第2話 ピータン

 ピータン。

 美しい灰の中ではじまる一生。炎の跡。森でも、家でも、バーでも。冷え切った炎の匂いから自然発生する、動物と鉱物の中間点。

 灰の一粒から線がうねり出る。線は世界のゆらぎにあわせて波打つ。やがて偶然の作用でつながって、ひとつの円となる。これがピータンの稚魚。なめらかな灰の中を泳ぐ単純化された図形。沈みゆく雨粒を捕食し、音に変えて排泄する。灰はざわめき、粒たちが水面を飛び跳ねる。

 灰は渦をつくり、原始の魚たちを巻き込みながら円形に大きな記憶を体験させる。丸い稚魚たちは、衝突と歪みを繰り返し、徐々に理想の楕円へと近づいてゆく。

 深い灰の中、浮き沈みを繰り返しながら泳ぎ回る楕円の群れ。

 嵐の夜。空からいくつもの船が沈み、泥に突き刺さった。深さは渦をまいて光を遮る。稚魚たちは翻弄され、あおられるまま波に模様を描く。大きな口。降り注ぐ雨粒を飲み込む楕円の群れ。心地よい振動が不協和音となって鳴り響く。

 静寂の嵐。群れは散り散りに別れた。いくつかの楕円は他の魚たちとともに船に住み着く。いくつかの楕円は波に乗って遠くへ旅立つ。真円の月が見る光景。

 旅立った楕円は、岩陰で眠る。冷たい冬の夜、灰の中に雪が降る。歪んだ円形は連続して重なり、厚みの錯覚を得て転がりだした。海底を弾みながら、重なって転がる不完全な円の連続。七つの色の絶え間ない繰り返し。やがて石ころにぶつかってジャンプすると、そのまま大きなヒレを広げて舞い上がった。夜の光は楕円形に不思議な力を与える。ゆりかごから丸い気球が飛び立つ。尾ひれの回転はますます早まり、灰色を蹴散らしながら水面を目指す。ヒレは足へ、エラは肺へと変化する。力強い回転。

 水面から顔を出す球体。ピータンはたくましく育った四肢で灰の陸地へと踏み出す。はじめての歩行。はじめて地上へ出た動物。尾を引きずりながら、大地をゆっくり進む。水を含んだ肌。小さくならんだ牙。飛んでいる昆虫をつかまえて咀嚼する。黒く透き通った太もも、胴体。

 水辺で夜空を見上げる。全身は暗闇に透き通り、ゼリー状にふるえる。中心がない動物。

 月だけが、このピータンの一生を最初から最後まで見ていた。でしゃばりな観客。月は珍しそうにピータンに触れてみる。深く差し込まれる白く長い腕。柔らかく、かすかに昼の温かさを残す。音律が生まれる遥か以前に養われた生命。

「あったかい」

月は、腕をうごかして、ゆっくりとかき混ぜる。細く淡い指のあいだを、ピータンの柔らかさがすり抜ける。内側からぼんやりとした光を放つ、暗く透き通った生命体。ピータンはくすぐったそうにころがった。

 月とピータンの子が生まれたのは、それから10日後であった。青白く発光する硬い外殻。中は黒く、中心をもつ。生まれ落ちた後、父母は別れ、ひとりは夜空へ、ひとりは森へと旅立った。第二世代は再び灰の中へと沈み、発見されるときを待つ。

 生物と鉱物の中間、ピータン。美味である。

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ピータン ピータン @p-tantan

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