

 彼は目を見開いた。


「さっき、手首をもらったでしょう?」

「まさか……」

「そう。あれを食べたんだ。ものすごく不味かったよ」


 先生はあの化け物を食べて化け物になった。

 ならば自分は化け物である先生を喰らえばいい。

 悠馬は先生の手首を喰らった。


 自分が中から変えられていくようなおぞましい感覚にのたうち回った。

 今だって体中が痛み、頭痛が止まない。

 だけど、そうでもしないときっと勝てない。


 悠馬はナイフを振り回す。先生はそれを避けるために言葉を放ち、壁を作り、刃物を出すが、悠馬はそれを言葉で消していく。

 ナイフに気を取られた先生の足をすくった。


「あ」


 先生が体勢を崩した隙に地面に押し倒し、その口をふさぐ。

 ワイシャツを引き裂きその胸をはだけさせた。


 黒く染まった心臓が心音を立てている。

 それが、どくん、と鳴った瞬間血が沸き立った。

 

 そうか、この心音か。

 

 今更ながらに気付く。

 この心音がなければ血は機能しない。

 

 そして、導き出される結論があった。

 

 赤い血を吐き、黒い血を取り入れ、化け物になった人々はこの心音が途切れたら死ぬのではないか。

 つまり、先生を殺せば亜里沙も死ぬ。


 結局、取るべき道は一つだった。

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