第二章 逢魔②

 現世と幽世の境目は、たがいの世界のいんようの気がだくりゆうのように混じり合うためか、どこも非常にみようかんきようとなる。例えば、周辺に群生している樹木が高層ビルほどの大きさまで巨大化したり。水中を泳ぐはずの魚が、風の流れに乗って彷徨さまよっていたり。虫たちの身体が色とりどりの光を放って、まるで星空が大地に降りてきたかのような光景になったり。

 このような場所のほとんどには、境目の印となる巨大な〝鳥居〟が建造されている。この鳥居こそが〝幽世門〟と呼ばれるものであった。

 川堀のらいを受けた如月屋はまず二手に分かれて、各自仕事をすいこうすることになる。一つは、最近川堀が〝巨大異形〟をもくげきしたという、現世と幽世の境界である〝幽世門〟周辺を捜索する朝緒と逢魔、川堀の現地捜索組。そして、さらに〝巨大異形〟に関するほかの目撃情報等を収集する雨音、弥朔、桃の二組に分かれ、行動することとなった。

 川堀との初顔合わせの翌日。朝緒たち現地捜索組一行は、その幽世門の一つへとおとずれていた。

「いやあ……ここのは何度も見てるはずなんだけど。いつ見ても幽世門はげんそう的で、本当にれいだ……!」

 川堀が、目の前に広がる光景にかんたんの声を上げる。そのとなりに並ぶ朝緒も、息を呑んで幽世門を見上げた。

 目の前には、高層ビルほどの高さをほこる巨樹がそびえ立っている。その巨樹の太い幹の中にできたうろに、巨大な鳥居──幽世門がまれていた。あの門をくぐった先に、異形たちの世界である幽世があるのだ。

 きりがかかった幽世門周辺の、この世のものとは思えない光景に見入っている朝緒に、川堀が楽しそうに話しかけてくる。

「朝緒くんは、幽世には行ったことある?」

「あ……いや、俺は一度も。川堀さんは」

「飛でいいよ! 俺、今年で十九で、もうすぐ高校二年生の朝緒くんとは、としが近いし。仲良くしたいからさ。かたくるしいのはナシで!」

 気さくで明るい川堀に、朝緒は小さく笑って頷く。

「……わかった、ありがとう。じゃあ、飛は幽世に行ったことがあるのか?」

「実は一度だけある! ……といっても、ひいらぎれんの任務の最中にちょっとのぞき見したくらいなんだけど。でも、少しの間覗いただけでもわかった……幽世はここよりも、もっと凄い景色で! まるで異世界にいるみたいだった……!」

「実際、幽世は異世界そのものだろ」

「あ、確かに」

 異形に対する考え方が近いおかげか、すぐに打ち解け合った朝緒と川堀。そんな二人に、ここまで来るのにずっと黙っていた逢魔が口を開いた。

「無駄話は終わった? 川堀、と──きみ、何だっけ」

 逢魔は無表情で首をかしげながら朝緒を見る。

(こいつ……! 俺は眼中にもねぇってことか!?)

 朝緒は額に青筋をかべ、今にもり散らしそうになるのをこらえながらも、顔を引きらせて逢魔をり返った。

「……朝緒」

「アオ。特にきみは死にそうだから、もっと気を引きめた方がいいよ」

 逢魔はすずしい顔でそう言うと、朝緒たちを置いて先を歩き出す。朝緒は逢魔の言葉に更にけんしわを深くしたが、だまって遠くなった逢魔の背中を追った。かん役であるからには、逢魔から目をはなすわけにはいかない。川堀もあわてて朝緒に続く。

「假屋さん、厳しいな……柊連でも、気難しいひとがらってうわさ程度に聞いてたけど」

「あいつは異形を見つけだいくつつけて殺しにかかる可能性がたけぇから要注意だ。なるべく先に俺たちで見つけるぞ」

 しばらく幽世門周辺をたんさくしていた三人であったが、ふと、さいこうを歩いていた川堀が立ち止まってその場にかがみこむ。それに気が付いた朝緒も、すぐに足を止めた。

「おい、てめぇ! ちょっとそこで待ってろ!」

 朝緒は前方を歩く逢魔の背中に声を掛けた後、川堀へとけ寄る。

「飛? どうした」

「あ、うん。ちょっと、これ見て」

 川堀が近くにあったしげみを掻き分けて見せる。朝緒も川堀にならってその場に屈みこむと、茂みの中を覗き込んで、目を見開いた。

「……こりゃあ、異形の血か?」

 茂みの中には、すでい赤茶色へと変色したけつこんがあった。古い血痕なのでようなどは感じられないが、それが異形の血だと察した朝緒はまゆをひそめて川堀を見る。川堀は、朝緒の視線に強く頷いた。

「たぶんね。近くに、傷ついた異形がいたのかも……もしかしたら、俺たちがさがしてるきよだい異形かもしれない」

「ああ。じゃあここら辺があやしいか。あいつにも知らせねぇと……って」

 二人は立ち上がって、辺りを見回す。そして、互いの顔を見合わせて首をひねった。

「あ、あれ……? 假屋さん、さっきまでそこにいたのに」

「……いねぇな」

 少しだけ目を離したすきに、逢魔の姿が見えなくなってしまった。朝緒と川堀は、急いで逢魔の姿を捜し回るが一向に見つからない。

「やっぱり假屋さん、いないね。まあ、假屋さんは天下の五天将だから、単独行動でもだいじようだと思うけど……」

「あの狂犬クソろう……! いつまでも好き勝手やりやがって!」

 朝緒はかみを片手で掻き乱し、いらって声をあららげる。一方、川堀はそんな朝緒をなだめるように、ひかえめな声でたずねてきた。

「そういえば、朝緒くんってあの名門如月家の本家の人だよね。やっぱり、如月流のはらいのわざを会得してるの?」

 祓いの御業。それは、人間の体内にせんざい的にめられている能力〝祓いの力〟を引き出し、異形に立ち向かうためにわざと成したものである。異形殺しや祓い屋は、祓いの力を用いた祓いの御業を使う者も少なくない。

 如月家はかつて、古くから名うての異形殺しや祓い屋を多くはいしゆつした名門旧家であったが、近年は全くを取っていないため、今はほとんど如月流の使い手はいない。朝緒は、数少ない如月流のこうけいしやの一人であったのだ。

 朝緒は川堀の問いに、いつしゆん身体からだを固まらせたが、何やらバツの悪そうな顔をして川堀を振り返る。

「……御業の会得は、してる。ガキのころからジジ……親父おやじと兄貴からてつてい的にたたきこまれたからな。だが……」

 そこで、朝緒はとうとつに口をつぐみ、大きく目を見開いた。川堀の背後にある黒い雑木林をぎようする朝緒に、川堀も立ち止まって首を傾げて見せる。

「あれ。どうかした? 朝緒くん」

「……痛いくらいに、荒ぶってる妖気を感じる」

 目をらすと、雑木林の中で大きな何かがうごめいているのが確かに見えた。朝緒は確信をもってつぶやく。

「異形だ」

 朝緒の呟きと共に、雑木林の木々がごうおんを立ててはじけ飛んだ。穴の開いた雑木林の中からは、十メートルほどの長さをした巨大な百足むかであやかしが飛び出してくる。それを目にした川堀は、こしげている刀のつかに手をばしながら朝緒にさけぶ。

「あれだ! 俺が見かけた巨大異形は!」

「あいつは、大百足……? にしちゃあ、デカすぎる。つうの大百足は一、二メートルくらいだろ」

 朝緒はいぶかしむが、その間にも大百足は朝緒と川堀に向かってとつしんしてくる。二人は突進してきた大百足を、それぞれ左右に転がってとつけた。

(何だ、あの大百足……巨大化してる上に、われを失ってんのか? 妖気もふくれ上がって安定してねぇ)

 朝緒は明らかに様子がおかしい大百足を、起き上がりざまに目を細めて更に観察した。すると、ぼんやりと大百足の身体のあちこちに〝じや〟のような模様がいくつも浮かび上がっているのに気が付く。

(……どうにもみようだ。とにかく話ができるか試してぇ。暴走気味の異形は、害悪異形にんていされちまう。だが、幸い今はあのきようけんろうもいねぇ。あいつに見つかる、その前に)

 朝緒はひだりうでそでばやまくり上げる。あらわになった朝緒の腕には、いくつもの小さなすずがついたくみひもが巻かれていた。

「まずは、しずめる」

 リン、リン、リン、と。朝緒が三度鈴を鳴らす。すると、大百足が朝緒の方に頭を向けた。大百足はのたうち回るように身体をふるわせながら、ゆっくりと朝緒にせまってゆく。朝緒は大百足をギリギリまで引き付けて、軽く両手をかかげた。

如月きさらぎりゆうふつじゆつ──じよしきおにおどし〟」

 カン!

 朝緒のかしわが、まるでひようごとく高らかに鳴りひびいた。その音を受けた大百足は、ビタリと身体の震えと動きが止まる。すると、静かに地へとくずれ落ちた。

 朝緒が放った祓いの御業は、大気中にあるかすかな祓いの力を鈴の音を用いて集結させて柏手の音と共に放ち、少しの間、異形の五感をくるわせるめずらしい技だ。それが完全に大百足へと効いたと見た朝緒は、小さく息をいて大百足へと歩み寄る。ところが、大百足をはさんで反対側にいた川堀が、腰に差していた刀をき去って、朝緒に制止の声を大きく上げた。

だ……! 止まれ、朝緒くん!」

 川堀の叫びは、つんざくぜつきようを上げてねるように再び起き上がった大百足によってさえぎられる。大百足は長いとつぷうが巻き起こる勢いで振るい、近くにいた朝緒をはらう。朝緒は尾がぶち当たる直前に、帯刀している二本の内の一本の刀を抜いて、大百足のこうげきを受け止めた。

「がっ……ああ!」

 しかし、力で押し負けた。朝緒は大百足の尾にっ飛ばされ、地面を転がる。全身を打ち付けたしようげきと痛みにもだえながらも、すぐさま朝緒は身体を起こした──が、眼前には既に、大百足のするどい尾の先が迫っている。

とまりゆうふつじゆつ──しき竹根蛇ひばかりながれ〟」

 朝緒の前に川堀が立ちふさがり、大百足の尾によるとつを、むちのようにしなやかに振るった祓いの御業でそうさいした。それでも大百足の刺突の衝撃を受け止めきれず、川堀は地に膝をつく。

 ついには、大百足の大口が迫ってきた。朝緒は刀を地面にき立てて立ち上がると、前に出ている川堀をかばおうと無心で腕を伸ばす。

「人間にあだなす異形は──」

 不意に、ちがいなほど無機質な声が、するりと耳をでる。

 朝緒と川堀の前にはいつの間にか、スーツの後ろ姿──逢魔の背中があった。

すべて、ぼくが殺す」

 逢魔はおのれの眼前にまで来た大百足の頭を、ゴウと重い風の音をまとった回しりではるか後方へと蹴り飛ばす。そして、近くにあった大百足の尾の先から、宙にいている長いどうたいの上を風よりもはやく走り抜け、一瞬前にはじき飛ばした大百足の頭上へとかろやかにトン、とび──そのまま、ギュルッとすさまじい回転をつけたかかととしで大百足の頭をく。

 ドォン! まるでかみなりでも落ちたかのような轟音を立て、大百足の頭は地面へとげきとつし、大きなクレーターまで作った。

 しばらく、辺りがせいじやくつちけむりに包まれる。土煙が晴れ、クレーターの中心で大百足の頭のそばに立つ逢魔の姿が現れてからようやく、ぼうぜんとしていた朝緒は我に返った。

『……カ……タ……』

 ふと、逢魔の足元から微かに異形の声が聞こえた。朝緒はそれを確かに聞き取って、反射的にけ出し、逢魔の前で力なく横たわる大百足に膝をついてれる。

「おい、大百足! 正気にもどったのか? しっかりしろ! おい!」

 朝緒は大百足の頭を手でさすって、何度も呼びける。大百足は弱々しく震えながらも、か細く、どこかうつろな声をぽとりと落とした。

『カ、エ……リタ……イ』

 朝緒は大きく目を見開いた。大百足は「帰りたい」と、そう言ったのだ。

 正気に戻っている。そう確信した朝緒が、再び大百足に呼び掛けようとした声は、じゆうせいによって遮られた。

 ドン、ドン、ドン。三発の銃声が、間近で低くとどろく。大百足の額には、三つの穴が空いていた。震えていた大百足の身体は、もうピクリとも動かない。

 朝緒はかわききった青いひとみで、おもむろに逢魔を見上げる。大百足に三発のじゆうだんち込んだ逢魔はすでに、銃をスーツの下にあるホルスターへとしまおうとしていた。

 ぎちりと、食いしばった歯がきしむ。朝緒は音も無く立ち上がると、逢魔のむなぐらめ上げるようにつかんだ。

「何で殺した」

 静かな声は、冷たいいかりに満ちていた。逢魔は目を細めて朝緒に答える。

「害悪異形だからに決まってる」

ちげぇ! 今、こいつは……確かに正気を取り戻していた! もう、だれかを傷つける力もなくなって、幽世に帰りたがってた! そいつを、何で……わざわざ殺す必要があった!?」

「あれだけで、どうして正気に戻ったと言える? それに、きみは自分がたった今、この異形によってどんな目にったのか理解してる?」

 逢魔の無機質な声が低められ、さらに冷めたものとなる。

「きみはたった今、死にぎわにいたんだ。ぼくがいなかったら、きみは確実に死んでいた。ぼくは、人間は守ると決めている。だから、確実に殺す必要があった。きみと川堀が死なないために」

「……!」

 朝緒は目をみはって、息をんだ。逢魔の言うことに、筋が通っていたからだ。

 実際、逢魔があそこまで大百足を弱らせなければ、大百足は正気に戻らなかった。大百足が正気に戻ったのも、一時的だったのかもしれない。逢魔がいなければ、朝緒は何度死んでいたかわからない。川堀も、死なせていたかもしれない。

 だまりこくった朝緒を見た逢魔は、小さく鼻から息をらして、自分の胸倉を締め上げる朝緒の手を外そうとする。しかし、逢魔の手から反射的にげて、朝緒は手をぱっとはなした。

「朝緒くん、假屋さん! 無事ですか!?」

 そこに、川堀が駆け寄ってきた。逢魔は川堀にうなずいて見せると、死んだ大百足を観察するように身をかがめる。朝緒も視線を下げて、再び大百足を見ると──もう既に、そこには生前の大百足の姿は無く。真っ赤な血と灰だけが残っていた。

 実体の存在がうすい多くの異形は、死んでしまうと肉体はすぐに崩れ去り、かいじんと血しか残らないのだ。

 あおざめた顔で大百足の血と灰をひたすらに見つめ続ける朝緒を心配したのか、川堀によって近くのかげへと移動させられて、しばらく休むことになった。

 川堀はいまだに黙り込んで、死んだおお百足むかでの方を見つめている朝緒に、明るく声を掛けてくる。

「やっぱり、朝緒くんもはらいのわざが使えるんだね。しかも、今はほとんど使い手のいない如月流でしょう? 大百足をひるませたあの祓いの御業、初めて見た! ほんとにすごいよ!」

 川堀の言葉に、朝緒は力なく首を横にって答える。

「違う……俺は……」

 朝緒は平常、祓いの御業は、大気中にあるほんの小さな祓いの力を利用する如月流の序式しか使えない。己の体内に宿る祓いの力を使ったわざは、使うことが出来なかった。

 しかし、それを朝緒は川堀に言い出せなくて、思わず押し黙ってしまう。

「? ……朝緒くん?」

 心配そうに、川堀が首をかしげて朝緒を見る。そんな川堀の視線から逃げるように、朝緒は今まで目をそむけてきた〝人間である己の弱点〟を今一度、内心でひそかになぞった。

(俺の身体からだには、ほとんど祓いの力が無い。だから、祓いの力が高まる〝夜明け前〟のほんの短い時間しか、祓いの御業は使えない……どんだけたんれんしようと、どうしてもいつでも使えるようにはなれなかった)

 つまり、朝緒が平常時に祓いの御業をほとんど使えないのは、半異形であるからだ。異形のようあつかえても、人間が持つ祓いの力が、朝緒は生まれつききよくたんに弱かったのだ。そのため朝緒は、祓いの力が高まるとされる聖なる時間帯の〝夜明け前〟にしか、祓いの力を引き出すことができない。

 朝緒は未だ虚ろな視線を、大百足であった灰塵と血だまりにい留めたまま、ぽつりとこぼす。

「……俺は弱い」

「違う。その考え方は、自惚うぬぼれに近い。きみは甘いんだ。何もかも」

 朝緒の弱々しいつぶやきに、否定の声が重なる。顔を上げると、さっきまで死んだ大百足の灰を何やらたんねんに調べていた逢魔が、すぐ目の前にいた。

 朝緒は思ってもみなかった逢魔の言葉を受け、おどろきのままに目をまたたかせる。

「きみの思想はどうでもいい。だけど、死にたくないのであれば。戦いの最中は、ちゆうはんな甘い考えは捨てるべきだ」

 朝緒は逢魔というあつとう的強者からの正論に、顔をゆがめる。逢魔はくるりと朝緒たちに背中を向けると、へともなく歩き出した。一応、逢魔のかん役を任されている朝緒はとつに立ち上がって、逢魔を呼び止めようとする。

「おい」

「もう、監視は必要ない。ぼくは帰る。雨音への報告は任せたよ」

 そう言って、逢魔の背中はすぐに小さく遠ざかってゆく。

 こうして、その日のそうさくは昼前には終わったのだった。



   ◇  ◇  ◇


 続きは本編でお楽しみください。

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ルール・ブルー 異形の祓い屋と魔を喰う殺し屋 根占桐守/角川ビーンズ文庫 @beans

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