第二章 逢魔①

「はあ!? あの狂犬ドブカス野郎が、柊連の〝てんしよう〟!?」

「あれ。朝緒、おまえそんなことも知らなかった? つーか、假屋にしんらつ過ぎて笑う」

 如月屋に新人従業員の假屋逢魔が加入してから数日ち。

 今日は先日、雨音が話していた「新しい仕事」の依頼人との初めての顔合わせの日だが、予定の時刻よりまだ時間があるため、朝緒は庭でとんを干していた。如月家の家事は兄の雨音と分担してやっているが、如月屋の店主である雨音はいそがしいことも多いので、そのような時はそつせんして朝緒が多く家事をこなしていた。それに元来、朝緒は家事をすることがきらいじゃない。

 いつものごとく家事をてきぱきとさばいていた朝緒は、しきえんがわちやまみながら胡坐あぐらをかく桃がふとこぼした発言に、きようがくした声を上げてり返った。

「〝五天将〟といえば……柊連の最高戦力。最強の五人の異形殺しのことだろ……?」

 朝緒の問いに、桃が長い指で摘まんだみをかたむけて、茶をすすりながら答える。

「ん。しかも假屋は、大昔から異形殺しを多くはいしゆつしてきた名門旧家の出自じゃねぇ。九州のド田舎いなか出身、どこぞの馬の骨とも知れねぇ野郎がすいせいの如く現れて、柊連入隊から間もなく五天将までのぼりつめちまった。近年の柊連じゃ一番注目されてる出世がしらだな。ま、その分異形だけじゃなく人間にも敵が多いが」

「……そんなとんでもねぇ野郎が、なんでこんな所でぶらついてやがる!」

 桃が言うには、如月屋の新人、逢魔はげんえきの柊連最強の異形殺しの一人、五天将であるらしい。それを聞いた朝緒は、険しい顔で桃へと問いめる。ちかごろの朝緒は、かん対象である逢魔がとる単独行動の数々に振り回されており、逢魔の話となると頭に血が上りやすいのだ。

「ああ。假屋の馬鹿、他のヤツの仕事をっちまうくらい、害悪異形を殺しまくったらしくてな。しかも、柊連の上の連中の指令まで無視する始末で、とうとう五天将でありながらきんしんくらったんだ。謹慎つっても、仕事を回してもらえなくなった程度らしいが……っふ。何度聞いても笑える話だと思わねぇ?」

 口元に片手をえて笑いをこらえている桃に、朝緒がさらに詰め寄る。

「永遠に謹慎くらってりゃいいんだ、あのクソ野郎は! ……で、何がどうなって柊連で謹慎くらったバカが、ウチではらの仕事することになってんだよ!」

「そりゃあ、おまえ。俺がかんゆうしたからな。ウチに来いって」

「あ……?」

 朝緒から地をうような低い声が漏れる。それにも構わず、桃はおもしろ可笑おかしそうに話を続けた。

「いやー、あいつ滅多にあの無表情くずれねぇからさ。存在そのものがムカつくだろうウチに来たら、イラついてる顔でも拝めるかと思って……今でも楽しみにしてんだよ。雨音はちょいとしぶってたが、閃のじいさんはそくとうで良しと受け入れたもんだから、案外楽で助かった──おっと?」

 静かに桃のもとへと歩いてきた朝緒は、桃のむなぐらつかみ上げ、おもむろにこぶしを振り上げる。桃はズレたまる眼鏡めがねもそのままに、小さく笑いをこぼした。

「……いっぺんぶん殴られろ、桃。そしてあの放浪爺は次帰って来た時に殴る!」

「乱暴。まあ、そうこわがんなって朝緒。おまえが半異形だってのは、俺でも言われねぇと気が付かなかったんだ。現にクラゲや、あの異形にびんかんな假屋すらも気付いてねぇだろ? おまえのようの化け術はじんじようじゃなく強い。そうそうバレやしねぇよ」

 小声でささやいた桃に、自分の一番大きな不安をかされていることがわかって、朝緒は顔をしかめた。

「……」

 黙り込んで桃の胸倉から手を離すと、そのまま背を向ける。

 現在、如月屋で朝緒が半異形だと知るのは雨音と閃、そして昔から如月家に入りびたっている桃の三人だけだ。半異形は、人間にも異形にも命をおびやかされる危険性がある。そんな危険をかいし、または危険に誰も巻き込まないために。朝緒が半異形である事実は、現在はなるべく秘密にしている。しかし、朝緒は弥朔にまで秘密にしていることに、ひそかに罪悪感を覚えていた。

 まだ祓い屋見習いの弥朔を危険から遠ざけるためとはいえ、隠し事をつらぬき通すのは気が重い。まるで嘘をついているような気がして、朝緒は隠し事というものが好きではなかった。

 よみがえった罪悪感を振りはらうように頭を振ると、うでけいを見て、再び桃を振り返る。

「そろそろ、依頼人との顔合わせだ。いってくる」

「おー。いってこい。俺はしばらくここでひるだな」

 だらしない桃の発言にめ息をきながら、朝緒は半眼で桃を見下ろす。

「お前……これから柊連で仕事あるとか言ってなかったか? 五天将候補だろ、一応」

「いーんだよ。俺、柊連好きじゃねぇし。五天将にも一生なるつもりねぇから」

 桃もずいぶんと昔から、逢魔と同じく祓い屋をけんぎようする異形殺しであった。そのうえ、次期五天将に最も近いと名高く、史上最年少で五天将候補に選ばれるほどの天才異形殺しである。逢魔を如月屋の新人にとしようかいしてきたころの口ぶりからして、逢魔とは友人関係でもあるようだった。

 のんせんべいを食べている桃は、あのかいぶつの如き逢魔と同じ異形殺しにはとうてい見えない。だが、その確かな実力を知る朝緒は、ぽつりと独り言のようにつぶやいた。

「桃と、あのきようけんろう。どっちが強いんだろうな」

 煎餅を大きな口で食べ終えた桃は、ニイッといつものようにあやしく口角をり上げて、確信めいたみをかべると、泣きぼくろの散った目を細める。

「ばーか。俺のが強いに決まってる。当然のことを聞くな、朝緒」

 朝緒は桃の言葉に大きく目を見開いた。そして、思いがけずあきれも混じった声で小さくき出して、再び桃に背を向ける。

「バカはお前だ、ぐうたらヒモ男。何もすることがねぇなら、干した布団、中に入れとけ」

「えー、まじか」

 いやそうな声を上げる桃にも構わず、朝緒はもうすぐ訪ねてくるらい人をむかえるため、屋敷の正面入り口へと向かった。



 屋敷の応接間にて。朝緒は台所から持ってきたお茶を依頼人に差し出すと、ソファーに座る雨音のとなりへとこしける。逢魔は一人、椅子いすにも座らずとびらの近くで静かにたたずんでいた。

(あいつ……いつ見ても、気持ち悪いほど無表情すぎる)

 朝緒は逢魔という監視対象を改めて観察してみたが、まゆの一つも動かさない人形のような逢魔の横顔に思わず苦々しくかたすくめて、視線を依頼人の方にもどした。

「改めまして。私は如月屋店主の如月雨音と申します。今日はわざわざご足労いただき、きようしゆくです。かわほりさん」

「……い、いえ、こちらこそ。お茶まで出していただいて、ありがとうございます」

 依頼人の名は、川堀とびひとなつっこそうな笑みがまぶしい、せいかんな顔つきの年若い青年。おそらく、年は朝緒と近い。

 川堀は軽くしやくした雨音に同じく会釈を返しながらも、どこか落ち着きのない様子できょろきょろと視線を泳がせている。それにすぐ気が付いたのか、雨音はいつものぶつちようづらわずかに崩して川堀にたずねた。

「何か、気になることでも?」

「あ、えーっと……だ。すみません、つかぬことをお聞きしますが……そこにいらっしゃるのは、ひいらぎれん五天将の假屋逢魔さんでは……?」

 そういえば、川堀は柊連の異形殺しだという話を雨音から聞いていた。ならば、同じ異形殺しであり、五天将である逢魔の顔を知っていてもおかしくはない。

(桃が言ってた通りか……信じがてぇ)

 逢魔にしようけいの目をかがやかせる川堀。それを見て、やはりあの殺し屋のような逢魔がえいゆう的存在であったことを思い知った朝緒は、内心でぼやく。

 雨音はだまったままの逢魔をうながすように視線をす。それを受けた逢魔は、小さく息を吐きながらも川堀へと答えた。

「そうだけど」

「や、やっぱりですか! すごい……! 五天将の人なんて、俺みたいな平隊士にとって雲の上の存在ですから! お話しできて光栄です! ……それにしても、なぜ五天将の假屋さんが、こちらの如月屋さんに」

「ぼくのことはどうでもいい。早く依頼の話に移ってくれる?」

 冷めた逢魔の声にさえぎられて、川堀は固まってしまう。朝緒は、視線だけを動かして逢魔をにらみつける。そこで、険悪な空気を見かねた雨音が一つせきばらいをして、話に割って入った。

「逢魔は今休養中でして。そんな中でもえんあって、ウチの手伝いをしてくれているのですよ。──それでは、本題に入りましょう。川堀さんのご依頼は〝きよだい異形のそうさく〟とのことですが。こちらをくわしくお聞かせいただいても?」

「ああ! なるほど、そうなんですね。……それにしても、いきなり失礼しました。では、さっそく今回の依頼についてお話しさせていただきます」

 川堀はしようを零しながらも、ていねいに依頼内容について語ってくれた。

ちかごろ、この〝うつし〟にあるかくりもん周辺にとつじよ姿を現すようになった巨大異形たちをさがし出し、〝幽世〟に帰すのを一か月の間、如月屋さんにお手伝いしてほしいんです」

 この世界は、二つの世界にわかたれている──あるいは、二つの世界がかすかに混じり合って、一つの世界と成っているとわれている。

〝現世〟とは、主に実体の存在がい人間や動植物の世界を指し。〝幽世〟とは、主に実体の存在がうすい、あやかしせいれいに霊植物といった異形の世界であり異界のことを指す。

 現世に異形が現れることはめずらしいことではない。だが、その多くが人間に敵意を持っており、柊連によって「害悪異形」とにんていされるのだ。そういった、人間の生命を脅かす害悪異形を殺すことが、柊連の異形殺しの仕事である。

 そのため、異形殺しである川堀が、わざわざその巨大異形とやらを幽世に帰そうとする意図が朝緒には見えなかった。

 げんに思った朝緒の顔を見て察したのだろう。川堀は朝緒に、眉を下げて笑みを見せる。

「俺は柊連の異形殺しの中でも、すごく数が少ないおんけん派の思想持ちです。なので、なるべく異形とは争いたくなくて。現世にかくれてむ異形も少しはいますが、今回現れた〝巨大異形〟たちは、どうにも様子がおかしいんです」

 朝緒は異形と争いたくないと言う川堀に、思いがけずきようがくして目を見開く。異形に対して、自分と近しい考えを持つ異形殺しとは、そうそう会ったことがなかったからだ。

「巨大異形たちは〝幽世門〟周辺に現れ、一時姿を隠したかと思えば、時にひとりでに暴れ出したりと……行動の予測がつかず、どこかおびえているように思えます。しかし、その巨大異形たちはかたくなに〝幽世門〟周辺にとどまっているので、まだ人間に危害を加えていないことは確かです。……ですので、彼らが幽世門周辺からけ出して、人間とそうぐうする前に。彼らが異様な行動をとる訳をき止め、みつにできるだけすべての巨大異形たちを幽世へ帰したいと、俺は思っています」

〝巨大異形〟──おそらく、川堀の話からして、通常の異形よりもはるかに大きな身体からだを持つ異形たちなのだろう。朝緒はそんな異形には会ったことがなかったので、じゆんすいにどんな異形なのかが気になり、川堀の話に夢中で聞き入っていた。川堀の依頼を受ければ、その巨大異形という未知の異形たちにも会えるかもしれない。

「近年は、異形殺しのじゆんしよく率も高くなっていますし。異常な様子の巨大異形と争いとなってしまうと、確実に通常の異形が相手の時よりもじんだいがいが出るでしょう。なので、なるべく異形と人間、両者のせいけるためにも。な争いを避けたいんです……人間だけでなく、異形からの依頼も引き受けるほど。はらの中でもゆいいつ異形との関係が密接な、如月屋さんにしかたのめない依頼です。どうか、引き受けてはもらえないでしょうか」

 川堀は深々と頭を下げた。朝緒はそくに「引き受けるべきだ」という強い視線を隣にいる雨音に向けるが、それを予期していたかのように雨音は小さく苦笑してうなずいて見せる。

「もちろん、喜んでお引き受けさせていただきます。川堀さん」

「ああ……良かった! 本当にありがとうございます!」

 川堀はうれしそうに何度も頭を下げて見せる。

 頭を下げ合う雨音と川堀を横に、ちらりと視線だけを動かし、朝緒は扉のそばに立つ逢魔をひそかにうかがう。

(……あいつ、ほとんど黙ったままだったな。同じ異形殺しでも、川堀さんとは正反対の思想のくせに)

 朝緒は終始、柊連でも穏健派であるという川堀の「異形と争いたくない」という思想に、逢魔が何かしでかすんじゃないかときもを冷やしていた。しかし、気に入らない者にはすぐ手を出して食ってかりそうなきようけんの逢魔は、ひようけするほど大人しくしており、朝緒は内心意外に思う。

 そうして、逢魔は特に問題を引き起こすこともなく、初回の顔合わせがしゆうりようした。

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