遺影

ヤマケン

遺影

 いつものように父は、僕の学校の登校時間よりも随分早くに職場へと向かう。

 くたびれた船外服という姿で生命維持装置の代わりにリュックを背負い、ヘルメットを小脇に抱えて、「行ってくるよ」と一言、僕が物心ついたときから変わらない後姿を見せて、その日も玄関を出た。町のドーム屋根から差し込む強烈な直射日光を背景に、ヘルメットのバイザーがキラキラと輝いて眩しい。


「今日は7番坑行きのバスは運休中だからね、間違いないでね!」


 母が後ろからしつこく声をかけ、父の生返事が聞こえて、扉が閉まる。


「さぁ、ご飯を食べましょう」


 そして僕と母は、父より遅めの朝食をとる。言葉はほとんどない。




 僕の父は、日曜日以外は次元坑道に潜って、次元に埋もれたゴミの山から金目の物をあさっている、遺失物回収業者だ。父の、というか、それがこの町の人々の主な生業だ。

 事故で壊れた跳躍航法トンネルの跡地を次元坑道として再建し、そこから次元の狭間に落ちた過去の遺物を掘り出す遺失物回収業者たちが住み着いたことによって、いつしか出来たのが僕の住む町だ。

 貧しい町だった。

 テラフォーミングに失敗した砂漠の廃惑星を有効利用しようと、惑星核に巨大立坑を伸ばし跳躍航法トンネルを作り上げたが、それも破滅的な次元干渉事故で使い物にならなくなってしまった。それを危険を承知でさらに再利用し、超空間の切れ目から次元の狭間に落ち込んだ様々な時代の人工物や特異な自然物をあつめ、他惑星に売るのだ。子供心には、卑しい仕事に思えた。




 以前父は、昔の人間の遺失物を僕に見せることが多々あった。あまり興味をそそらない酷いものばかりだった。

 宇宙進出初頭の頃の缶詰、数千年前の宇宙船内の床屋の看板、歴史上有名な企業のロゴの入ったマグカップ……それは値打ち物だったらしい。


「これを見ろ」

 

 その日見せられたボロボロの本には、読めない文字と、地球系生態系では見られない奇怪な植物の絵が描かれていた。


「4000年くらい前の、とある惑星国家の植生図鑑だ。貴重なものだ」


 僕は本を見つめる顔を上げ、そんな貴重なものをなぜ家に持ってきたのかと言った。言葉では口にしたが、僕はその本になんら貴重さを抱いていなかった。


「この国は、主星の異常超新星化現象で、構成惑星ごと大勢の市民を巻き添えに消滅し、すでに宇宙に存在しない。ここに描かれている植物も、焼き尽くされてしまっている」


 もう存在していない世界の図鑑が、貴重なのかい?

 と、僕は言った。

 いつもほとんど家にいないのは、こんなものを集めてくるため?

 とは言わなかった。


「ここだ」


 父があるページを開いた。

 そこには、ページを見つめる女の人の顔が、あたかも鏡に映っているかのようにページに焼き付いていた。とても思慮深い表情でこちらを見つめてくる。


「これは、遺影だ、4000年前の」


 次元崩壊現象に際して、物体は2つの道のどちらかを通ることとなる。光子となって消えるか、次元断層を経て超空間に閉じ込められるかだ。

 この本は、持ち主が光子となって消滅する瞬間が写真のように焼き付き、本自体は次元断層行きとなった稀有な例なのだそうだ。


 父はにこやかに笑ったが、僕はそのまま本を閉じ、父に返した。

 気味が悪い、と、そのときは思った。


 


 いつものように職場へ向かった父は、戻っては来なかった。


 砂漠の乾いた空気に坑道事故を知らせるサイレンが響き渡っている。

 僕は学校から母に呼び出され帰らされた。




 「お父さん、写真が嫌いだったのよ。若いころのしか無かったわ」


 喪服で座り真っ直ぐ遺影を見る、無表情の母がぼそりと呟いた。

 父の遺影は僕の見慣れていない若いころの写真で、僕は父が光子となって消えてしまったことを実感できないでいた。

 坑道の一部が崩壊し、父は次元の狭間に干渉してしまったらしい。光となって消えたのは瞬く間だったそうだ。局所真空崩壊によって、父とともに30人が犠牲になった。次元干渉口がいくつも潰れてしまう比較的大きな事故で、もしかしたら会社も厳しいのではないかとのことだった。

 会社に補償金は、期待できないかもしれない。


 母さん、僕は働くよ。


 それを聞いた母の反応は、少し鈍かった。




「お前の見つけた正規軍の宇宙軍艦の件だがな、買い手がついたらしい。善かったな、ボーナスが出るぞ!お袋さんに美味いもの食わせてやれよ!」


 超空間作業ポッドのスピーカーから、超空間レーザー通信を音声に再形成した、現場監督の声が響いた。


 そいつはよかった。ほんとに出れば臨時収入だな。


 僕の声色は笑っていたが、表情は、たぶん笑っていない。


 仕事を始めて、もう5年が経った。毎日強烈な日差しの砂漠の町を行き、次元坑道に入って、歴史の遺失物を拾い上げる。

 まるで、写真でしか知らない海の中を思わせる超空間内には、スプーンから、宇宙軍艦まで、ありとあらゆるものが漂っていた。ほとんどは形態維持も出来ておらず触れた途端幻影のように消えてしまう。その中から、実体のあるものを拾い集めるのだ。

 一見のんびりだが、極めて危険な仕事だった。次元の狭間はそこかしこに確率論的に存在しており、ほとんど機雷原のようなものだ。ポッドに搭載された量子演算機が常にその位置情報を教えてくれるが、万が一その狭間に干渉すれば、真の真空が瞬く間に広がって、超空間を侵食する。そして空間内のすべては光となって消えてしまう。父の事故のように。

 父は次元の狭間に消えた。僕は父の仕事を受け継いだ。こんな大変な仕事を。


「よし、時間も近い、そろそろ切り上げてくれ」


 監督の大きな声がまたポッド内に響いた。

 今日集めたものは雑多な物品だった。

 いつの物かわからない水道蛇口、コミック雑誌、おそらく未開封の飲み物のボトル。いくらの価値もない。この間見つけた実体のある宇宙軍艦なんていう大物は、まだあさっていない超空間座標域に1つあるかないかだった。それに、価値あるものの対価はほとんど会社がもっていってしまう。

 仕事に熱意はあまりなかった。父は何が楽しくて、こんな仕事をしていたのだろう。


 ……あともう1つ、なにか拾っていこう。


 僕は出口へ転進せず、そのまま超空間の奥へ進んだ。

 超空間はその様相を刻々と変化させる。座標域が変動するのだ。その情報も量子演算機が教えてくれる。


 わずかな時間が過ぎた。


「おい、どうした、早く戻ってこい!」


 何か1つ、ないだろうか。


 崩壊しつつある土塊のようなものをまさぐり、あるいは建物の残骸を物色し、大きな植物を避けながら進んだ。


 ……この植物、見覚えがある。


 僕はポッドを止めて転進し、植物の場所へ戻った。

 その植物は実体はない。まるで古い三次元投影機のように滲み揺らいでいた。量子演算機が警告を発する。植物の幻影の中に、次元の狭間が幾つか隠れているのだ。だから僕は植物を避けて通った。

 でもその奇怪な姿は間違いなかった。


 あの図鑑の植物だ。


 そのとき、視界の端を何かが通った。ふいに視線を向ける。

 何か小さなものが、次元の狭間の方向へ流れていった。


 僕は瞬間、ポッドをそちらの方向へ前進させた。

 あれを……あれをとらなければならない。

 何か、呼びかけられるような感覚があった。

 ポッドを加速させる。量子演算機が警告を発する。


「おい、こっちでもモニターしてるぞ!なにしてる!警告を無視するな!」


 監督の怒声を無視し、ポッドのアームを展開して、それに向かって伸ばした。


 あと少し、あと少しなんだ。


「よせ!やめろ!」


 狭間が、肉眼で感じ取れた。




「馬鹿野郎何やってやがる!もう少しで親父の二の舞じゃないか!お前らしくない危険行為だぞ!」


 監督はのぼせたように怒り狂っていたが、僕が頭をずっと下げていたら、徐々に気持ちを落ち着かせていった。


「とにかく、今日中に報告書を出せ!俺が帰る前にだ!」




 僕は事務室で1人取り残された。くたびれた扇風機がカラカラと音を立てて回っている。その、少しうるさい静寂の中で、僕はそれを見ていた。


 それは、写真だった。幼いころの僕が写っているのがわかる。わかる、というのは、その写真には別の人間の顔が写り込んでいて見えづらくなっているということだ。光子となった人間の最後の姿が、焼き付いたのだ。


 父の表情は、笑顔だった。




 いつものように僕は、朝随分早くに職場へと向かう。

 くたびれた船外服という姿で生命維持装置の代わりにリュックを背負い、ヘルメットを小脇に抱えて、「行ってくるよ」と一言、見送る母に後姿を見せて、その日も玄関を出た。町のドーム屋根から差し込む強烈な直射日光を背景に、ヘルメットのバイザーがキラキラと輝いて眩しい。




(了)

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遺影 ヤマケン @yamaken_21th

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